徒然なるままに

2007

'07,1 '07,2

 

2006

'06,1 '06,2 '06,3 '06,4 '06,5 '06,6 '06,7 '06,8 '06,9 '06,10 '06,11 '06,12

 

2005

'05,1 '05,2 '05,3 '05,4 '05,5 '05,6 '05,7 '05,8 '05,9 '05,10 '05,11 '05,12

 

2004

'04,1 '04,2 '04,3 '04,4 '04,5 '04,6 '04,7 '04,8 '04,9 '04,10 '04,11 '04,12

 

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12

 

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12

 

2000

 

 

 

'00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12

'07/ 2/ 25    イオンスーパーセンター一関店Open

 木楽庵への通いルート県道r19を東大橋で右折してまもなく、午前9時頃は丁度この日開店したイオンのスーパーセンター一関店辺りを通過する。
 工事中の時から開店を告げる看板は「来春」→「2月21日」となり工事の進捗につれその大きな店舗の前に停まる工事車両も重機から各工事過程の車両。機材搬入。商品搬入車両と開店への準備が着々と進んでいる様子がうかがえていた。

 開店前日の新聞に折り込まれたチラシはほぼ新聞紙大サイズ8面と一関周辺で新規開店する最大のショッピングセンターらしい設え。そのチラシでは開店時間は丁度9時。そんな大型店の開店イベントなんて見たことも無かったのでミーハー興味で朝通過する時に入れたら寄って見ようと思っていつものペースでさし掛かると、すでに900台停められるという駐車場は満杯の様子。パーキング入り口には200m程も道路上に列をなしている。
 道路から見える駐車場のクルマ越しに5,6人位横並びでそこに連なる開店待ちの列はずっと店の裏側まで回っているようだった。そういえば朝の何時もの県道r19もなにやら枯葉マークで50km.Keep&ブレーキランプがよく点滅するクルマがやたら多かったような「いやぁ平日でも朝から駆けつけるヒトがこんなにもいるんだなぁ。。。」と、客観的に見ればシルバーヘアで枯葉マークも似合いそうな自分は棚に上げ、それでも駐車場まで入れれば入りたかったが並んだ人混みに諦めて庵に向かった。

 24時間営業。とコンビニ以外はそんな店はないので、これからはちょくちょく寄らせてもらう様になると思うけれど、目当てのホームセンターの品揃えはどんなもんだろうと帰りがてら、まだ開店の混乱が続いている夕方、寄ってみた。
 期待したホームセンター区域は東側にあり、車を停めた西側駐車場からは随分歩く。
自分もそうだがOpen物見遊山のお客が多くて人ごみを掻き分け店舗の東側に向かう。辿り着いた頃には何を見たかったのかよく分からなくなっていて「ヒトに酔う」状態に陥っていた。
 ホームセンターの陳列を一通り見て、帰り際いつものビールもどき飲料とイオンブランドのラーメンを調達して帰った。

 陳列はきれいで品数も多かったけれど、道具、資材類はこれまで通り「コメリ」で賄えるので特にイオンの世話にはならなさそうだ。ただ食料品、飲料はこれから結構お世話になりそうだ。
24時間営業のスーパーは本当にコンビニエンスでありがたい機能なのだけれど、そういった便利さが普通になっていいのか?と云うような事がよく脳裏に浮かぶ。
 便利になった「分」それだけ別な生産的な事につながればいいのだけれど楽になってそれでオシマイ。。。というのは貧乏性な性格だから。という事か!?。TV,Audio,Videoは既に大分前からリモコンで照明、空調もそう。スイッチポンで動く機器は身の周りに一杯あって、自分らの年代で小学校生時分ではSF的生活になっているのだけれど、生産性という言葉はふさわしくないかも知れないが、そうやって楽になった分、もっとレベルの高いヒトのイトナミに寄与しているのか?と思えば、そうではなくて、グウタラ方向へ流されているだけだなぁ。。。と思える事しばしば。

