徒然なるままに

2004

'04,1 '04,2 '04,3  

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12  

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12  

2000

      '00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12
 


04/03/28

引越し

   中2日を経て、引越し荷物とクルマが届いた。大中小の専用ダンボールで18個ほど、冷蔵庫、洗濯機、TV、電子レンジは備え付けの所を選んでいたせいで、さほど運び出すものは多くない。それでも1年半近く生活すれば多少余分なものも増える。
大方のものをリサイクルショップで処分すれば随分身軽になるはず。そういう意味でも最近リサイクルをして使い回すというシステムは今の時代に合う、いい仕組みだと思う。
家具、耐久品はそういう使い方をしてライトRVの後席を倒して積み込める程度で移動できれば最良かもしれない。
 まだ、企業に籍を置く身としては自車での移動禁止という「不慮の事故」想定のルールに従い、車も搬送依頼、荷物も選任ということで、アパートに詰まっていた持ち物は全て運び出した。
それでも前記の量だからたいしたことはない。

 ST2を岐阜に運んだときは5月連休の快適な季節の自走だったが、今回帰りのFJRは日が傾いて17時も過ぎれば5℃は確実に下回る季節を考え、アパートの窓から見えるレッドバロン店へ搬送を頼んだ。岩手県南。梅も五分咲き程度となった今日辺り、走り始めたバイクの姿が増えているがレッドバロン便のFJRはまだ届かず。
 明日は春休みがそろそろ終わる下の娘が来月から2年目となる学校へ戻る。岐阜から持ち帰った荷物からめぼしい物を見繕い、一緒に盛岡まで送って行こう。

04/03/24

離 可児

   昼ごろを見計らい、KTC会長の仕事場にあるガレージにFJRをとりに向かった。
この1年弱ST2を預かってもらった当地のツーリングクラブKTC。

去年の5月半ば、岩手から自走でST2を可児に持ってきた。新しい住処となった岐阜の地を時間のある限りバイクで廻ってみたい。という思いからだった。各地を廻るのは別にクルマでもいいし、バス、電車でもいいわけだがバイクに乗り始め、季節毎のヘルメット越しに入ってくる空気。ひやりとした塊であったり、ファンから立ち上るムッとする熱気であったり、初夏の青臭い草の匂いだったり街角を通り過ぎたときの家々から漂う夕飯支度の匂いがバイク乗りには感じさせてくれるのだ。所詮通りすがりかもしれないが、周りを囲われた乗り物にはないそんなリアリティが歩き回るための足として選択の決め手だった。

 そんな時に、想いこみがあると思われるバイクで埋まったガレージをキチキチと寄せてST2を収納するスペースを空けて入れてもらった。
 土曜日にバイクを引き出し、手当たり次第岐阜を走り回り日曜日にガレージに戻すサイクルがしばらく続いた日、四方山話のついでに会長のOfficeできれいに整備されたNRを見せてもらった。
 どこの誰かもよく分からず、ただバイク乗りの共通点から自分のガレージを貸してくれた、そんな感覚の一部が理解出来たような気がしてホッとした日だった。
 ありがたきかなバイク乗り...
但し彼は三輪車が本業とか名刺の肩書きには「内燃機関三輪操縦士」とある。


  貪欲な物まねから
  「ひたすら」追いかけ
  「頂点に立ち」   「独自性」を創り上げた
  その証が確かにあった。
  熱い時代の頂点だった。
  
   そんなマシンが会長の
  「タカラモノ」となっている。






 「みのがみ」という言葉で記憶にある美濃和紙。かつてその産業で隆盛を誇り、
今も「うだつ」の立つ町並みが残る美濃市和紙問屋の市街地が最後の散策となった。
ここで最近口伝えに縁起がいいといわれる友禅和紙のハッピーセットというものを買い求めた。来月よりFreeとなる身の門出に縁起を担いで。。。
 興味のある方、要Check!  

