徒然なるままに |
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06/10/28 | まだ辞職者はないようだねぇ?
「教育する方が、受ける方にインチキをしてどうやってその教育を受けた方が正しいやり方を身につけられるのか?」 というトコロが見た限りのメディアなどの意見。なんだけれど、本来ならそんな風にしてしまったそれぞれの責任のあるヒトたちの責任の取り方はどうするんだろう?その身の処し方もまた教育であるはず。最近珍しく義憤を感じた高校での必修単位未達ジケン。 被害を受けた高校生は訴訟を起こすわけも無いと見ているのだろうなぁ。その結果が目に見えるモノでも無いだろうし単に「おバカな人造り国家になってしまったかな?」 とかなんとか何所かで舌を出している人間がいるかもしれないということだけだね。歴史認識云々を国家間でのかけ引きに使われてしまう程度の世界史教育なのだからこんな事態になってしまうのもアリエールという事か。教育現場系の担当を責立てて自殺者でも出たら寝覚めも悪いが、融けて流れてしまう氷山の一角となってウヤムヤとなるのではなく、せめて何人かは職を辞する位の気骨を示して欲しいものだ。 かの「ゆとり教育」の結末、総括はどうしたのか?試されたようなその期間を通過した生徒こそ哀れ。結局「ゆとり」を享受したのは誰だったのか? 「中高一貫」も過度な高校受験対応を緩和する。というような国家指導者(Statesman)ならぬ政治屋(Politician)が良く使う「言葉の言い換えによる欺瞞」で耳障りのいい部分だけを言っていませんか?少子化で生徒数の囲い込みで雇用確保に汲々している姿の方がイメージし易い。中学〜高校12歳から18歳辺りの時間を同じような面子の社会だけで経過させる事が本当にいいのか?孟子の母親が引越しを重ねたのは何の為?。「教育を施す」だけでは得られない環境変化が与えるその子への自発的な成長の機会は確実に少なくなるだろうなぁ。。ゆとり教育の失敗はそれを実行する現場にそれだけの準備も力量もなかった事。自信がなければそれを補う情熱を示してくれれば生徒も親も信頼を寄せるのだろうが。ケイサツドラマ、医者ドラマに匹敵するくらいセンセイドラマもTV番組では定番職業ドラマのカテゴリーでそれだけ期待感をもって頼りたい聖職領域なのだから頑張ってほしいなぁ。 高校教育では世界史について大した価値と捉えていないせいか、日本周辺国から「歴史認識云々」と一方的にせめ立てられ、そんなことを執拗に繰り返されれば自虐的快楽に身を任せるようになるのか(笑)最近右よりの話しが表立ったり報道されれば幾分気分がスッキリするような俄か右寄り風潮になる。それでもいまだ支那国の暗部めいた報道は避けられ続けている。 ※今月中ごろ一部で話題になったチベットの巡礼者への銃撃ジケンも普通に報道したのは産経だけだったし朝日に至っては、中国当局の大本営発表みたいな文章を垂れ流すだけで、注意して自分で探して見なければ事実には近づけない。ま、産経/朝日では当たり前の反応だろうが、こんな歪んだ報道でもなんら問題意識を持てなくなってしまう。 ※チベット巡礼者への銃撃ジケン :URL=http://www.youtube.com/watch?v=P5sWncFiYnA ※youtubeが悪いのか?UPした側が下げるのか?ヤバそうな映像類は突然消えることが多いのでリンク切れが発生し易いようです。消えていたら「チベット 巡礼」とかで検索すれば、多分見れます。 You tubeにアップされている映像だが、ヒマラヤへの登山チームに同行したルーマニアのメディアが偶然撮影したものだそうだ。チベット問題も今の支那国ではすっかり中華鍋思想で料理され、朝日が垂れ流した全く違う報道になってしまうのだ。さてどっちを信ずるかは受け取る側の認識次第なのだが、適当でおバカな世界史教育をやっているとどれが正しいか判断出来なくなる。やっぱり教える側がインチキすれば学習する事はインチキでしかない。 それにしても殺害行為を画像でみてしまうと「一目**」のインパクトがある。 そんなこんなで深まる秋も今週は雨で不規則な山仕事。先週から炭窯用にユンボで掘った穴に雑木を詰め込んだ。素人窯なので何所がどれ位重要なのかがわからない。ただどう見ても天面のドームは難しそう。炭焼き関連サイトを眺めると、結構ここが壊れた。というのが多い。1回目は詰めた木が支えるので何とか火の具合大きく間違えなれば出来上がりはともあれ炭は焼けそう。問題は2回目以降も使える窯になるかどうかだ。 素人ならではの無謀な炭焼きの準備 | ||||||||
06/10/21 | 今年は不作の年!?