 木楽庵周辺は先週降った雪も消えてきた。また寒い日なり雪の日もあるだろうけれど春先の消え易い雪のはず。「そろそろ山仕事も始めなければ!」とまずはユンボにバッテリーを載せ、運搬機もオイル、燃料を入れ始動チェック。
 結構ヌカルミの多い山なので、排水溝をめぐらし、山道の整備をしておこうと掘り始めたけれど、度々スタックとキャタ外れ。ま、トレーニングも兼ね、次の間伐作業の準備をすすめる。

 

'07/ 2/ 18    昼食時間

 木楽庵生活をしていると、お昼時間は結構ばらつく。天気次第であったり、手がけた作業の進捗次第であったり、遠くから聞こえてくる広域PAの放送の聞こえ方次第であったり、友人とのメシ時話しの盛り上がり次第だったり、ビールの旨さ次第であったりだ。
20分で切り上げる時もあれば、2時間越え、酔い覚ましで「萩の荘温泉へ突入コース」まで多種済々。まぁこれ位が木楽庵住人最大の恩恵。気楽さを求めてた一つと思ってるのだが。。。

 かく云うここの住人、菊爺のカイシャ員生活での昼食時間は就業規則上は40分だったか?人にもよるが、大概はチャイムが鳴り終わってから食事に動き出し、食事時間終了のチャイムが鳴る前にはそれなりに仕事に入る姿勢だったような気がする。就業規則で40分であっても実質35分程度が平均的だったような気がする。
 おそらく民間企業、特に工場とか決まった空間の中で仕事をしている場合ではその位が普通なのでは?外回りが多かったりしても、相手先とのアポイントを優先するわけだし、接客業とか相手がいればそれが優先するのは当然。手術が長引いたとしてもその医師、看護士が手術を中断しメシを食いに行くなんて聞いた事がない。それは決して朝昼晩の昼を日報誌言うトコロの「1日3回の食事の中で、昼食の存在価値が一番低い。」にするものではなくて、ヒトの生活パターンがそうなっているのだ。

 前置きが長かった。先週2月6日の岩手日報の朝刊コラム風土計に「県職員の昼食時間が1時間から45分に。。」という事が掲載され、「へぇ〜県職員は昼食が1時間だったんだぁ」と云う程度しか認識が無くて、そのコラムでは1時間という「昼食時間の有給/無給の時間内訳」などが説明としてあり「15分は無給時間だから。。」「ゆとりがなくなる」とか分けの分からない説明の後に、最後にようやく昼食時間の短縮はいかがなものか?と書いたコラムだとわかった。
(※当コーナーは約1ヶ月毎の掲載らしく、月を越すと閲覧出来なくなるかも。。)

 サンドイッチはゲームをしながらでも食べられる軽いメニューという事でカード好きの貴族の誰とかが考案した食べ物だそうだ。ハンバーガーはなんで米国で出来たのだろう?と研究したわけでもなく。どこかに書かれていたわけでもないが。短い間ながら、かの地で一緒に仕事をした限りではアメリカ人の昼食にはハンバーガーがよく合いそうだ。
 「日本人の勤勉さは無くて週給の為、週末にはサラリーを使い果たし貯蓄も少ない。。。云々」
団塊の世代末端にぶら下がるような菊爺世代の中学校ではそんな風に、教えられたわけではないがアメリカジンを評するセンセの話しとして記憶している。
 自分が仕事をした場所はメキシコに近いCA南端の街で合弁した工場だったので、現場、直接系は主にメキシコ、ベトナム、チャイニーズ、コリアンと間接、マネージメントにはアングロサクソン、アーリア系が多く人種はそれこそ様々で現場系は先の人たちがずっと多かった。

