徒然なるままに |
2006 |
'06,1 | '06,2 | '06,3 | '06,4 | '06,5 | '06,6 | '06,7 | '06,8 | '06,9 |
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2005 |
'05,1 | '05,2 | '05,3 | '05,4 | '05,5 | '05,6 | '05,7 | '05,8 | '05,9 | '05,10 | '05,11 | '05,12 |
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2004 |
'04,1 | '04,2 | '04,3 | '04,4 | '04,5 | '04,6 | '04,7 | '04,8 | '04,9 | '04,10 | '04,11 | '04,12 |
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2003 |
'03,1 | '03,2 | '03,3 | '03,4 | '03,5 | '03,6 | '03,7 | '03,8 | '03,9 | '03,10 | '03,11 | '03,12 |
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2002 |
'02,1 | '02,2 | '02,3 | '02,4 | '02,5 | '02,6 | '02,7 | '02,8 | '02,9 | '02,10 | '02,11 | '02,12 |
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2001 |
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2000 |
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'00,4 | '00,5 | '00,6 | '00,7 | '00,8 | '00,9 | '00,10 | '00,11 | '00,12 |
06/ 9/ 24 | 変な支持率
週中の自民党総裁選。今までの首相イメージをガラリと変えた小泉首相の次を務めるのは大変だと思うが、巧妙な語り口でも5年も同じような言い方を聞けばさすが飽きも来るし、言葉ヅラの背景にありそうな裏を考えたくなる。そういった意味では世間的には小泉さんのユニークさとは別なキャラクターを欲しがっていたのかもしれない。ただ表面と本音はねぇ。。。 何と言っても多数決で勝つ政党のTopになれる人間がこの国の首相になれるシステムなので、今現在は自民党党首しか首相のメは無くて26日に予定されている首相指名選挙によもや安陪晋三以外の人物が指名を受けるわけは無い。年明けから既に「安陪晋三首相」へのシナリオが定まっているかのごとく、「圧倒的」とか「70%以上の支持」とか報道され、総裁選が近づくにつれ提灯持ちも目立って来ていた。 小泉チルドレンと称された議員の行動を象徴的に表現しているのか「片山某議員とか佐藤某議員」とか知名度の高い女性議員が「美しい日本へ」とかを書いている安陪晋三著作(!?)の本とペンを差し出し安陪氏にサインを求める姿が映され、そんなもんだよなぁと多くが思ったはず。 投票結果は 安陪晋三 464 票 66.1% 麻生太郎 136 票 19.4% 谷垣禎一 102 票 14.5% という結果だったけれど、Yahooの「みんなの政治」コーナーで9月8日から行っていたネットユーザーからの投票では(※いつまでこのページが公開されているのか分からないが) 麻生太郎 7844 票 55 % 谷垣禎一 4384 票 31 % 安陪晋三 2202 票 16 % だった。もちろん自民党員と自民党議員のみの総裁選と、支持政党によらない投票では結果に差があるのが当然なのだけれど、 この結果は差と言うには大きすぎる。