徒然なるままに

2004

'04,1  

2003

'03,1 '03,2 '03,3 '03,4 '03,5 '03,6 '03,7 '03,8 '03,9 '03,10 '03,11 '03,12

 

2002

'02,1 '02,2 '02,3 '02,4 '02,5 '02,6 '02,7 '02,8 '02,9 '02,10 '02,11 '02,12  

2001

'01,1 '01,2 '01,3 '01,4 '01,5 '01,6 '01,7 '01,8 '01,9 '01,10 '01,11 '01,12  

2000

      '00,4 '00,5 '00,6 '00,7 '00,8 '00,9 '00,10 '00,11 '00,12
 

04/01/25

   洗濯、掃除の日

 週中の天気予報とは良いほうに違った穏やかに晴れた日曜日
ひたすら掃除洗濯。後は積読になっていた本でも読んで過ごそうかと思っていた休日。想定外の快晴空模様がなんとなく儲けた気分。

 そんな日は洗車、軽くShort Touringもいいかもしれない。そういう気分にさせる天気ながら二日前、次の日には路面は乾いたがこの辺りでは珍しい本格的な降雪があった。きっと山陰はまだ圧雪か氷の所もあるはず。
終日、読書。ミステリー、新書版数冊拾い読み&コミック。

04/01/18

   1月晴天、岐阜城から犬山城

 週中は雪のちらつく日もあったが、日曜日は朝からよく晴れた。
岐阜方面へ映画でも...と向かったが、遠目に見える白い伊吹山と金華山の上に立つ岐阜城を見て、岩戸公園から続く城周辺のドライブウェイまでは行ったことがあるが、城までは登っていなかった事を思い。クルマをそちらに向けた。

 岐阜公園から簡単に登れる観光用ロープウェイはあるが、ドライブウェイ中腹からの山道を選んだ。よくこんな所に大きな建物を作ったものだと思いながら登った。典型的な戦国時代の山城。元々の城はなくて形は再現されているのだろうが今の建築様式の観光用の城という雰囲気。しかしそこを取り囲む金華山自体は山深さを感じさせる、いいハイキングコース。城壁の下のほうに井戸が2箇所あった。築城の必要条件だろうが、頂上直下のこんな位置に、と驚く。

 帰り道、こちらも近いわりに城内まで入ったことがなかった犬山城に入ってみた。国宝というだけにオリジナルに近い状態で管理されている。天守に近い城門のそばに今もこの城の所有者、成瀬氏宅があり岐阜城との対比が面白い。

04/01/11

  寒天ラーメンと明智光秀

 明智光秀は寒天ラーメンが好きだったとか、寒天ラーメンを考案した。
とか云うのではなく、先週の初詣、初乗りに続いてこの日曜日も朝から快晴。一週間分の洗濯を干し物竿に吊るし、程よく気温が上がってるだろう11時頃には走り出せるようにTouring Maplをめくり、16時位には戻ってこれる距離感で50〜100Km程度周辺の行く先を探した。快晴とはいえ、いつもよく取るR41は避けた。距離感的には下呂かその北となるが、飛騨川沿いはこの可児より3〜5℃は気温が下がるだろうし、日陰は凍結かもしれない。
 で目に付いたのが明智町の「大正村」だった。美濃加茂市の「昭和村」犬山市の「明治村」。明智町は「大正村」ときた。
隣の岩村町には「寒天ラーメン」と”美味しい物”マークがついている。マップルのこの”美味しい物マーク”は、自分の経験ではまず「外れ」はない。

 可児からR21と並行する裏道を行き御嵩を通りR19に出た。路端の温度計は4℃を示している。天気の割には気温は上がらなくて風が強い。冬晴れということだ。
 行ってみたことは無かったが可児には明智光秀の居城だった長山城址がある。明智町には明智城址とマップルには載っている。明智町という位だから光秀さんはそこから出てきたヒトなんだろう、大正村よりはそちらの城址に登ってみたくなっていた。
 R19の瑞浪から東側に折れ高くはない山間を登って行く。気温が下がってくる。路端に現れた温度計は2℃に下がっている。冬の単車行にはつきもので鼻水が出てくる。大正村とは明智の町内に散らしたように時代の建物、博物が点在する。城下町の狭い一方通行の道を通ると町並み自体が古い建物が多い。何でもこの大正村を創るにあたっては「司 葉子」さんが関与しているらしいが、「時代村シリーズ」自分自身はその小テーマパーク的施設内には入ったことがない。 各地にはニュージーランド村、スイス村、ロシア村、トルコ村。大きいのでは長崎にハウステンボス。直接的な言い方ではオランダ村ということだろうか。そういった相手の国には「日本村」があるのかもしれないが。

