徒然なるままに

2006

'06,1 '06,2 '06,3 '06,4 '06,5 '06,6 '06,7 '06,8 '06,9 '06,10 '06,11

 

2005

'05,1 '05,2 '05,3 '05,4 '05,5 '05,6 '05,7 '05,8 '05,9 '05,10 '05,11 '05,12

 

2004

'04,1 '04,2 '04,3 '04,4 '04,5 '04,6 '04,7 '04,8 '04,9 '04,10 '04,11 '04,12

 

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12

 

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12

 

2000

 

 

 

'00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12

06/11/25    あと一月チョイで今年も過ぎる

 週初めに「忘年会」の案内が来た。カイシャイン時代は11月後半になると既に忘年会が始まったりして自然に年末Modeに入って、冬支度も何も無くただ年の瀬に入っていった。
 山仕事をし始めてからは、晴れる。降る。という天気予報に作業の進捗が左右されることが当然多くて、天気の変化がそのまま季節の移り変わりを感じさせてくれる。風が強まり葉っぱが落ちて更に風当たりが強くなる。遠くの山も枝の間から白く見えてきて、足元には霜柱。そろそろ「冬」だと言うのは空気の冷たさが自ずと教えてくれる。

 頭の片隅では考えていたものの、具体的にはまだ用意していない冬支度。トイレとパイプ車庫の屋根に施さなければいけない雪対策。高床、ウッドデッキの下側に冬篭りとして収納する道具類、薪材の始末。発電パネルの季節風対応。などなどやることは随分あってしかも時間は段々短くなる。てなわけで、確定申告の準備やらインフルエンザワクチン接種やらと同じ次元で「忘年会」がやってきて風の冷たさとは別な、これもイヨイヨ年末突入のお知らせに映る。

 ウッドデッキの下側には薪材の他、窯出しの炭材も収納する予定だったのがどうやらそれは怪しい出来になりそうで、焼き杭レベルに留まってしまうかも知れない。まぁそうなってしまいそうな原因系は種々思い浮かぶのだが、今は窯止め。ひょっとしたら冬支度にかこつけて窯出しは年を越して。しかも雪解けを待って。みたいな事もアリエール状況。
 炭化が中途半端になってしまったら、排水溝へ埋め込みとか杭打ちに使ってしまおうと云うつもりもあるが肝心なのは、実際に窯を開けて、上手く行かなかった部分の確認と次への対策。
 今は少なくなった炭窯も2,30年前は少し大きな農家ではごく普通に行われていた炭焼き。
まKnow Howも無く見様見真似も「鉄腕Dash」と「別冊版現代農業」だけでは1発で上手く行く程簡単なものでは無かった。という事だなぁこれは。。。

   

06/11/18    初めて。。は何かと(炭窯初回点火)

 1ヶ月ほどかかった炭焼き小屋。Know Howはネット情報と「現代農業」の炭の効用を書いた参考書のみ。作っているうちに、「あ〜こうなのか、そうなのか」と分かることもあるが、そのまま分からずに「まぁやってみるさ」と、実際は後者の方が多いような気がするものの、一つ一つの工程を進めると、やり直しはしたくないので、妥協も積み重なってしまう事となるが何とか記憶に残っている形にだけはなった。

 地鎮祭とか、暦をみて日取りを決めるなど、結構気合いを入れて取り組むものらしいが、なにせスケジュールを左右するのは天気次第なので、イベントは何もしなかったのだが、窯に火を入れる時だけは「お神酒」替わりに缶ビール(第3の)を捧げた。
 始める前に、相応の学習と対策を施せば、悔いも無く事が進められるのだろうが、後から思えば、窯の燃焼室に下を通した排水パイプやら、燃焼室の床面の出来やら、煙道の構造、ツクリ。前室、天井のドームの仕上がり、などなど。。。出来てから「そうだった!」と分かることの多いこと。せめて最初の点火だけでも。。。と「神頼み」みたいなもの。

 そんなわけで、はたして炭が出来るのかどうか、出来たにしてもその出来具合は!?も分からないうちに、2号基はこうしよう!という思いがつのりながらも、やっぱりちゃんと点火して炭出しまでの1サイクルは通さないとどうしようもないので、参考書にある「乾燥」工程の
「日中に前室で焚き火。窯内に詰めた木材の乾燥」X2日を行った。

 よく「天井が落ちる」状態があると云う窯の燃焼室。天井のドーム部分は粘土質の赤土を突き固めながら成型するのだけれど、所詮、土なのだから、出来がよくないと、雨が滲みたり、地震とか、炭を取り出した後の内部が空洞の時は、衝撃でも落ちることはあるらしい。
 それでも、「初回、木材を詰め込み、その形に沿って積み上げたドームの初回炭焼きは持つだろう!!」との思い込みで安易に考えたのだけれど、ネットで種々のサイトを見ているうちに、「内部の炭化が進み容積が縮み、まだ燃えている内に落ちた」という例を見たら、初回は大丈夫。との変な思い込みも段々、不安になってきた。
 窯内の燃焼中に「ポコッ」と天井が落ちたら、「ド〜ッ」と火柱が上がって屋根のブルーシートに火が着いて。。。とかとか不安が嵩む。