後者は自民党党首の成れの果ての首相ではなくて、直接選挙的な大統領選的な投票傾向 なのかも知れないし、サンプル数と偏向の適正かどうかもわからないし、マスメディアの報道も安陪氏偏重的というか出来レース公認 と云った報道の流し方への反発か判官びいきもあるだろうが、案外これはこれで一般的な期待を表すものかもしれない。 それだけ安陪氏に対しては「雪崩をうったような。。。」とか「御輿担ぎ」とかといわれる党内動向やらメディアも追従するサマに対するそれら既成への反動なのか、やたらダーティな部分が取上げられる。事実の正確性は知る由も無いが特に特定宗教系への傾倒めいた話しが事実で首相として下す判断に影響を及ぼすならそれは当然問題だ。 言語明瞭意味不明とはよく聞く政治家の口なのだし、思わず口が空いてしまうような発言、演説を小泉さんは繰り返したけれど今度の阿部さんはどうだろう?小泉さんはスローガンは打上げて具体化は丸投げとよく言われたが、阿部さんは?情緒的な思いは言うがやはり具体性が無い様に思える。とすれば政策化は官僚任せ、さらに具現化は役所任せとなるのではないだろうか?「美しい国へ」ではどう表現しているのか読んではいないが、「再チャレンジ」の具体策などを書いている様には思えないが。。。美しい国に生まれ育ちたいけれど安心できる生活基盤を持ち得ることすら難しくなりつつある不安を解消したいのが多くの思いでは?再チャレンジしなくてはならないような状態には本当はなりたくないのだよ! トップリーダーとしての基本は信念主張を明確に表現することだと思う。言質を捉えられ「政治的な意味合いを持たれるおそれがあるためあえて少しぼやかす。」みたいな姑息な手段で何を言っているのか分からないような禅問答みたいな話し方が政治家の口で良いわけは無い。トップを委ねる方はその信念なり主張を頼りに或いは担保として舵取りを委ねるわけだから。 ま、51、2歳でも政治の世界では若さを訴えられる程、日本の政治システムは老齢化しているのかもしれないし未知数的な部分が多いので期待したいのだけれど「初の戦後生まれ宰相」が先の小泉首相が舵を切って何年後かに表れるどういう結果を更に見込みで切り増すのか或いは正常でまともな将来へ導けるのか?後悔しない選択になればいいのだが。 今のパターンでは一般有権者が選んだ議員サマ同士が決めることとはいえ、有権者は直接、安陪氏を担ぎ上げたわけでは無い。今度の参議院選挙をネタにマキャベリックな駆引きをするのではなくて早いうちに国民の信を問う。というような衆議院選挙をすべきだと思うなぁ。 | ||||||||
06/ 9/ 16 | 猫と熊
熊猫といえば支那国ではパンダなんだろうけれど、ここでは単純に猫と熊の事なのだ。 大きさも色柄とかも違うがこの2種はどちらもネコ科という事で、科目の科は結構大雑把な括りだから別に「ネコと熊を掛け合わせて」なんてことも実現性は無いだろうし、そもそもよほどの関わりがなければ熊をペットにしている人は少ない。ま、よく行く「萩の荘温泉」ではごつい鉄棒に囲われた檻で少し毛の抜けかけたヒグマ('07,1/31ツキノワグマから訂正)が飼われているけれど、どう見ても普通のペットのように可愛がられているようには見えない。 知っている事はあくまでも猫といえば思い浮かべるのはペットだし、熊については北海道、登別の熊牧場か近年の秋口辺りから熊出没とか言われて人に被害が及べば即「駆除」の対象になること位だが、少し前までは「熊の胆」と言えばそれこそ「・g」で「ン万円」とか珍重されたものらしく、その「熊の胆」を提供した本体は「熊汁」か「熊鍋」となって雪深い山郷の貴重な動物性蛋白源となっていたわけだら、「犬」は今でも喰っている国もある位だし、赤犬は旨い!とか言う話も聞く位なのでペット界でもよもや食われる事なんか心配の無い猫とは全く立場が違うわけだ。 先月の中ごろ、日経新聞金曜日夕刊「プロムナード欄」に寄稿しているホラー作家の「坂東真砂子」はそのエッセイ第7回の「子猫殺し」で「猫殺し女」としてブログ界では怒涛のようにバッシング、TVメディアも叩いたし、一足遅れで今も週刊誌などでは駄目押しでいびられている。