 そう云うふうに「昭和村」も「明治村」も入り口までは行くのだが、ゲートをくぐった事はない。ただこの「大正村」は街中に点在してあるものだから、狭い道路を通ると自然にその建物の前を通ってしまう。「町全体を」というのが良いのかも知れない。
 町の東側の小高い山に明智城址「白鷹城」はあった。明智光秀が没する300年位前の築城らしいので、時代は防衛を第一優先とした山城である。何でも明智光秀と云う武将は「本能寺の変」がもっとも知られた行動のヒトなのだが。その生まれと、死亡は正確には分からないことが多く、出生と幼少期は不明なことが多いようだ。白鷹城生誕の(伝説)説から、美山町中洞の生まれ。先の可児市長山城。とか諸説ある。又、その子供には「細川ガラシャ」という戦国時代の女性としての悲喜交々を生きた「血」を感じさせる。
もっとも、「本能寺の変」を境に時の為政者による史実の歪曲が加えられたはずで、光秀、その人の実像は分からないだけに今も謀反、クーデターを企て、率いた将としてだけではない何かを考えさせるヒトなのだろう。
残っている記録だけを数えれば織田信長と関わり始めて26年間。山崎の戦いで果てるまでの戦績は41戦1敗(数度の敗退も後に再戦勝利)とか。供養塔、塚。墓。生誕地。なぜか数多く残っているようだ。

 で「寒天ラーメン」だが、岩村町「およねさんの店」では出していなかった。
菊芋の漬物付「とろろ蕎麦」はおいしかったが...。
帰り道、更に隣の山岡町、役場前には「寒天ラーメン発祥の地」という幟がはためいていた。
恵那山、焼山を背後にしたこの地の冷え込みはきつい。
 冬季の田園には寒天作りの棚が広がる。

04/01/04

  帰郷〜初乗り初詣

 岩手帰行の日は雪だった。R41を辿り高山のトランブルーと云うパン屋で焼きたてのパンを買い土産とした。数日前のローカル版TVで紹介していた店だ。何でもパン職人のワールドカップとかがあり今度の日本代表に選ばれたのがそこのマスターとの事。菓子パンを何種類かと普通の食パン、フランスパンと買い求めた。店の中は焼きたてのパンの香りでいっぱいになっている。菓子パンは帰り道中でほとんど食べてしまった。焼きたてと言うこともあるかもしれないし、パンの評価が出来るわけでもないが、飽きずに食べられる。旨いと思った。

 過ぎてみれば短い5日程の正月休みを過ごし、帰濃した。岩手に帰っている内はまったく雪のない正月だった、何年かおきに雪のない正月を迎えているが、そのサイクルが短くなっているように思う。
 まだ記憶の残っている小さい時分、もっと雪は深く積もり、中でも親戚従兄弟などが集まる正月は十分「かまくら」が作れたはずだった。多分、体が小さいだけではなくそんな思いは同世代のおじさんは皆そう思うのではないか。
 雪のない冬は渡り鳥にとって餌探しの容易な環境でもあるのだろう、東北道に乗る金成IC近辺では少し離れた伊豆沼、長沼に飛来している白鳥、鴨、が広い田園地を行き来している。

 新潟辺りで強い風と雨でSpeed Downしたもののその他は乾いた路面で東北道〜磐越〜北陸道を8時間ほど掛け富山ICに降りた。何度か往復していると走りやすいルートが決まり距離感も身体で覚える。最初の頃は途中で昼寝付の行程だったが、今度は眠くもならず下呂の露天風呂までたどり着いた。真冬ではあるのだが川原の湯船には2,3人いた。相変わらず橋の上からは時折、興味深げな声が聞こえるが700Km程の道程終盤、ぬるめの湯が心身をほぐしてくれる。

 明けて4日、恒例という1月第一日曜日。KTC可児Touring Clubの初詣に同行した。10Kmチョイの犬山成田山。
参拝中にも2グループ程。可児−犬山の往復の間でも多くのライダーとすれ違う。快晴、気温は10度位には高まっているかもしれない。正月、初走行。岩手辺りだったら周りは好奇の目に会うところ。
 高台にある社殿からは犬山城を手前に、ずっと奥に雪を抱いてポコッと浮かんで見えたのは、可児にバイクを運んできて初めて出かけた伊吹山だろう。穏やかな美濃の正月。  

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