 となると、初回窯の点火から窯止めまでは、泊まりでウォッチしてみるかぁ。
でも「ぬっくいストーブ」の脇で長い夜の長い晩酌で寝込んでしまいそうだし。。。

   

06/11/12    海上保安官

 金曜日、NHKの「にんげんドキュメント」という番組で
【「もう一度海原へ」海上保安官に挑む半年の特訓。男たちの第2の人生。】という。長いタイトルなのか番組案内なのか新聞のTV欄ではそうなっていた。
 「愛と青春の旅立ち」というリチャード・ギアが主演した士官学校生の映画があったが、その海上保安官版みたいなものだ。何とはなしに観ていたのだけれど、途中から気仙沼の○○○○さんの場合。とナレーションが流れその名前に聞き覚えがあり「彼は元自衛官だったし、再出発!という事も、またこの方面ならあり得るだろうなぁ。。。」とそれから本人の画像が出てくるまで画面に見入っていた。結局出身地、名前が偶然同じだっただけなのだけれど、30代半ばで海上保安官に転職出来るのかぁと感心しながら見ていた。

 新卒でそういった軍隊規律的な厳しいイメージがある組織に進むのとは違い、中途なわけだから、他の社会組織で飯を食ってたわけで、敬礼なり上官への話の仕方なり、はやはりすんなりは受け入れがたいようだった。射撃訓練なども、始め「撃てない、引き金を引けない」状態があったりと、一度世間の垢にまみれた。というより、ごく平均的な価値観を味わった社会人ならではの反応がそれぞれの訓練期間中しばらく続く。
 訓練が続く中お決まりのごとく途中で去ってゆく同期生が出る。多分それは新卒者よりは多いのかも知れない。だが残るメンバーはそれなりに腹をくくっているはずなので、ある面では、この洗脳期間というか訓練が過ぎれば職務にのめり込むのかもしれない。

 何年か前の北朝鮮からの「不審船」との衝撃的な銃撃戦が記憶に残るその船体の展示品見学。銃痕が生々しい引き揚げた船体の展示を見れば、これから発生するかもしれない北朝鮮船舶の「貨物検査」。「防衛」と「保安」の違いはあるが、戦闘力としてははるかに上回る海上自衛隊よりも、実戦経験というか、場慣れしているというか、現実の海上トラブルへ遭遇する機会が多い海上保安庁のほうが「北朝鮮船舶の貨物検査」には適する。
 自衛とは言え撃破を目的とした海自の軍艦、兵装に比べ、「保安」目的の巡視艇は尖閣諸島などの領有問題の対応目的で造船されたタイプのPL1000t型というやつでも装備される武器は30mm機関砲1機だけ。という事だ。当然、保安目的以上の装備は必要は無いわけだが、不審船の装備の様に小銃火気だけでなく携行型ミサイルやらロケットランチャー、無反動砲やら船内格納庫に小型ボート、水中スクーターまで備えた、まったく007に出てくるような武器満載でやってくる戦時下意識の北朝鮮と相対するのは相応の覚悟を要するはず。

 こういう時期。右傾化として捉えられ易い保安機構、警察機能、自衛「戦闘機能」を取上げる番組作りはデリケートで大変かもしれない。折りしも、「拉致問題」「放送命令」というキーワードで総務省からNHKへの情報操作を連想させられるような放送命令がなされる状況。
 この番組を見た後で、海上保安庁のH.Pを見てみた。「全国各地で発生した海の事件・事故一覧」などを見ると各管区毎の記録形態など不統一な部分も多いが、むしろ現場での生な活動記録として公開されたほうが好感する。メディアでの取上げ方は慎重にニュートラルな扱いが必要だけれど、誇張されたドラマ仕立てとか、民放で期末の番組編成の切り替え時期などでよくやる「警察密着24時間」とか、興味を掻き立てるような番組よりは中途採用、転職としての海上保安官として取上げた番組はNHKらしく面白かった。

 変わりやすい秋空の下炭焼き窯の上に屋根掛け準備。岡澤さんの手を借りて梁を組む。   

06/11/05    深刻...