1ヶ月も経った話題なので、事の中身、経緯はよく知られているだろうが、この位時間がたてば「生まれたての猫を捨てる。。。(殺す)と云った行為は【見たことも無い・考えられない】って言う事もなくて、むしろ20年位前はよく聞いた様だし、今でもあるのでは!?」というような論調から、自分勝手だと断罪された当初のバッシング一色に対する弁護めいたブログも結構出て来ていて、今は賛否の賛とは言わないまでも、単なる否定だけでは無い主張も多い。 坂東真砂子の猫殺しは子猫だし、「崖から捨てる」という方法なので、反撃されて怪我をするなんて事は無い。確かに人によって様々な自責の念を思いながら事に及ぶのだろうが、それによって猫が絶滅するわけでも無い。むしろアッケラカンと話したりすれば、ことにそんな大新聞のエッセイなどで書いたりしたものなら今回のようなヒステリックな騒ぎを招く事など分かっているだろうから、普通の人は話さないだけなんだが、第7回の「子猫殺し」だけを見て反応すると単に「なんだこの女は?」になる ので第1回分から通して読むべきでしょう。ただまだ彼女の真意はよく分からん。その後のコラムも 引き続き読む必要があるのかもしれない。この辺はさすがプロの作家だね商売が上手い。 猫はそういった論議にもなるけれど「熊」の場合は大分違うからなぁ。 民家の近くなり、畑に出没して、襲われた。とか怪我を負って、地元猟友会による「駆除」とか言う状況はTVのニュースで見るくらいで「へぇ〜熊が出たのかぁ」という感じだけだった。ところが先週の「マムシ」に引き続き、ついに今度はソイツが身の周りに現れたらしいのだ。雨上がりにくっきりした見たことの無い足跡を見つけてしまった。 その足跡は、少なくとも犬、猫の大きさではないし跡の形からはカモシカとかの有蹄類ではない。異様に大きい肉球と指の形がはっきり現れている。今まで見たことの無い足跡で人間の裸足の足跡にも似ているが、横幅の割には長さが全然短い。自分の知っている限りの乏しい知識の中で、消去法で残るのはやっぱりこれは「熊の足跡」でしょう。 違ってくれればいいという思いもあるが、この辺りで確かに熊が出歩いている!という事を前提に対処しないといけない。突然の出会いは厳禁で自分の存在をはっきり知らしめる事だろう。熊用の鈴は山通いを始めたときから着けてはいるが、ラジオとかでもっとはっきり人間の存在を鳴らしながら知らせ歩くのがいいかもしれない。問題はそれでも出会った時だ。聞けば登り方向への逃げは絶対負けるそうだ。逃げるなら下り方向だ。でも100mを7秒で駆けるとも言うし、そんな能力の相手に逃げ切れそうに無いときは? 素手で仕留める事などプロレスラーでも難しいだろうし、狩猟許可の無い普通の人が用具で使用できるのは「槍」「棍棒」「パチンコ」位な様だ。まさか槍を持って歩くわけにはいかんし、パチンコなんて熊には役立たないだろう。玉込めも手が震えて思うように行かないかもしれない。とすれば結局「棍棒」しか身を守るものはないのかぁ。。。ということだ。 で、出遭ったとする。熊が向かってくる。さてそん時は?「棍棒」を持っていたなら多分その棍棒を振るうだろうなぁ。具合よくチェンソーなり草払機でも持っていたならラッキーで、しかも回転歯が付いているわけだ。絶対それをブンブンフルパワーで熊に向かうだろう。 憶えている限りでは、先日は近くにあった椅子で殴って撃退したとか、巴投げで投げ飛ばし追い払った例もある。巴投げは70歳代の爺さんだったような!。基本は避けることだろうが、いざとなればその熊を殺す勢いで戦わないと殺されるか大怪我を負う事になるわけだ。 一ヶ月位前から、小屋の周りに猫も出没している。多分近くの民家の飼い猫だと思う。こちらに気付いても大して慌てるそぶりは無い。食べ物、残飯の類は当初、雨宿り小屋の出来る前、袋に入れてストックしておいたカップ麺がことごとく「カラス」に奪われた経験があるので、今は冷蔵庫なり箱に入れておくので、猫とはいえそういう食べ物をあさる事はない。 