徒然なるままに

2005

'05,1 '05,2 '05,3 '05,4 '05,5 '05,6 '05,7 '05,8

 

2004

'04,1 '04,2 '04,3 '04,4 '04,5 '04,6 '04,7 '04,8 '04,9 '04,10 '04,11 '04,12

 

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12

 

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12

 

2000

 

 

 

'00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12

05/08/28  ドナドナ SKY。

 バッテリー、プラグ、ランプバルブ交換。キャブOH、タイヤチューブレス化、錆取り&フレーム補強&塗装、油脂類給油。シート張替え、リアRVbox追加。倉庫の隅で15年は眠っていた原チャリSKYのエンジンはキックは手でも「ポロロン」とかかるようになった。クラクラしながら30km/h+α以上では急に「何これ?」という位の振動でとてもそんな領域は続けられないほんとに安全なソフトバイクのスカイ。クラクラ&バイブの開始点は+30%近く上がった事を実感。

 夏休み帰省の末娘はそんなSKYに目を付けたようだ。運動能力に異常があるわけでもなく自転車は小学校に入ってすぐ慣れたが、小中高と通学は歩いて通った。キカイものには関心を示すことが少なくハードよりはソフト志向なようだが、通学チャリが盗難に遭い、代わりの自転車を友人から借り続けている状態にうってつけだったんだろう。
 13,4歳辺りから興味本位で親父の目を盗みながらバイクを乗り始めた自分みたいなオヤジ世代とは動機も違い習熟もない。車体だけ送って「乗っていいよ」は心配だったので、100Km強離れたアパートまで極力交通量の少ないルートを選びながら「練習を兼ねて乗って行け!」という事にした。
メンテ後、数Kmは走ってみたが、車齢二十歳を越える原チャリ。長い眠り寝起き直後の100Kmツーリングは、若干の不安もあり、乗っていけ!とは言ったもの、いきなりの100kmは乗るほうにも心配がある。結局AX−1に工具を入れ、盛岡まで併走。という事となった。

 あと1年半動いてくれるか!?売られゆくドナドナではないが、おそらく戻って走ることはないと思えば去り行く気分と言う事だ。
目覚めたSKYと乗り手の習熟を兼ね周辺を走り泥縄的に特訓!後、SKYを先頭にR456を北進。途中給油と休憩を挟み、最後の休憩は紫波町「野村胡堂記念館」、氏はこの地の出身という事でそのMuseumに入ってみた。名前はうろ覚えながら、この人が「銭形平次」の原作者と初めて知る。

05/08/20  雀との戦いはまだ続いている。

 常に人間の生活圏と同じ領域で生きている雀にしてみれば、ヒトの生態などはとうに承知していて上手くその間合いをとりながら生きているわけで、「雀追い」としてこちらが何かを企てても、数日で順応してしまう。
 ほぼ丸一日、ロケット花火を駆使して追い払っても、こちらが姿を見せなければすぐ又やってくる。「爆竹がいいよ」と先週行った「ゆうの里」のおゆうさんに聞いたので
(おぉ、これは過激な。。。戦術選択も性格をあらわすものか!?と思いながらも)早速爆竹を使ってみた。
 雀は何事が起きたか?というように一斉に飛び立った!。。。。がやはり少し経つとちょっと離れた電線に止まり、様子を見ている。長手方向に50mの細長い畑なので、何度か繰り返すうちに。爆竹の投げ込む範囲を学習したようだ。「接近戦には強いが投げ込む範囲は精々10mもない!」と
背を屈めて近づき、爆竹を投げ込み、雀が遠ざかった方向にロケット花火を打ち込む。と言う戦法を繰り返したが。次の日には又、やってきた。

 遊び半分で、風車の動力をつかって、なにか動いたり、音を出したりするものは出来ないかと、「道の駅」の民芸品コーナーで買ってきた、足がバネで出来ていて、叩くと「カチ〜ン」と音がする鳥のカタチをした玩具をくっつけて、カムとギヤで、作りつけ立ててみたが、何せ風がなければただ立っているだけの間の抜けた風車となっている。
 そろそろ稲穂も膨らみ始めているので、もう。。。。。と他力本願な厭戦気分になって来た。

 The ONSENコーナーリニューアル
 先週、勢いで行って来た姥湯温泉の画像を整理しているうちに、気になっていた「Onsen」のコーナーを書き換えることにした。
元々、ツーリングの目的地であったり、途中立寄りで撮った写真を系統もなく載せていたものだから、自分で見ても見づらいなぁと思っていた部分だった。まぁ書き換えた状態が見やすいとも言いかねるが、行っても画像がなかったり、今度行ってみよう!とかの選択が楽になるように 。。。と

05/08/13  姥湯温泉、峠の駅。ゆうの里テント泊

 。。つふがすなる姥湯参りといふものを、われもしてみむとてするなり。。。

「いいよぉ!!」「た〜いへんだ」と麻亜多”会メンバーの一部で話題の「姥湯温泉Touring」。

しかも先月行ってきたnafuさんの話も聞いたものだから、思い立ったら。と。。ホイと出かけた。
 スイッチバックがあってねぇ。との山道。すれ違い不可の太鼓腹状の細道舗装。ガードレールは無くて覗けば100mはありそうな谷底が見たくは無いが見える。あぁきついなぁと思ったら「勾配17°」との標識。なんだここはスキー場の初中級斜度とおんなじかぁ!?と結構スリリングでタイトなターンが連続する。速度調整に思わず、のFブレーキは厳禁。簡単にコケますぞ!