秋晴れが続いて、蕎麦刈りと稲穀き。稲はモミにして去年の8割の収穫量。梅雨が多少長かったけれど台風の被害はなかったし倒伏被害も無い。ただ稲刈りをして背丈が低いとは感じていた。我が家では、コンバインを使うほどの作付面積でもなくハセ掛けして脱穀するむかしながらの方法なので稲刈り後のハセの間数でも平年比でどうか?という事は比較は出来るが米となる量は脱穀しないと当然分からない。ハセ掛けした稲藁の量としては昨年とほぼ同じ。ソレを脱穀してモミを入れた麻袋の数で去年の8割ということだ。 蕎麦はまだ乾燥中なので収穫量は分からない。去年は1ヶ月も早く蒔いてすずめの被害も受けた。今年は時期をちゃんと合わせたけれど、作付面積はチョイ少ない。それと刈った時分にはかなり雑草の勢いに負け気味だったので、それが収穫量にどう影響するかは興味深々なのだが、刈った蕎麦を束ねた限りはこれも去年に比べ7、8割か!? 今年のクマの出没頻度が高いのもブナの実が少ない。不作だからという言うニュース報道もあった。まぁクマは去年もその前も「平年よりもずっと多い。」とか言っていたような気もするが。ただ、この不作。「今年はナリモノが悪い」というようなサイクルは確かにあって今年はそういう年なのかも知れない。。。とそんな世間話を交わしていたら、鮎の不漁の年は「ナリモノ」も悪い。という話しが出てきてそもそも「鮎」の字。「魚に占いと書くのはそう言ったナリモノを占えるサカナ」だと俺は思っているんだよね。と 確かに今年の砂鉄川の鮎漁は全くの不漁だったらしい。自分は山通いで今年は鮎竿も一度も振らずじまいだったが、「今年の鮎はさっぱりダメ!」という事は聞いていた。ただ原因は直接か間接的なのかは分からないが「上流域で川の浄化として「EM菌」を流したから。」とも言われていて、誰がそんな近視眼的な事を。。。と思っていたがむしろ鮎の字源としての「占うサカナ」が占った結果としたらなんとも説得性のありそうな話しと感心した。 実際どうなんだろうと家にかえり「鮎」の字源なるものをネットで検索してみると、どうやら3説あるようだ。 音読みでは「ねん」と読み、一年限りのサカナ「年魚」からそうなった説 つくりの「占」は占うという意味合いで作られた説。(今回の話しそのもの) 「占」は占有の「占」友釣りで良く知られた成魚時の縄張り作る事から占の字をあてた説。 ただ漢字の国、中国では「鮎」と書くと鯰(ナマズ)の事らしい。日本でいう「鮭」の字はかの国では「フグ」の事らしいから同じ漢字を使う部分があっても和訳化の中での誤訳も随分あったのだろうし、漢字が伝わった当時も和漢バイリンガルが完全な歩く辞書みたいなヒトは殆どいなくて適当な訳もあったんじゃないだろうか!?。でも自分は「占う」サカナというのが夢のあるような話でそれが本当と思いたいなぁ。 で今年は締めてどうなのか?はあと2ヶ月もすれば分かるのだろうが、去年はあんまりキレイじゃないなぁ!?と見えた紅葉は、朝晩の冷え込みが早めに来ているような今年の方が鮮やかになるかも。。 蕎麦刈りを午前中で終わり、午後からこの日はFJRで須川温泉に向かった。 | ||||||||
06/10/14 | 2週連続FJR Touring。
立て続け。というか前週に続いただけで、数年前は毎週の様にバイクで出かけていたのが、今年はパッタリと言うほど出かけなかったので、今週も。。。と思うだけなのだが。 夏場は頻繁にAX−1で山通いをしていたので、バイクで出歩くということには慣れているはずなのだけれど、乗るバイクがFJRクラスとなるとちょっと気合を入れないと乗りにくくなってきた。立ちゴケでもダメージは大きいので頻繁に乗っているAX−1とは緊張感が違う。 ま、今年はFJRに乗るのは4回目なので「体が馴染まない」という事もあるが、やはり「重い」という事が影響しているはず。走ってしまえばむしろ安定して安心なのだが、家についての疲労度は全く違う。ビールなんか飲んだらそのままゴロ寝Modeに入る時もある。 今回の収穫は、「キノコ」を一つ憶えた事か!?。 「木楽庵」の周囲には今が盛んとキノコが生えていた。よく分からないものだから「毒キノコ」が怖くて採ってはいない。