 高校ともなると「修学旅行は海外へ」というのは珍しくなくなっているが、「高校必修単位不足(履修もれ)」関連で、この「海外修学旅行」へ参加することで「世界史B」という科目単位が取れる。というふうにしている高校もあった。という事だ。これはラクチンだ。もちろん発覚後はNG!
 この問題はもはや「富山県で」とか「岩手県の高校で」とかいう話ではなくなんと我が地元高校でもしかり、全く問題のない自治体は熊本県のみ。結局該当高校の校長に責任を取らせてケリをつける。みたいな雰囲気になってきて、自殺を選んだ校長まで出てくる始末。せっかく開けたパンドラの箱なのだから、箱の中身はナニが入っているのか全部見てみたいものだ。

 なにも伊吹文明文科相が辞めればいいとか安陪晋三総理が辞めれば済む問題ではなくて、「国」-「文科省」-「自治体」-「教育委員会制度」-「受験システム」-「教育現場」全てに堆積した澱があるはず。去年の偽装建築事件でも「ルール作りと管理する側」には咎め無し。で舞台に押し上げられた面子の中で見捨てられたような役者だけがトカゲの尻尾切りの様に訴追され、そのうちに為政者も変わり行政のTOPも入替わってしまってオシマイ。と言うようなありきたりの幕引きとなってしまっている。伊吹文科相は「人事権がなく、教委に重く受け止めていただく以上のことはない」と教育委員会で責任を取れと暗に言っているようだし。教育委は自治体管轄なので知事が詰め腹か?かわしきった偽装建築申請の時よりはまだ、どこかで「責任を取る」行為はありそうだがBuffer組織が多重にあり「たらいまわし」は見え見え。結局は全高校の1割の校長がインチキ校長として処分カナ?世の中が頭を傾げる事が続くからオトナ世界で水戸黄門が普遍のヒーローであり続けられるわけだ。

 「被害者救済」と称した特例措置は偽装建築申請でも時の国交担当相が首を傾げる早さで即決したが今度の「救済」は単位取得の「履修時間短縮!?」受験も控え、登校日数も限られてくる3年生なので必然的に物理的な時間制約があるので何らかの決断は必要なのだが、はたしてこれは救済なの???「70時間を50時間にしてやるからいいでしょ!お徳でしょ!」と言う話にはならないと思うがね。受講側には本来、受け取るカリキュラムをしてもらえない。つまり支払った授業料分のサービスがなされない詐欺みたいなものだよね。
 自分なら、生徒にはいまさらの泥縄、詰め込みよりも「今後ン十年間、歴史或いは該当教科に関する書籍、ドキュメント類の無料取得権」とかの方が余程ありがたいし、こうなった「本当のわけ」を説明してくれた方が役に立つやり方だと思うね。責任の処し方は別にして教育現場には本来の必要時間は受講者無しでも体育館か講堂で授業を実施する事!とか。生徒にはこのタイミングは限られた時間軸への割り込みなのだし、教育側は生徒より時間制約は少ないのだから。その位のペナルティはあってもいいでしょ。

 現内閣責任者が提唱する教育方針の「愛国」と言う前に自分が生まれ育った「クニ」に帰属する信頼が高まれば必然的に国を想うココロも醸成される。不信が募れば誰も「国を愛そう」などとは思わない。「愛国」と言わなくとも小学校で落第までしたり
「♪石をもて 追はるるごとく ふるさとを。。。」とまで詠んだ石川啄木はその後
「♪ふるさとは遠きにありて。。。」
「♪ふるさとの山に向かひて。。。」
「♪ふるさとの訛りなつかし停車場の。。。」と、ちゃんとクニを想うココロを謳う。
この頃の「ふるさと」と今のグローバル時代でいうクニは同じではないが遠からぬもの。。。

 ま、社会環境も耳目する情報量も比較にならないほど変化しているので単に懐古趣味的な情感だけでは語れないのだが、今上程されている「教育基本法」で話題の「愛、国」の言葉自体右翼街宣車によく見そうな文字なので自分はいやなのだが、祖国を思う事自体は自然なものだし、そう教えるのは必要当然な事だ、左巻き系何とか教組の「何でも反対」見たいな反射的反応に意味は無いし※【第一章 教育の目的及び理念】 として謳うべき内容であることに異は無い。ただ上程中の法案の様に【※第二条(教育の目標)】として入れるべきでは無い。
 目標としてあるからにはその達成度なりの測定行為が発生してしまう。やはり立派な理念として謳いあげても、具体化する実行過程ではガッコのセンセイすら「ゆとり教育」「履修不足」の様な変な始末に陥ってしまう。美しき曖昧思考構造(!?)のこのクニの法律表現こそ改革すべきものかもしれない。 自分の頭では法文を読んでもナニを言っているのか分からないことが多い。少なくとも義務教育課程修了の平均レベルで読めてストレートに理解できる内容であるべき。

 さてイヨイヨ朝晩の寒さがはっきりしてきた11月。木楽庵にストーブを設置した。 



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