なもんで危害も被害も無いので、猫を見かけても特に追い払うことも無ければ、餌を与える事もなく、適当な距離感で相手もこちらを見ている。ひょっとして小屋の隅にでも子猫を生んでしまったらどうするか考えてはいないが、今のところそんな褥になる藁の類も無いので、そんなことは無いだろう。 ヒトと動物でも互いの不利益、不都合が無ければ手は出さないはずだが、熊の場合はかなりの確率でこちらに危害が及ぶ事は、今までの起きている例でも分かる。母熊の本能、若熊の腕試しなど、大概はヒトを認識して遭遇を避けるらしいが、認識していながら攻撃される状況がある。だから普通はヒト側も熊との衝突は避けるのが基本だけれど「戦って殺す」状況はイメージしておく必要があると思うのだ。まぁヒトとクマの陣取り合戦みたいなものだけれど猫殺しは? 坂東真砂子の場合は今飼っている状態から増えるのは何らかの不都合があって「崖から捨てる」と言うことになるんだろうが、避妊も後から捨てるもどっちにしたってヒトの都合で行う行為なわけで、愛護だ倫理と主張するなら飼うべきじゃない。もしそういう主張のヒトが山でクマに出会ったらどうするんだろう?クマ様の生息域だとして、その地を明け渡すのだろうか? 坂東真砂子はブログで始まった批難がTVに伝わった辺りに一度反論して、その時も「作家という職業柄、豊富な言葉で自分を弁護しているだけで主張には矛盾やらこじつけ、すり替えが多い」みたいな事を言われていたようだが、その後は音沙汰がない。せっかく面白くなったところなのに、「で、どうなの?」が分からない。この際どっちかが「参りました。」という位バトルして欲しい。 評論側が愛護とか倫理とかと美しく言ってもどうもその厚み深みが感じられないのは気のせいか?背景となる倫理観とか宗教観とか生死を考え備わる観念が希薄なせいなのかもしれない。今もあるのかどうか分からないが理科の「蛙の解剖」以外に、ケツに麦わらを差し込んで膨らましてこっぴどく怒られるとか、物心の付きそうな時分だから許されるいたずらでも奨励すべきかもれない。歳をとってから初めて「蛙に麦わら」なんてすると「ばかか!」となるさなぁ。 ま、話は戻って自分の猫と熊の場合はせいぜいネットで見つけた熊よけ用のカプサイシン入りスプレイ「カウンターアソールト」と適当な棍棒でも探して備えておく位しかないなぁ。 ただ、この時点でどの位の熊の出没があるのだろう?と、携帯のカメラで撮った足跡を添付したメールで市役所に問い合わせたら、なんと、自分が仰天した「足跡」なんて普通っぽいようで > 一関90件、大東25件、花泉5件、東山5件、室根3件(一関以外は9月上旬の件数)です。 > 足跡を目撃された萩荘地区では、お盆過ぎから情報が増えております。トウモロコシやりんごの食害や住宅地での目撃情報があります。 > 一関では2頭(7・8月)が捕獲されています。大東でも捕獲許可が出ていますがまだ捕獲されていません。 との事だ、今年も数件TVでの報道があったけれど、ニュースになるのは人間に被害が出たときだけで、2頭も捕獲されていてもあまり大きな話題にならないという事はうまく共存しているものか? 「1対29対300」のハインリッヒの法則とやらによれば人身被害も発生しそうな!? | ||||||||
06/ 9/ 9 | 。。。
いつかは遭遇するんだろうなぁ。。。と思いつつ、丸5ヶ月の間、山仕事をしていて目撃したのはただ1回。カモシカも1回だけだったけれど、一番会いたくないと思っていたヘビは体長30cm位のちいさな「ヤマカガシ」を1回目撃しただけだった。中学生位までだったら、たかがヤマカガシそれも30cm位のやつなど、足元の石ころ1つを目の前にかざしてパッと手を離して自然落下の末、頭を一撃で仕留める程度。 無害だと認識していた「ヤマカガシ」が実はスゴイ猛毒をもった毒ヘビだったことなど、そんな歳のころは全く分からず子供的残酷さを発揮していじめ殺していた報いか、大人になってからは「ヘビの類」は、見れば股間が「ゾゾゾ」とくる高所恐怖症に似た嫌悪感に包まれるようになってしまった。 