04/03/21

離ST2

   ST3という選択肢もあった。無論ST2をメンテしてさらに継続という選択も。
だが、選んだのはFJR。国産Touring Modelとして秀逸という評価は各誌でReportされている。

 岐阜に来てそれまでの走り方と違った部分に走行距離がある。地元岩手のTouringでは平均するとひとっ走り200〜250Km/dayだった。それが岐阜に来て300〜350Km/dayとなった。単身生活の気儘さもあるが、毎週のように出歩いてめぼしい所に行って帰ってくるとその位の距離になっている。大概、給油が入る。慣れはするものの夕方Touringから戻ってくると疲労感は強い。
 それがST2ならではとは思いたくないがクラッチワークのクリチカルさと合わせてニュートラルの曖昧さとかポジションから来る腕と肩への負担が疲労感を高めているのは間違いない。要はもう少し楽をしたくなったのだ。又岩手に戻れば走行距離は落ちるのかもしれない。でもそれはそれで、浮いた時間なり余力をアローワンスと捉えれば、より"Touring"の密度は高まる期待がある。

 とまぁ自己弁護の言い訳をしてみたが、岐阜から岩手への搬送を相談にレッドバロン可児店へ行ってみたのがきっかけでFJRへの乗換えを決めた。店頭にブルーの実車を展示していたのも誘惑にかられる呼び水だったかも。

で、1st impression
各オーナーのHPで表現している方がいるが。曰く
*クルマで言えば「アリスト」か!
*この頃スクーターに見えてくる!
*フレームへの蓄熱が半端じゃなく「熱い」
この3者の表現は正しい。少し大柄ながらもパワフルなクルマとか、イージーなギアの守備範囲とか、乗車位置からみたハンドル周りも!スクーターにも似ている。それでも身のこなしはヤマハ社の「思い」が十分込められているのかもしれない。キカイいやTotalシステムとしての完成度はSTシリーズの比ではなく。重量は多少重いが、とにかく乗って「楽」!。
 TourerでもDUCAはDUCA!のST2とは構成も違いハンドリングは「まったり」さを感じさせるがコーナーリングでは素直に反応する。リアのタイヤ幅を1サイズ落とせばもっと軽くなるかも。シャフトドライブもラフな発進時のピョコタンとするような動きはない。2、3速アイドリングでのろい市中は間に合う。初期Modelに比べ少し寝かせ、全長をのばした可変スクリーンも違和感は無い。但し立てた時の先端のブレと、透過して見る視界のゆがみがいささかチープ。ここはやがて手を入れたいところ。
 発熱は相当ある、排気量をカバーするラジエーター容量もあるだろうしカウリングされ、ひざを囲むような変形ツインスパーフレーム車種の宿命でもある、ひたすら走り続ければ良いのかもしれないが市内走行では。。。革パン着用が無難。。

 この可児から転居する前に慣らしは終わるかな?。OiL交換後、岩手に搬送することになるだろうが、ST2で岩手⇒岐阜へ移動したときより遙かに容易に岐阜⇒岩手へたどり着けるだろう。あと半月遅らせればきっと自走で移動することになるだろうが。。。
岐阜県内Touringもしばらく遠ざかる。ST2で走って気に入ったルートをFJRで辿ってみた。

04/03/14

離職

   岐阜に1年4ヶ月弱勤務、通算では30年余り続けた職を離れる事とした。
原籍の岩手では携帯電話。岐阜はカムコーダーを主力としDSC、携帯電話他、多種を生産する生産拠点。会社を辞めると言うよりこの職業を辞めるといった思いで数日前、生産していたカムコーダー1台を社内のショップで買った。
 これまで我が家ではビデオカメラとは無縁だった。多くの家庭では、運動会、学芸会、結婚式、旅行、子供達の成長過程を撮るとかで30歳前後のお父さんがその所有率を高めているのではないだろうか?
 自分はそれ程ビデオカメラに所有欲は湧かなかった。というよりその時期、家族を生活の中心に置いていたとはいえない。アメリカンシネマで出てくるような映画の中で古い8mmの画像にその物語の背景とか、ストーリーの布石を語らせるようなシーンにホームムービーとはいいものだなぁと感じながらも自分がそうすることはなかった。
 以前、アナログからDVの記録フォーマットになった頃PCでの編集をしてみた時にそれまで抱いていたホームビデオの画質イメージは一変し、劣化しない記録が出来る事と、小さくなった道具としての面白さに興味は持った。だが下の子が大学生になる今、成長過程でもないし当然自分の親達も、精々カメラと一部セピアに変色した写真アルバムの世代なわけで。ホームムービーとは縁が離れている。