 確かに現場のメキシカンの中には「週末のハッピーアワーを楽しみに稼いでいる」と話し、現に週末はマルガリータorテキーラに終始する人たちもいるが、野心多きメンバーは見た目の割りには旨くないアメリカンランチメニューをササッと掻き込み。或いは片手にパン、片手に何かのドキュメントを眺めつつキャンティーンの隅で(雑音に邪魔されないように)食事を取って飲み残したカップをもってそそくさとデスクに戻っていく姿が多い。そういう人の中には終業時以降カレッジに通いキャリアアップに励む人も多い。定時制高校に通いながら働く青年が多かった団塊といわれた世代が働き始めた日本の様に。
 かつてセンセが説明した気の抜けた様子は少ない。「アメリカ人も稼ぐヤツは日本人よりも稼ぐなぁ」というのが実感だった。そんな昼食場面にはハンバーガーがよく似合う。そういえば小学生時代にTVで観たTV「名犬ラッシー」とか「ライフルマン」とか米流ドラマのランチでは工具箱みたいなランチボックスに紙袋に入れたホットドックみたいな食いもんだったようで、そんな食事は1時間はおろか30分とはかからなかったろう。
 今の時代良くも悪しくも世界No1となってしまった米国の国力の元はそんなバイタリティが大きな要素になっているように思う。落ち着いたゆとりのある1時間の昼食も取らない風習がフレンチ、中華、日本懐石、他々で**料理を称されるような「アメリカ料理」なる言葉を生み得ていないのかもしれないけれど。。。

 新聞のコラム欄を読んだときは、「何を甘ったれた。。。」みたいな前記の思いを抱いたけれど、それを話題として書く気まではならなかった。
1週間経ち、今度は岩手放送の夕方のニュースTVで、この「県職員の昼食時間変更」の余波らしいニュースがあった。なんでも盛岡の県庁周辺の飲食店経営者が連れ立って役所に押しかけたというのだ。昼食時間が短くなって庁舎から出て外食にでる職員が少なくなって売り上げが下がった。これは死活問題なので昼食時間を戻していただきたい。または時間をずらして。。という人もいたがこちらは売り上げに効果はないと思うが、なにせ庁舎から出て自分の店で昼食を取ってくれという事らしい。
 さらに追いかける様に岩手日報では「盛岡市内丸かいわいの62%店で客が減少。。。」と商店街のアンケートを掲載。一連の抗議からか新聞/TVメディアが取上げられたからか「盛岡市は昼休み時間を短縮せず」との方針を固めたと云う報は2月17日の日報23面。池田克典助役は「職員の健康と福祉のためにも1時間の昼休みは必要と谷藤裕明市長は考えている。。。云々」とお手盛り采配となったようだ。官製談合と似たような根を持つと思うのは妄想では無いと思うのだが。

 どうもコラム欄では「ドイツやイタリアなどの欧州諸国に比べ...」とか「ゆとりが...」とか!?
「わずか15分で県民への行政サービスが向上するとは思えない。」という表現で終えた文章もなんか変な記事と思えたが、この新聞の記事もTVのニュースも世間ズレした感じを抱いたのは自分だけだったのだろうか?。
 辺境とはいわないがこの岩手の地の多くの人は決まった時間で毎日キッチリ1時間のランチタイムを外のレストランなり食堂で食後のコーヒーまで過ごしてはいないと思うのだ。そうしたいとは思ってもそう出来ているのが世間の標準ではないはず。
 トンデモ政策「ゆとり教育」の発想と類似したスローガンで「頑張らない宣言」と言ってしまった増田知事ももこういったメディアから焚き付けられてしまったのだったのだろうか?
ゆとりだけ求めて頑張りもしなければ増田さん推奨の赤字競馬場に行く金も出来ないさね。。

 押しかけ抗議も騒げばカネが出てくると気勢を上げるキムチ国のデモめいていて、こちらは御用達商売にすがる既得権益者風。食べ物やさんは何と言っても味とリピーターを確保する工夫が繁盛のモトと思うのだが。。。。いづれ固定した1時間昼食には大した価値はないように思うし、はたして1時間の昼食時間を必要とする行政サービスとはなんだろう?
 以前たまたま役所への手続きが出来た高校野球の季節、甲子園からの中継を就業時間内と思ったがTVを囲んで眺めていた役場職員の姿を思い出してしまった。

