徒然なるままに

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12  

2000

      '00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12
 

03/07/27

 下呂温泉

   何度か、この町のバイパスと、R88を通りながらも、その湯には入らずに過ぎていた。東側の山沿い、やや高みを通るR41からは大きな規模の観光温泉Hotelと思われる建物が多く見える。「ひなびた…」という感じからは遠い、規模の大きな温泉街である。自分が好む温泉とはちょっと違う気がするが、それでも3大名湯といわれる温泉には入ってみたいと思っていた。
 何でも、駅から温泉街に渡る橋の傍。川原に無料の露天風呂があるとの事。駅の近くにクルマを止め、温泉街に向かって歩いた。橋のたもとで茶碗をおいて、岩のくぼみに水かと思ったらお湯を流し込んだ造りがあった。手を入れると熱い。そこから下の川原を見たらスッポンポンの男性がいた。岩で囲った湯船がある。広い川原にポツンとある露天風呂らしい。すぐわきを流れる川では鮎釣りの姿
 しばらくすると40歳前後に見えるお父さんが娘を連れ、入ってきた。たまに聞くが娘が高校生位になっても一緒に風呂に入る父娘がいるそうだが、その類かもしれない。…自宅ではいいのだが、さすが露天風呂のある上のほうの橋からは結構ギャラリーが多い。お父さんは立派に仁王立ちながら、娘さんは恥じらいで顔を上げられない。まぁ、それはそうだろうし、どこかお父さんの思い違いもあるように見える。
 自分は、そこから歩いて2,3分ほどにある「クアガーデン」という屋根のついた露天風呂に入った。川原のあっけらかんとした露天風呂は大したものだが、自分がTryするときは夜間にしようと思う。

  

03/07/27

 「麻亜多”会」Touring記録

 東北のバイクシーズンはおよそ4月から11月辺りまでの8ヶ月位。それでも4月、11月は風は冷たく結構、防寒装備が必要。今頃がシーズン中間点となる。
 走行中の映像など、常にActiveな撮影をする「隆一つぁん」から、乳頭温泉と遠野方面の画像が届いた。
乳頭温泉Touringその@
乳頭温泉TouringそのA
遠野方面Touring
として画像をUPした。

 話では、女性ライダーが増え随分、華やかになったようだ。一斉に揃ったら台数が多いTouringの難しさもあるだろうし、無茶も出来ない。それでも賑やかさと楽しさもあるだろう。
 Dataがそろったら会員ページも手をいれておこうと思う。

 Mailの終わりに、「今、地震があった…」とあった。翌日のNewsでは震度6が3回。観測史上初めてと報じている。震源からは50〜80km位はなれており、5月後半の地震より揺れは少なかったようだが、震源が内陸に入り、直下となった宮城県北部は被害が出たようだ。震度6クラス3回とはどのくらいのエネルギー放出か分からないが、これで収まればいいが…
 昨夜、窓の外から花火の音らしきものが聞こえてきた。長良川、八百津、関市。と周辺3ヶ所で花火大会が催されたとの事。その中の近い音が届いたのだろう。花火、夏祭り、盆踊り。夏のイベントが始まれば、夏も折り返しか…。

  

03/07/19

 雨のち曇りのち雨のち曇り

 今頃の梅雨前線は平年だと太平洋側の高気圧に押し上げられ、次第に日本列島の北側にあがり、梅雨が明けてゆく。
 天気予報では今年は北の高気圧が強いと言っている。前線は列島の南側に下がり、それが北側に上がって行かないと梅雨は明けない!?5年ほど前もそうだったとの事。梅雨明けが報じられないまま秋に入っていったのは10年くらい前だった。
 今日の天気図は前線の西側は対馬海峡あたりにあり、東側は列島のはるか南、硫黄島辺りから北東に延びている。切れた中央部に日本列島が入っている格好。中国本土から朝鮮半島にかけいくつもの低気圧のマークが入り乱れている。九州北部では集中豪雨。梅雨明けは近いのだろうが、天気図は荒れている。

 地球規模の時間の流れではほんの一瞬の極東での大気の流れなのだろうが
 「…サムサノナツハオロオロアルキ…」宮崎賢治が詠んだ70年程前は自然環境と生活の距離は今より遥かに密接したものだった。 この70年の時間の中で一次産業の比率が下がり、冷夏、旱魃といった現象が直接、生活に影響しにくくなった今、天気の話は挨拶言葉にも少なくなったかもしれない。
 普段から屋内でのシゴトに関わっている中では、バイクに乗り始め身体の周りを流れる空気の熱さ、冷たさ、雨、がより身近になっている。山々、木々の色合いの移り変わり。道端の草花。雲の流れを見上る事も多くなる。
 バイクで出かける事が増えた今年、都度ページを作っているが、梅雨のこんな日は写真を整理してページに入れなかったCut集でも…
(画像Link)もう一枚、載せようかとしてやめたCut上半期集。

  

03/07/13

(画像Link)ビーナスライン〜美ヶ原

 復活第一弾のOutRiderの巻頭記事は信州「ビーナスライン」だった。乗鞍スカイラインが乗り入れ禁止にならなかったらそちらになっていたと思う。
 長野周辺ではそれくらいバイクで走って充実感のある有数の高原ワインディングロードが多いのだろう。日本「アルプス」と命名したがる山々が連なる自然があるわけだから高原路もそれなりに多い。
 中央自動車道、土岐から入り諏訪ICまで。そこからR152を辿ればビーナスライン。そこまで行けば後は時間次第でコースを決めよう。場合によったら先週行った野麦峠を通るかもしれない。あるいは高山、せせらぎ街道か。前の晩は行く先に向かうルート決めと帰りの方向を頭に入れる位で夜がふける。

