徒然なるままに

2007

'07,1 '07,2 '07,3

 

2006

'06,1 '06,2 '06,3 '06,4 '06,5 '06,6 '06,7 '06,8 '06,9 '06,10 '06,11 '06,12

 

2005

'05,1 '05,2 '05,3 '05,4 '05,5 '05,6 '05,7 '05,8 '05,9 '05,10 '05,11 '05,12

 

2004

'04,1 '04,2 '04,3 '04,4 '04,5 '04,6 '04,7 '04,8 '04,9 '04,10 '04,11 '04,12

 

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12

 

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12

 

2000

 

 

 

'00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12

'07/ 3/ 25    春のはじめにキノコを植える。

 「植菌」というらしい。伐り倒した雑木を90cm〜1m程度に切って「ホダ木」としドリルで開けた穴にキノコの元というか「種菌」を植え込むのだ。
せっかく雑木を伐るのだからそれに「キノコを」と先シーズンからやろうと思ったのだけれど、取り掛かりが遅かったようでいつも行くホームセンターでよく見たキノコの種菌は去年は入手できなかった。
 1年遅れながら、今年はタイミングを見計らい、種菌も確保して数種類植えつけた。この辺りでは「椎茸」がポピュラーで地元ではかつては町の入り口にでっかい照明付きの椎茸をかたどった看板なんかが作られたが、どういう発想で「青色」という照明を決めたものか、そのでっかいキノコは夜になると青い光は均一な明かりになりにくいらしく、どうにもキノコには見えない得体の知れない看板だった。

 今はすでにそんな変なものは取り壊しシンプルな電光掲示板つきの(どうも担当者は電気仕掛けが好きらしい)町名をアピールする町境のしるしになっている。どうみてもおかしなキノコ看板はなくなったけれど地域の特産椎茸は相変わらずで、町民にとっては珍しくもないものになっているわけで、自分がキノコをつくるなら、普通に里山で採れるようなものを作りたかった。
 ま、キノコ採りが出来るヒトなら、わざわざ栽培しなくてもいいんだろうが、キノコ採りをした事のない自分には毒キノコも食ってしまいそうで、亡くなった祖母がよく採って来て味噌汁の具となっていたキノコを選択した。

 面白いのは、種類を多く作ってみようとすると、そのキノコの種類によってホダ木になる最適な樹木あるようなのだ。キノコから見た適樹と樹木から見たキノコとの相性みたいなものをマトリックス状にしたリストがあって、成長したキノコの写真だけを見て選んでしまった「ヒラたけ」などの適樹はヤナギ、ポプラ、榛の木、朴の木とある。ポプラは庵周辺にはないが他の木々はある。特にサクラなどは万能な様で様々なキノコ栽培に適すようだ。同じ様に万能なのはブナ、シデ。とあるが周囲1mを越すブナはあるが伐採予定地ではないし、シデと云うのはよく分からない。まぁ木の種類も覚えながら試していく事にしよう。  


'07/ 3/ 17    春間近のドカ雪

 自宅周りは週始めの雪も大分溶けたが、盛岡は降雪が少なかったようで少し離れた山は白かったが市内には雪はなかった。
 期末。転勤。入試。卒業。区切りの多いシーズンの3月。
苦労はあったかも知れない。それでも特に大きなトラブルも(伝え!?)無く卒業してくれた事が親に対しての感謝の意かな。。。と納得すればいいのかも。
 卒業式は来週なのだけれど、一足先にアパートまで出かけ半年ぶりの末娘の顔を見てきた。4年間棲み、暮らすスタイルの好みも変化し使わなくなってベランダの粗大ゴミと化している組み立て家具などを後部シートを倒して載せられるだけ積み込んで戻ってきた。

 R456の花巻〜北上辺りは今だけは平年以上!?と思うような雪が積もっていた。
東和辺りの山あいを走っていると、道路脇には除雪車が寄せた雪が残り周囲の山間耕地にはひときわ深そうな雪景色。
 このルートを今日と逆に原チャリSKYの練習走行兼本番とAX-1で、末娘と100KmTouringと洒落こんだのは2年前の夏。今日、黄色いSKYはアパートの駐輪場に元気そうに居た。
バイク2台で向った季節と景色は全く違うけれど1台AX−1で帰った時の感傷を思い出した。
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 週初め、春ボケした身体をちょっと縮こませる雪がドカっと降った。積雪は2日累積で30cmは優に超して40cm位はあったかもしれない。冬支度頃は随分気にして雪対策をしたつもりだったけれど、結果肩透かし的に降らなかったので、その冬支度の効果があったのかどうかはよく分からなかった。春めいてきていたのでそろそろ雪囲いも解いて。。。とも思っていたので、 このドカ雪で潰れたところなんかがあるのでは!?と小降りのなってから庵の出かけたが、意外と自宅周辺より一関萩荘の方が雪は少なく、パイプ車庫のシート周りも他も被害はなかった。