今回のTouringでキノコを専門に扱っている産直で並べているのを見たら、木楽庵周囲でひときわ目立って大きなヤツと良く似ている。自分の目には同じ種類に見える。 ここは「キノコ」に詳しい旬のマスターに御教示を!と聞いたらやはりそれは「本しめじ」という事が分かった事だ。「香り松茸、味シメジ」の「シメジ」だ。先週周辺を見て回ったら、「ムラサキシメジ」らしいのもあったが「本シメジ」と分かったヤツは方々に生えていた。Touringの翌日、勇んで山に踏み込んで歩いたのだけれど、生えていたと記憶していたところには殆ど姿が見えない。小一時間ほど回ってみて、ようやく10本程度。小さいものと傘が広がり割れたヤツのみ。山の中は踏み跡らしきものが見える。Touringに出かけた日は天気もいい祝日だったので、キノコ採りも来たのかも知れない。せっかく憶えたのに。。。と思ったけれど、これで「本シメジ」だけはしっかりメモリーされて残ったようだ。 ![]() ケイジ、トキシラズ、ギンケ、メジカ、ブナ、ホッチャレ。よくブリなんかは成長の過程で名前が変わり出世魚という言われ方をするが、終末期になって数ヶ月の間でこれだけ形態も変わり呼び方も変化するのはこの鮭だけかもしれない。ブリもそうなのだろうけれど呼び方が変わって行くのはそれだけヒトの生活に身近な存在だったという事なんだろう。 | ||||||||
06/10/7 | 熊の数、鮭の数、人の数。
数年前から、高齢化社会とか出生率の低下とかの報道がよく耳に入り、今回の新しい首相になって掛け持ちながら2代目の小子化対策の担当大臣まで出来ている。反面。。。「反面」なんて対比出来る数値や対象では無い話しだけれど「熊」は増えているのだろうか?これもよくニュースに上がるようになって来ていて、現に身の周りで生々しい足跡やら糞やらを真近にすると、増えているんじゃないの!?という様な気になってくるけれど実際は分からない。密度やら分布で推定しているだけだしマクロ的には「生息域が圧迫されて絶滅に瀕していく」と言われる野生種なのかも知れないが、少なくても山通いを始めたせいもあるが随分身近にはなってきている。 鮭は?積極的な人工孵化と回収というか、産卵で戻る習性を使った漁も盛んでかなり管理された漁業形態になって、そちらは安定した人口ならぬ鮭口というか数なのだろうし、下水道環境やら日本では河川の汚染が結構過去の問題になりつつあってどぶ川も回復してきて、鮭が遡上する川は増えているらしい。 木楽庵の山のふもとを市野々川が流れている。萩荘、R457沿いを西から東方向に流れ磐井川に合流し一関市街を外れた東側で北上川に注ぐ。北上川からは鮭の遡上を阻む様な堰堤もなくて水質さえ異常がなければ鮭が上がってきて不思議は無い環境にある。 「山遊び」の場所を決める際にも、ここら辺りに下見に来ていた去年の11月、この市野々川から山に踏み入る橋の上から瀬を上る鮭を見て、その光景がかなり気に入って決めるポイントとしてだいぶ点数を稼いだ要素だった。 先月の中ごろから「そろそろ。。。」と川を見ていたが、今週初めの雨で遡上に勢いがついたか橋にさしかかった時に聞こえた「バシャ」という水音が今年、遡上する鮭を見た最初だった。単独で上がってくるものもあれば、赤い縞模様の婚姻色が目立つ少し大柄のオスとペアなのか、数匹で追いかけっこのように上って来る様子は見ていて飽きない。この川のそばで生まれ育ったわけでは無いので過去のことは知らないが、近所で知り合いになった人が言うには「一時期はあまり見かけない時もあったけれど最近は随分多くなったヨ。」というものだった。 旧約聖書に、【生めよ殖えよ。「地に満ちよ」】と言い方、訳語表現は違いもあるようだがこの「地に満ちよ」は同じで、その通り人(或いはJudaか)は地上を支配せよ。といっている事は確からしい。この部分がこの宗教を考えると、いつも何か引っ掛かりになっていた。 もっとも言い伝えられ、書かれてから2千年も経った今とその2千年前では人口もまるで比較にならないが、逆にその「地に満ちよ」状態に人はなって来ている。まだまだ地球はこの増えた人をあぶれさせる程、狭くも貧弱でも無いはずだし、あぶれたわけでは無いのに貧困と飢餓、争い事による抹殺はある。 