 山仕事でも役所への届出用件「伐採届け」と云うのがあって、最近は役所の様式もNetでダウンロード出来るタイプが増え便利になった。
 今回、その必要とする様式もダウンロードページ(DL)があって、「さてDLを。。。」としたが出来ず。ファイルのリンクが外れているようだ。担当者へメールをした所、添付ファイルで返信してくれたので用は足りたのだが、このページは自分が気付いてからも2週間になろうとしている、実際はどの位の期間、機能していない状態なのか分からないが今だ回復していないようだ。短くなった昼食時間のせいではあるまい。「おXX仕事」の1つのパターン。
 ま、かく言う自分の親。そろそろ80歳になろうとする年金暮らしの両親はみのもんたの思いっきりTVを眺めながら1時間超の昼食+α昼寝が日常なのだが。。。

 今週はせっかく暖冬になれてしまったのに珍しく雪の多い週となった。インドア生活が続くと余計なものが目に入り無用なぼやきが多くなるなぁ。

'07/ 2/ 11    『ヒトラー 〜最期の12日間〜』

 2時間36分程のちょっと長い映画ながら、あまりダレル事もなく見ることが出来た。字幕の方がリアルさが高まるのだろうけれど、英語も殆ど分からないのに独語はまず馴染みがなくて、幸い吹き替え版も同時に提供されているので、自分はそちらを見た。
 2004年公開という事だが独国映画という事で、映画通の方は知っていたかもしれないが自分は知らなくて又、常に悪の権化として評されるかつての自国の指導者を描いた事の面白さというか興味が高かった。(日本版で東条英機〜最後の12日間〜なんてのはなかったしなぁ)
 レビューも感想も書かない方がいいですね。まぁ自分の感想などは大したことはないし観る時は先入観は無い方がいいですからね。GYAOで3月1日迄公開中。

 興味を引かれたのは、何でも今年は中国映画で「南京」をテーマにした映画が4作とか5作とか公開されるといい。既に先月から米国のサンダンス映画祭で中国系米国人作家、故アイリス・チャン氏のベストセラー「ザ・レイプ・オブ・南京」を下敷きにしたとも言われる米英中の合作「南京」が公開されたようだ。
 制作者の方では「ザ・レイプ・オブ・南京」ではなく当時、南京に駐在していた独国ジーメンス社の「ジョン・ラーベ氏の日記に基づく」とし、中国の人民日報では「ドキュメンタリー映画」!?と言っている。ジョン・ラーべ氏は「ヒトラーへの上申書」と言う南京事件の報告をその日記から起こしており、「上申書」はそれなりの強調される部分もあろうかと思うが、日記自体は当時の様子を客観的に伝える記録として評価が高い資料のようだ。

 この南京事件から70年になるという事で、反日教育の一環としてもこのテーマが取上げられる事は分かるが公平さとの隔たりは否めない。「ジョン・ラーべの日記」にしても当時中国で仕事をしているビジネスマンの視点で書かれた記録で、戦闘が身近にあった時代とはいえ民間人の日常性に与えた衝撃を記した日記にはその衝撃をより伝えようとする表現が多用されただろう。客観的な全体としての数値を補完するような信頼性については分からない。
 特に中国の白髪3千丈やら自己中の歪曲、国暦半万年のパクさんリーさん国ほどとは言わないが中国4千年の歴史やら中華思想と混合した中共政策の反日。針小棒大な対日文言を常用する中国の国策からは反日プロパガンダとしての意図を考えざるを得ない。