 積もった雪はまだ残っているが、作業道に伐り開く雑木林は徐々に伐採を進めている。
クリ、ナラ、サクラが多いので今年はこれに「きのこ」を植えつける事にした。  


'07/ 3/ 11    時候のメール

 年賀状は当然、年に1度でそのやり取りは習慣であったり仕事がらみであったりだが、最近は携帯から、或いはPCからのメール賀状も珍しくない。
 企業人とか組織に属する時は年度替りに多い転勤とか環境の変化でメールの行き交うこともある。単にインフォメーション的なものもあるけれど、環境に馴染みにくい時などに数多く発するメールには無意識に不安とのバランスを取ろうとしているのかもしれない。その環境に馴染んで来るとその頻度は自然に減って来たりもする。
 もはや時候の挨拶などは縁遠いのだけれど、『卒業』の期に届いた時候のメール。そぞろを装い訪ねてみようか。。。

 庵周辺は去年の雪の多さからみれば今年は天国。整備を進めている作業道は去年もこれから始めたのだったが、今年は去年に比べ1ヶ月早くスタート出来た。なんか1ヶ月分、得したような気になってくる。


'07/ 3/ 4    『アイリスへの手紙』

 公開は1989年というから年代的にはそれほど古くはないが、勿論新しくはない。
もはや下火になったのかもしれないが、一時期ブームにもなった韓流ドラマ。
それらの作品それぞれはよくは分からないが「高度成長期時代の和製ドラマを彷彿するから」という話もあるということだ。
 そんな味わいとはやはり違うアメリカンラブロマンスとでもいうか、自分にはこっちの新しくはないけれど「アイリスへの手紙」の方が感情移入しやすいなぁ。こねくりまわした仕掛けも展開もあるわけではないし韓流的美男美女まがいでもないけれど(まぁ2人とも充分美男美女分類だけれど、どこか韓流に見える作り物風な所は感じない)ロバート・デニーロとジェーン・フォンダのキャスティングも素直に受け入れられるし、移入した感情をストーリー展開に委ね易いんだよね。
「GyaO」でロングラン公開中。  

 「キャッチ&リリース」
 3月1日は県内河川の渓流釣り解禁。先シーズンは雨宿り兼、ひと休み兼、道具置き場兼用の庵(T)の建築で毎シーズン毎の渓流釣りはご無沙汰が多かった。
大枚をはたいた全県の遊魚権は殆ど活躍する事もなく、機会の少なくなった渓流釣りの釣果は1尾あたりで計算すればかなりのコスト高のヤマメだったかもしれない。
勿論、釣り上げたヤマメ君はリリースする事もなく感謝しつつ全て食卓へ。

 ソコソコの天気の時は「釣りもいいけど山仕事もね」という事で山仕事をする!という選択が多くなる。両方満足いくように。というのは結構難しい。という事ならば、すぐ傍に隣接する溜池に放流出来ない物かと。。。

この日、天気がよかったので庵の麓を流れる市野々川で初釣り。始めに入った場所ではピクリとも当たりは無かった。で、足元を見ると2,3cm程の小さな群れが浅瀬にいて「メダカ!?」とも思いその中の1匹をすくってみると小さいながらもパーマークのような斑点が見える。「ヤマメ」とも思ったが、去年の秋に見た鮭の稚魚なのだろう。
 少し上流で入った流れからは小さめのヤマメが上がった。昼前まで辛うじて14,5cm程のが4尾。所々、氷が残り水温が低く活性は低い。鮎缶を持って行ったので釣り上げたヤマメは生かしたまま「溜池」まで運び、自分としては珍しいキャッチ&リリース。

 どの位放せば、釣りが出来るようになるか分からないが、今は時おりイモリらしい影が見えるだけのこの溜池に何らかの魚影が見られるようになれば、いいなぁと思っている。
薄濁りぎみのこの池も少しはきれいになるか!?  




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