 今、カムコーダーを買って見たのは2つの思いがあった。
携帯も特定の相手先への電話に限られる70も半ばを過ぎた親に使いこなせるものかは疑問だが余生の目から見えるものを撮ってもらいたい気もあって、オヤジへの土産として。
もう一つは特にプロジェクトX風の想いこみではないが、勤務地のそこで生産していた製品として実家に帰って離職の理由とか家族に話す時に使いたい。と思って買った。正月の帰郷時、家族には電器産業界の状況、自分の考え方とか離職の意思はそれとなく伝えておいた。はっきりしたものではなかったが。

 土日をかけ原籍地での退職処理のため岩手に戻った。前回の帰省で高山のパン屋で買った凝った菓子パンが好評だったので、今回もR41の高山を通り富山から北陸道に乗った。
 前回、強烈な吹雪のホワイトアウトで何度も立ち止まった数河峠は快晴。道端には3m程度の雪の壁。立山連峰が遠巻きに白く周りを囲む。

 この業種に就いたとき初めに携わったのは6石とかn石1ICとか表現したトランジスタラジオだった。R41を走る助手席には焼きたてのトランブルーのパンと隔世の進歩が作り上げた製品が置いてある。 この30年、相対してきたシゴトとそれから離れる思いを、子供達、年老いた親に解りやすくシンプルに伝えよう。そう思いながら数河峠を越えた。

04/03/07

弥生3月

   小雨、朝方には薄く雪の積もる週末。
身の周りの所用とH.Pのメンテ、サイト巡りで日が暮れる。
Infoseekに吸収された、かつてのLYCOS.サーバーに収納していた画像類がアクセス出来なくなっているようだ。 Link切れが起き、ボロボロのページになってしまった。
元々、バナーを流して使用料はただだよ!というのがこの手のサーバーなので、義務とか権利とかの制約は希薄でも。。。という様な思いもあるのだが、突然のCutはどうかと思う。来月4月には「Broba」が「ぷらら」に移管される連絡メールが入っていた。こちらは元々が「でんでんこうしゃ」系からの企業でもあり、しっかりお金をとっているプロバイダーなので、突然どうのこうのが有ってはならんのだがこの業界、集散は普通にあるものだから、PC内の元Dataは整理しておくことに越したことはない。

そんな3月の第1週「JAWAのfujinoさん」から連絡。「麻亜多”会」のステッカーを作ったとの事。早速、送ってもらった。
この3月後半、1年4ヶ月住んだ岐阜の地を離れる事にした為ST2の整備も頭にありアパートの近くにあるレッドバロンに行ってみた。
 岩手に戻るときは車とバイク両方自走は無理。搬送を交渉しておこうという事もあった。バイクは引越屋さんでも扱ってくれるのだが、やはり手馴れた所が安心だろう。
 で、多種多様な車種を扱う店内をうろつくのは目に悪い。。。。この際に乗換え。。。
という誘惑も湧き上がる。「麻亜多”会ステッカー」を持っていたので、剥離紙はついたまま店内の、これはという車種にテープで貼り付け画像を取ってきた。

まだ、この可児に居るうちにもう少し走れる時間があるわけだから、その時には送ってもらった「麻亜多”会」のステッカーを貼って走ってみよう。少し気恥ずかしい思いもあるが。

 

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