里山とはいえ始終、森の中の藪を歩き回ったりしているわけだから、そんなときは常に嫌いなヘビがいないかと足元に目を凝らしながら歩いていたのだけれど、今までは先の1匹しか出会っていなかった。 その日は最近バイクに自信を深めているトライアスラー見習いのMr mokazawa@が自分より一足早く木楽庵に到着して「チャリ漕ぎ」の疲れをほぐそうとブラブラ散歩してクールダウン中。というトコロに出遭わしてしまったのが、そいつの不幸だったようだ。 「さっきあそこにヘビが居たんだよね。。。仕留めたんだけれど。」という事で見るのはいやなのだけれど、本人も仕留めた相手の「素性がよく分からない」という事でその検分に立ち会った。枝の先で藪を掻き分けたところにドテッと在ったソイツは紛れもない「マムシだ!」 雨宿り小屋から10m位の頻繁に歩き回る道の脇で首の骨を砕かれてノビていた。 本人はいたって平然としているが、自分の股間は今にも失禁に及びそうなほどにザワザワしている。その辺りに放置も出来ないし、埋葬するわけにも行かないし、焼酎漬けで精力酒なんてことも出来なくて、毎日の廃木焼却の火の中で火葬にする事にした。 枝の先にブラブラさせて焚き火の傍まで持ってきて「ボタッ」とトライアスラーに落とされたソイツは、首の骨が折れているくせに、首から下側のずんぐりBodyは首と頭のダメージなど何にも無かったかのごとくクネクネとのた打ち回った。。。。。と書きながら思い出すだけでザワザワしてくる。何十年かぶりにみた「マムシ」はやはり並みのヘビとは違ってかなりしぶとい!その生命力が「精が強い」と珍重されるところなんだろう。 この日は5ヶ月で1回しか見ていなかった「ヘビ」がどういうわけか、また1匹トライアスラーmokazawa@に見つけられてしまったようだ。自分がユンボで側溝掘りをして昼上がりの昼食を摂りに小屋に戻る途中、林の中を跳ね回るトライアスラーの姿を見た。その1,2m先には地面近くをすばやく逃げ回る小動物の影。てっきり「リス」みたいな小さな動物を追いかけているのだろうと思ったら、そのターゲットは「ヤマカガシ」だったそうだ。さすが2匹目はその遺体確認をする気にはならず、林の中には入らなかった。これからキノコの季節で今シーズンは何種類かの絶対安全なキノコ採りをマスターしようと思っていた矢先、気の萎えるヘビ騒動だった。 | ||||||||
06/ 9/ 3 | 東京オリンピック!?
今週中ごろの決定だったがオリンピック招致の立候補都市として「東京に決定」という報道。委員55名の無記名投票で東京33票/福岡22票という結果だったらしい。大方の見方では今回招致を目指す「2016年東京」はあり得ない。という見方が殆どなようだ。'08年北京の後'12年ロンドンを経て又、アジアで開催というのはまず無いだろう。ということだ。2008年の「北京開催」が決定したときは「名古屋」が立候補したのだったが、アジア開催が自然なサイクルの中で名古屋ではなく北京に決定した。という事だった。2016年はアフリカ大陸。又はアメリカ大陸。特に南米からエントリーがあればそちらに決まる。と言われてる様だ。 1964年の東京オリンピックの時は小学生だったが聖火リレーというのを知ったのもこの時。「東洋の魔女」「体操日本」「柔道」「レスリング」「ボクシング」「ウェイトリフティング」金メダルを取った種目は何度も放送されるのではっきり記憶に刻まれたし「円谷幸一」の銅メダルも鮮烈だった。そういった競技自体への盛り上がりも印象深いものだが、この東京オリンピックを機にした開催都市東京自体の変容は凄まじいものだった。会場競技場建築は当然だけれど新幹線、道路交通機能への投資量はクニを挙げてのものだし、何よりも変わったのは日本人としての自信めいたもの、「戦後の終了」「高度成長への弾み」を実感したのではなかったろうか。 国威発揚、威信。或いは体制の駆け引きの道具として使われるケースの多いお祭イベント的なであることは確かなのだが。今は開催費用の遣り繰り次第で、特にスポンサーと放映権料に委ねる領域が決定に及ぼす影響の大きさは用意に推測できる。