…… で、ビーナスラインは遠かった。7:00時出発、帰りは19:30だった。
茅野から蓼科へ登り始め白樺湖辺りまでは別荘が立ち並ぶリゾート。霧が峰へ向かう途中でその名の通り霧に包まれた。1600m位にある扉峠でガスから出た。美ヶ原方面は曇ってはいるが、もう少しは持ちそうだった。驚いたことに1900mを越すその小さな台地に美術館とガソリンスタンドがあった。出掛けに入れたタンクは残り少ないようだった。走行距離は250Kmを越えており。これ幸いに補給。
レストハウスで腹ごしらえをしている内にぱらぱらと来た。霧が峰からのガスはつながったようだった。山の下側は降っていないだろうと早めに松本まで降りた。渋滞している市街地でノロノロしている内に本降りになった。幸い、美ヶ原から降りるときに着ていた雨具は、結局R19を南下するに従い強くなる雨脚に、家に帰るまで脱ぐことはなかった。
 今度又、天候を見ながら再度Tryしよう。  
  

03/07/05

(画像Link)御嶽山〜野麦峠

   8時頃、重宝している自転車を駆けKTC会長さんに借りているガレージまで行きバイクを引き出し、一旦アパートに戻り身繕いした。
 R19木曽川沿いに松本に抜ける下道を行き、御嶽の山頂に近づけるスキー場に向かった。可児からはR19にショートカットして中津川の先まで行ける雰囲気でツーリングマップルには載っている。
 何回かそれで悔やんではいるのだが今回のネックはR65だった。もくろんだ短縮時間30分は逆に30分Overとなってしまった、迷路のような込み入った細道に翻弄された。

 目的の御嶽ロープウェイスキー場にたどり着いたのはもうすぐ昼時の時間だった。そそくさとゴンドラに乗り標高2150m地点まで登った。乗鞍の奥に槍ヶ岳。正面には八ヶ岳連峰。少し南側に駒ケ岳3000m級の山々が見渡せる。地図上ではこの御嶽山、南斜面には温泉が多く点在する。6合目まで周回する、岩手山周囲の八幡平樹海ラインに似たパノラマロード!?を経て手軽そうな「中の湯」にたどり着いたら…。随分前に閉めたようだった。普通スキー場の近くにはペンション村とかが有るものだが、ここには無い。閑散としている。

 開田村に降り。蕎麦を食べた。マップルにも載っていた手打ち、期待の田舎蕎麦。10割蕎麦と言うのだろう。色が濃い山形蕎麦街道を思い出す歯ごたえだった。自分にはこういったごつい蕎麦があっている。細めの白っぽいのはカレー南蛮。とか暖かいメニューを選んでしまう。シンプルなザル蕎麦はゴツゴツした荒い、噛めば蕎麦の香りが広がる田舎蕎麦に限る。

 蕎麦を食べた後は、高山まで出て、R41を下るつもりだった。時間と天候がもてば気に入ったせせらぎ街道で…と思っていが、高山方面に向かっている途中、道標に「野麦峠28Km」と現れた。この峠もいつかは行って見たいと思っていた。少し迷って、まずは行って見ようと通行量の少ない、山道に入った。途中、野麦街道旧道が出入りする。総じて、今の舗装路の下側。谷間に沿って峠に続いているようだ。
   「野麦峠」の映画はTVで見ただけだが、明治後期。信州の製糸工場で働く飛騨の糸引き工女の物語だ。12,3歳から二十歳頃迄、現金収入の無い飛騨の貧村の少女達は一家の生活を支えるため、この峠を越え信州の製糸工場で働き、年越しにはまた野麦峠を越え、もらった給金を胸に抱え飛騨に戻る。
 見ているうちに涙が流れた。おそらく見た人は大部分がそうだったのではないだろうか!?そんな思いがあったので、その地を見てみたかったのだ。本来は雪の中であろうし、今のさわやかな季節は工女が検番さんに連れられ峠を越えたその厳しい状態とはかけ離れているが自分が若い時に歩いた雪の山行を思い出だせば、当時の状態にわずかながら想いは近づける。
 今の山歩きのような防寒装備の無い当時は天候のいい日を選んだであろうが峠越えには案内看板に書かれているような「政井みね」兄妹のような悲劇も数多くあったのだろう。

 峠は3時半頃下り始めた。高山を経由したら遅くなるかも。天気予報は20時までは持つだろうと言っていた。夜から明日、日曜日午前は雨だと。以前に行った鈴蘭峠を通れば下呂の北、萩原に出る。下呂まで下がれば温泉だぁ。
 と、そそくさ下呂に出て、入れる温泉を探している内にパラリと来た。天気予報より2時間早い。温泉には未練が残るが、夜間、雨中Ridingは嫌いだ。夜の走行でスモークシールドに雨は最悪。コーナーでの倒れ具合が分からなくなる。危険この上ない。航空機パイロットの空間識失調とまでは行かないが。自分の姿勢が分からなくなる事とは、それに近いことだろう。
 雨はしょぼしょぼだったが、ガレージにたどり着くまでには結構濡れた。仕事が残っていたのか、かの会長はまだ居た。こういったTouringの帰りでバイクをしまいこむ時に会うのは2回目となる。尽きない話も雨だからとして、四方山話しの3合目辺りで帰ることとした。大分慣れたフォールディングバイクで。

  

 

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