 最後のダートを1Km位進めばサ〜っと展望が開ける。正面に赤茶けた瓦礫と岩山が両脇から迫る谷のどん詰まり、沢登りならここが最後の難関。といった所そこが姥湯温泉。
駐車場からはつり橋を渡る。泊り客の荷物はゴンドラに乗せて運んでいた。宿の必要品もそのゴンドラが運ぶのだろう。登り下りの逆はあるが栗駒山中腹の湯浜温泉みたいなものだ。
 目の前の小規模な湯畑からすぐ注ぎ込む露天風呂は熱かった。上下2段になっていてどちらも混浴。露天女湯は別にあるが、上側の熱い湯船に浸って写真を撮っていたら、妙齢の女性が入って来た。結構あっけらかんとしているが勇気がなくてそちらにレンズは向けられない。

 帰り道、下り斜面のような道を下がってきたら、「峠の駅」という駅舎と「力餅」を作って売っている店の前に出てしまった。登っていくときにも矢印と看板は見えていたのだが、下りは道なりに降りてきたつもりが自然にそこに出た。せっかくだからここで、「力餅の冷凍版」を購入。
 この駅の福島側にはスノーシェッドに覆われたスイッチバック引込み線の跡が当時の名残りを見せる。こうまでしないと列車も登れない、それだけこの周辺の山が険しいということだろう。今は進歩した土木工事技術で山形新幹線が何事もなく通過して行く。

 泊まりは「ゆうの里」というキャンプ場を選んだ。宿泊地をネットで探して目に付いた。姥湯からは2時間程掛かりそうだがH.Pを見ていてユニークさとオーナーのこだわりを感じていた。結果OKである。オーナー自身書いてもいるが、よく場内にコンビニめいた売店、土産物店、小じゃれた建物やら、いかにもと云う様な金をかけた施設のキャンプ場は他にはある。ファミリーなりカップルはそちらを選びがちだとは思うが、ここゆうの里でも必要なものは全て揃っている。むしろ不要なものは無い!?無いものは必要ないのだ。ただ解からない物はある。
 何かのオブジェ?とも見える焼き切った鉄製のタンクだったり、お風呂バーナーを転用した様なソウチがあったり。これは多分BBQ炭火起こし部分と見たのだが。。。!?試作品もあるのか様々なタイプが転がっている。キャンプ&焼肉は定番なので外せないものなんだろう。

 オーナーの話を聞いて、更に周りの細かいところをよく見ると確かに建物のサイディングなんかも、色合いと模様が壁面の中で接いで張ってある。かなりの部分が手作りで出来ている。ちょっと間違うと変人が作り上げたヘンな施設になるところを、女性ならではの細やかな工夫、気配りでうまくバランスしている。ちゃんと風呂も二つある、しかも片方は露天だぁ!調理施設にはお湯も出るし、大きな冷蔵庫もある。ここの冷凍庫に「力餅」を入れさせてもらった。トイレも手入れが行き届いている。初めは怖いもの見たさ的興味もあったのだが。。。
 。。。やっぱり変人かも!?。だがこう云うヘンジンは好きになれるなぁ!とてもステキなオーナー「おゆうさん」だった。

 テントに一人寝だし、本来なら暗くならない内に夕食を作り終えて長い夜に文庫本でもと、思ったがあいにく出がけに忘れてしまった。途中のコンビニで買い込んだビールと氷、ツマミ。蚊取り線香を焚きテント脇で2本空け、ウイスキーに移った頃、空には天の川、山側の木枝から蛍が飛んだ。氷はほとんど溶けスキットルが空き、普段よりずっと早く眠りに落ちた。

 テントを叩く雨音で目が覚めた。時計は4時、起きるには早すぎる。日が出る頃には止むだろうと又寝たが朝になっても続く本降り。夕べ食べ損なったレトルト類を温めてゆっくりした朝食と身支度。挨拶して出発したら5,6Km走り途中で忘れ物に気付いた。峠の駅の「力餅」。冷蔵庫があったのをいいことに入れたまま置き忘れ!引き返してリアボックスに入れて降りて行くと「。。。だと思ったわ。。。」と笑いながら、かの「おゆうさん」は雨の中を見送ってくれた。

05/08/7  日照りの時はアセを流し、テープを張って、カラスを吊るしてバケツを叩き、ロケット花火!?