金の動くところには決まってそういう人間が徘徊するように、瀬島龍三が開催を勧めたという1988年のソウル。今度の'08年北京開催もそういった東京モデルの開催パターン。けれど今度の北京に対する名古屋。それと殆ど見込みのない'16年大会に対する福岡、東京のエントリーにそういった意味合いは無くて我田引水の地域エゴみたいなものだ。ダメもとの福岡はともあれ天下国家を言いたがる東京の知事には招致意義と国益を説明してもらいたい。なぜ東京?なぜ2016年?わからん。少なくとも「立候補意思表明書」だけ見れば福岡の方がまともに見える。具体的な実現性はともかく。。。 ちなみに東京都の「立候補意思表明書」には <立候補の趣旨>として 都市文明の英知と日本の技が結集したオリンピックを東京で開催し、オリンピックが生み出す有形無形の財産を次代に継承する。 <大会コンセプト>:略 添付資料にある「東京都議会決議書」には ---東京オリンピックから約半世紀を経た現在、再び大都市東京でオリンピックを開催することは、世界平和を希求する強い意志を世界ににアピールすると共に、環境にやさしく豊かで安全な成熟した都市東京を実現する契機となる。また、アスリートたちの崇高な競い合いが、未来を担う子供たちに感動を与え、スポーツを通じた健やかな成長を促してゆく。よって東京都議会は、人類の英知と創意工夫を結集し、都市問題の解決に先駆的に取り組むことで、東京、日本、そして次世代を担う青少年の未来を切り開くべく、2016年開催の第31回オリンピック競技大会の都市招致を強く求めるものである。--後略- とある。。。単に都市環境整備と経済波及効果を得たいが為だけじゃないの? 「東京」をこじ付ける為の枕詞が付いているだけ、なにも東京でなくてもいい。 仮に決まったにしても、間接的にせよ自分の納税分はそれに使って欲しくはない。 足掛け2年程暮らした岐阜で生活し始めた頃、感心もしたのだが違和感を感じる看板があった「首都を東濃に!」というやつだ。自分が生まれ育った岩手では無い発想だから違和感があったのだろう。真面目に遷都を計画するなら現実的なのは「北海道しかない」という思いがするのだが、クニのカネを使って環境整備と経済効果を狙う。 結果他の地域、都市に決定するにしても、開催が決定して実際の労力とリスクが伴う本番の大会開催よりはむしろ落選を前提に前段階だけの上がる注目度だけのほうがメリットがある。というような政治的な手法はまるで安陪VS麻生−谷垣−その他。の自民党総裁選と似たようなもの。安手のブレーンのささやきだけで動いてしまうような次元の低い話にすぎない。 小学生でまだ純真さを持っていた年頃でもあったかもしれないが、自国開催のオリンピックは言いようの無い燃え立つものを感じさせてくれた。仮に2016年に開催できたとしたら夏季のオリンピックとしては1964年からは52年ぶり。なんとなく平均寿命の間に1回位は自国で開催されるオリンピックの「お世話」とその手間賃としての感激という報酬を受け取る事が出来たら幸せなのかもしれない。まぁやはり、お祭のお世話とおんなじだね。 とすると期待の出来ない2016年エントリーよりちゃんと真面目にアジア開催を期待出来る2024年か2028年辺りを目指して公平な開催都市の候補地選定を含めて確実に招致できる作戦を立てるほうがいいと思うのだが。。。国体のように持ち回りでもいいか!?60年サイクルX46都道府県=2760年。ちと長い!道州制移行で州都持回りなら540年位!で済むか。。。そんな先の話はどうなってるかわかんないもんなぁ。 なんとなれば岩手県一関市開催でいいんだけれどなぁ。地区民運動会のノリでやってしまうとか。。。須川周回トライアスロン、砂鉄川「素潜りアユ手づかみ競争」とかも入れて。そんなのだったら開催中は毎日でも観戦に通ったり、ボランティアでゴミ拾いでも支援するけれど、まぁ東京開催となっても暑苦しそうで見に行くことはないなぁ自分は! |
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