ヒトの社会システムの不完全さでそうなるのだろうが、そのシステムがより進化してそのような貧困、飢餓、戦争がなくなれば、本当にヒトは地にあふれて満ちるものなのか? 日本は格差、不公平があるとは言え少なくとも、エリア一帯が飢饉状態で飢餓に陥る事になることは1800年代の「天保の大飢饉」以来無い。まぁそれでも高々200年程の安定かもしれないが。それまでに無い規模の大戦争に負けた時でも腹は減ったろうが飢餓ではなかった。 着々と人口が増えたもののピークを越え減少に向かい始めた。慌てて少子化対策やら「生めよ増やせよ」ではないだろうが、人口の減少は国力の低下とかいう政治家もいて。もはや自分などはそんな政策に貢献できる年齢ではないが、そんな対象年齢のヒトはどう思うのだろう、あほらしいと思うのではないだろうか? 「高福祉」が有名なスウェーデンは日本の1.2倍程の国土に日本の人口に比べ1/16の800万人位しか住んでいないという。そんな国では数10万人も人口が減ったら国力に響くのは分かるが1億3千万に近い日本でたとえスウェーデン全体の人口位が減少しても国力云々と言うのはそもそもはその社会システムがおかしいか、仕組みを講じて制御しているのが「バカ」でしかありえない。高齢化を支えるため、若い層の税収をあてにしなければならないのでヒトが減っては困る。と臆面もなく言ってしまう仕組みの異常さとも言える。 まさか、高福祉、高負担はクニの奴隷というお方もいて、いきなり「社会科学の実験国家」とも言われるスウェーデン式を試そうなんて事も無いだろうけれど人口減でも、まともに運営出来る仕組みは出来るはずだし、民間企業なら効率とProfitの増大が命題で「規模の大を追うべからず」とは禄を食んだカイシャの設立趣意書にはそう書いてあった。そもそもが【生めよ殖えよ。「地に満ちよ」】と刷り込まれた人種でも無いし、欲求に過不足ない社会システムと適正なヒトの数があるような気がするのだけれど。。。と最近、熊の糞と川を上る鮭を見ながら、あの鮭が獲れないものか。。。などとつらつら眺めつつ。 | ||||||||
06/9/30 〜10/1 |
煙の匂い。焼き芋の味
ようやくヘルメットのシールドに虫は付かなくなった。多分、日中の温度の高い内はまだポツポツと当たってこびり付くのかもしれないが、木楽庵通いの行き帰りはクリアーな視界を保てる。春先の虫は5月後半辺りからシールドに付き始めた様な気がするから、今の季節は4月、5月初めと同じようなコンディションなのかもしれない。 初夏には時おり青臭いというか草の匂いが入ってくる。匂いに気付いて辺りを見ると、走っている道端で草刈りをしているか草を刈ったあとだ。今はたなびく煙が見えなくとも野焼き、もう少し経てば籾殻燻煙の匂いが漂ってくる。ジャケットの上を流れる空気の温度で感じる季節に加え匂いの変化もバイクならではの季節感。 暑い時期のツーリングもいいのだけれど、めぐる季節感に浸れるのは春先と秋口かもしれない。今年、秋のクラブツーリングは宮古−田老-岩泉-遠野コースとなった。土日をかけて(旧)田老町に取った民宿で海鮮料理をツッツキのんびり一泊出来る。明日は早い目覚めか? そんな前日、木楽庵では盛大な焚き火。夏場には汗だくになって燃やした芝木もこの季節にはあまり火から遠ざかる事もなくビール片手に焼き芋を楽しむ。 ここで言う焼き芋の芋は「芋の子」「里芋」の芋!。友人が小学生のあたりに焚き火で食べた芋といえば「芋の子」だった。という事から今が旬の芋の子を焼いてみることにした。 丁度今週、NHKの「ためしてガッテン」で里芋の煮物の美味しい調理方法を見たので、 この里芋の焼き芋を興味津々でやってみた。結果、今まで味わった事のなかった芋の子の味! 「ためしてガッテン」では2層になっている芋の子の皮の内側の薄皮が取れない様に調理することがポイントだった。とすれば皮を取っていないままの芋の子の焼き芋は旨く食べる方法の素直な調理方法の一つとなるわけだ。友人曰く「これはン十年前と同じ味だ!!」 |
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