 都会でゴミの収集場を荒らすカラスは驚くほど賢い。と云う事だが、雀の賢さも中々のものだと感心の1週間だった。

 今年も梅雨明け宣言はしないのかな?と思っていたら日本海、北海道と梅雨前線が押し上げられ消滅。教科書通りに梅雨が明け。「。。。どうやら東北地方も」と宣言。もっともそんなにはっきりした定義はないそうで、その宣言が出る前から、雨は少なくなっていた。
 蒔き時が早すぎたのか梅雨の間に、草丈が1mを越えて、蕎麦ってこんなに伸びるものか?以前、産地の畑で見慣れた、一面白い花に覆われたきれいな蕎麦畑とは少し様相が違って随分背丈の高い緑の上に、バラバラという感じで花で覆われ始めた。ヨシヨシと思いながら畑に立ってみると雨で倒れ、くの字に育った茎以外にやたら倒れている茎が目に付いていた。
 数日してその原因が分かった。雀の仕業だった。自宅周辺には20羽前後で集団を組むグループがいることも分かった。その一団が我家の蕎麦畑で若い実をつついている!!

 蕎麦の茂みでうごめいている一団に近づくと一斉に飛び立った。離れてしばらくすると又寄ってくる。又行って石を投げ込む。丁度中心辺りに投げないと逃げない。結構ずぶとい。
蕎麦の実を雀が喰うとは思いもしなかった。今まで見た蕎麦畑で雀対策なんか見たことはなかったし、角張った硬い蕎麦の実を触ってみると、鳥がつつくとは考えもしなかった。
早速コメリに行って見るとこれから稲が出穂する季節。雀対策グッツが棚いっぱいに陳列してあった。その中から表裏が赤と銀色の雀追い用のテープを買って来て張った。が、テープ直下には寄らないが畑の端の方に入って来る。次に、カラスの模型を先のテープが張れていない辺りに一つ吊るした。これは効果大!!雀は近寄ってこなくなった。ヨシヨシとこの日は終了。

 翌日、効果の確認に行ってみると畑の隅の茂みが少し揺れている。バケツを叩いたら一斉に飛び立った。やはりカラスから離れた所に入っていた。確かに風がなければ、ただぶら下がっているだけだし脅威はなくなるのかもしれない。それにしてもしつこいヤツだ!としばらく家の窓から双眼鏡を手に観察していると、どうも風とカラスの模型の因果関係はなさそうだ。雀を追っ払った後、しばらくすると、畑の脇の電柱にやって来る。そこから注意深く辺りを窺がい、隣の畑に舞い降りた。そこから地面をチョンチョンと歩いて蕎麦畑に入るのだ。これも思っても見ないパターン。おそるべし雀の執念。

 コメリに行ったとき、ロケット花火も棚に下がっていたのを思い出し10本程買ってきた。どうだ今度は飛び道具だ!どうも蕎麦の茂みに打ち込むのには、道路が側を走るためちょっと間違うとヤバイ事になりそうで一度雀を追い払い、向かいの山の一角にある栗の木に集合したところを見計らい、狙いを定めてその雀軍団の中心部に「ヒュ〜〜ン」と打ち込み、栗の木の葉っぱの中で「バーン」とけたたましく弾けた。これは効果絶大!!!それまで見える範囲でしか逃げなかったものが、遠く見えなくなるまで逃げていった。対雀戦第2ラウンドは戦力勝ち。

 雀戦争はまだ続いている。ロケット花火の追い払い効果はあるが、しばらくすると又やってくる。今度はそれまでの集団戦ではない。一羽、又一羽とやってくる。敵はゲリラ戦を展開し始めたようだ。この戦いは、蕎麦の実が硬くなるまでか、稲の穂が伸びるまでは続くのだろう。やはり種蒔き時期は七月後半で結実は稲の後のタイミングがセオリーなのかもしれない。

05/08/1  雨付きの天気予報が外れた「交通安全パレード」

 2,3日前から見ていた天気予報は日を追って、降水確率が下がっていった。それでも当日の朝刊には50%と言う確率で残っていて、内心(昼辺り少し雨が降ってくれたほうが!)と思って合羽持参で集合場所に出かけた。
首の手術後、まだあまり経過していなくて参加取りやめ!、出張明けで!、、仕事で!、、等々。皆勤賞組みの不参加が多かったが、逆にこれを期に初参加の車両もある。
スタートは11台のバイクが駅東側の駐車場に集まった。
市町村合併を秋に控え「郡内」交通安全と謳ったイベントとしては今回が最後になる。現、東磐井郡としても1周して120〜30Kmを5時間余りでパレードする形態自体、新しい一関市への統合下では物理的にも成り立たない。10年続いたイベントも今回が最後。

 途中合流の車両もある中、恵みの雨も降りて来なくて、むしろ午後からはジリジリした夏の日差しにでグッタリしたころ「旬」の駐車場迄130Kmのパレードイベントが終了。麻亜多”会で一番過酷なTouringとの名言もあった。
まずは冷えたビールと行きたいが、居酒屋の駐車場にバイクを集団で停め、中で酒盛りはまずいだろう。アルコール無しの冷たい飲み物で一息着け新しいメンバーとのMeetingでひとまず。今回のイベントは終了。
 AX−1を自宅に置きに戻り、冷たいシャワーを浴びて、のん兵衛を自覚するメンバーが、「バテた〜」と畳みにごろりと横になったnafuさんが居た「旬」に引き返して今度はアルコール入り冷たい飲み物付きご苦労さん会に突入。

 


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