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徒然なるままに |
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03/03/24 | 初乗り 帰省、とった休日も短かったので、車は使わず飛行機/新幹線での移動だった。それはそれで「ビール片手に」はきわめて楽なのだが、家についてそこそこの用事をこなすのも足がないと中々不便。そこで親父の車を使わせてもらうのだが、これ又気を使う。 普段、軽トラとか軽ワゴンしか使わない彼の乗用車は車検を一回通した割には、ODOメーターは下の画像のように2480Km程しかカウントされていない。ガレージの埃と一緒に佇んでいる。 そもそも、距離の近い日帰り温泉に行くとかしか使っていないようだ。しかも雨、雪の時は使い慣れた4駆の「軽」が安心できるのかもっぱらそちら。となる。 そんなわけで3年過ぎてもまったく新車の雰囲気を保っている、しかも運送業務を続けている慣れからか所有するクルマは全てマニュアルとなれば、孫に「乗っていいぞ…」と言っても敬遠され、距離は伸びない。 そんなわけで、たまに自分が乗っても、その前とほとんど距離は増えていない。そんな所用をした後で、冬の間外しておいたバッテリーをチャージアップし、今年初めてST2のエンジンを始動させた。車検が来月の20日までとなっている。「サカエ自工」まで散歩がてら行って頼んで来よう。 とこれが今年の初乗りとなった。気温は10度チョイ。走って寒くはない。車検の話をした後、遠回りをして家に戻った。4ヶ月ぶりのバイクの風が心地よい。遠目に見える小高い町内の山はまだ雪に被われている。 | |||||
⇒「ODO」メーターは3000Km程
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03/3/16 | 一夜城春先らしい薄曇の中で、そこから岐阜城は見えなかったが、当時の稲葉山城に居たであろう織田信長は、その居城から墨俣方面を眺めたのだろう。 きれいな城は平成に入り、城址に立てたそうだが、合戦のさなかの一夜城は当然こんなにきれいな物ではなかったろうが、この天守より周りに配置させた、厩、兵の長屋、長く伸びた柵、堀もあったという。その規模を一夜とは大げさだが、今の一週間程で直接の工事はすすめたようだ。 確かに偉才な存在だった事を物語る。周りの川を見れば、戦国時代の流れとは違ってはいようが、この墨俣の地勢が当時の最重要地点ではあったのだろう。 | |||||
平成になって新しく建てられた墨俣城 周りにはたんぽぽが咲いていた。 | ||||||
03/3/11 | 花フェスタ この可児市には、日本一のバラ園という「花フェスタ記念公園」がある。バラ園自体は屋外なのでまだ咲いてはいない。それでも、室内、温室では年中何らかの花のイベントを行っていて、種々のバラもまた屋内では咲かせている。 今はオフシーズンなので入園料は半額の400円程で入れる。そそくさと回っても1時間は十分にかかる。 先週、岩戸公園で梅を見て、この可児の「花フェスタ」に出向いてみた。園内には季節の梅から屋内では「黒い花」を集めていた。やはり「黒い」というのはどうも…ということで数枚、普通の花を撮って来た「花フェスタ記念公園」URL=http://www.city.kani.gifu.jp/ | |||||
03/3/02 | 弥生3月 昨日の雨は春の嵐だったらしい。この可児市では風もなく少し冷たい春の雨と思っていたが、夜11時頃、TVのテロップに「静岡で洪水注意報…」と流れていた。朝の天気予報では「強い低気圧が太平洋側を移動して…」と言っていた。 この日曜日は終日晴れて…月曜からは雨…とも。春先の風と寒暖交互に繰り返し春になってゆく。東北とは違い、春のプロセスはゆっくり動いている。 午後、快晴のうららかさに、先週見た梅の花を思い出し写真を撮りに出かけた。R21を下り岐阜辺りまで走ってみた。 木曽川沿いの山の上に小さな山城。道標には「猿豚城」とある。城の形はまったく違うが、欧州ライン川沿いでみた中世の城の佇まいによく似ている。スケールは違うものの木曽川を日本ラインと呼ばせたい雰囲気はある。 さらに下ると犬山城。岐阜に至れば岐阜城が山の上に見える。 20Km位の距離の中で3つの城が見える。ヨーロッパの城と違い木造の日本の城はほとんどが建て直されたものであろうが、子供が育ってゆく過程で、親子代々「あの城はだれそれの城で、ここら辺りはこういう殿様が…云々」と教えられて育ったのだろう。 今は20Kmの距離など車では3,40分程で通り過ぎてしまうが、かつてその城が機能していた時代は徒歩、もしくは精々馬で掛けていたわけだから、群雄割拠していた時代は持っていた軍事力とそのテリトリーの距離感がこのくらいだったんだろう。それにしてもそのテリトリーの象徴を見て、教えられながら成長する子は、そういった環境とは無縁の子とは違った部分で潜在意識に陣取り合戦的処世術が埋め込まれるのでは…とか思いながら一回りして見た。 | |||||
近づくと旗らしいものが出ていた。 |
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