 戦争の中の狂気。として済ませられるわけではないが、そういった狂気状態を話せる人として上村冬子氏は分かり易い。これも独国つながりだが、何でも先の大戦、奇しくも「南京」の前年1936年にかの国のヒトラーユーゲント少年少女が同盟国特使として来日したのだそうだ。
 当時出迎えた同年齢層の少年少女の熱狂振り。「自分もまさしくそれだったし、向うの(何とかという)歌を大合唱して出迎えた。そうした事は誉れであり誇りでもあった。」そうだ。と今考えればあり得なくとも大人も子供も戦争の狂気にあり、そうでなければ戦争遂行は出来なかった。と

 南京の日本軍による虐殺事件として報告を受けた。そのヒトラーを描いた映画と、その報告した事件現場の国。それぞれ当事国から制作公開される2種類の映画を見比べてみたいと思っているが、今回『ヒトラー 〜最期の12日間〜』を見たような充実感が残るだろうか??
自虐感に捉われるわけではないがChina国作は独国作の様に素直に見れないなぁ。。。    

 木楽庵生活は戦争に供する様な武器には程遠い「P子」の性能向上作戦進行中。
何とかビールのツマミになってくれる奇特な「焼きモノの元」がちゃんとP子の弾に当たって獲られてくれる日を待ちわびながら。。。 


'07/ 2/ 4    朝ごはんに納豆

 どうやら「発掘あるある大辞典」の捏造番組の影響は去って、またまた朝ごはんに納豆パックが戻ってきた。
 実際この「あるある」もそうだし、みのもんたの「おもいっきりTV」なんかの影響も大きくて、番組に取上げられた翌日はその食材がスーパーで品切れとか、「スーパーも番組を見て仕入れ量も変えるらしい」とかの話もそうだろう!と思うほど影響はでかい。

 80歳目前となった両親の行動パターンなんかを見ていると、まぁ今は冬場という事もあるけれど、子供の頃によく言われた「TVば〜り見でいるどバガになんだぞ〜〜」と言われたその言葉をそっくりお返ししますよ!!  という位、朝食前には朝ズバ。昼飯時には思いっきりTVと、みのもんた様々で、まるで彼の言う事は教祖様のご託宣のごとく信頼しきっている。
 文化放送の「セイヤング」時代をリアルタイムで知っている自分などの世代からすれば、現役最前線で活躍できている事は驚嘆ものだがラジオ時代も偽者くささがあってむしろ一昨年あたりひょんなことで「今は社長かぁ」とこちらも感心した「カメカメエブリバディ」と叫んでいた「オールナイトニッポン」のほうが共感を持てたものだった。  

 「あるある」の場合は番組がつぶれる位のよろしくない事をした番組関係者ではあるのだけれど、鵜呑みにして納豆を買いまくる方もおかしい。おかげで我が家のコストパフォーマンスの高い食材でありがたい納豆も数日、食卓から消えてしまった位だったから。
 公共の。。とか良識の。。。とか毎日の様にTV画面から言語明瞭にトウトウと話すから。。。理路整然とした文章が活字になって全国版で配達しているのだから。。。のような由緒ある既成メディアほど鵜呑みにしないほうがいい。

 かつて入試なり採用試験でも取上げられるほどの人気があったコラム天声人語を持つ朝日新聞なども1879年の創刊時代から今日までの沿革などを見ていると、決してニュートラルな報道を続けている訳でもない。Wikiで検索し沿革を見ると捏造ジケンも多い。「従軍慰安婦」なり「南京事件」なり右側からはそれこそ捏造と叩かれている騒動の発端キャンペーンなどもある。
 ただこういった不信につながる報道なり情報番組自体が新聞のような「紙媒体」とかTVの「放送媒体」もそうで読者の声とか該当インタビューなどと視聴者の声といった相互性を演出するが、基本的にワンウェイの道具であり、Web概念とは異なる。いま「ジャーナリスト宣言」とか言うフレーズのCMを流す必要があるほどの危機なのかもしれない。

 一月ぶり、今年初の世相徒然ネタ。。。が「納豆」ではちと我ながらインパクトはないが。まぁそんな事より、ようやく3週目でログテーブルはひとまず完成。 




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