徒然なるまま |
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'24/ 1/25 | とうとう、冬らしい大雪。キモは北極振動!?。 今シーズン最強クラスの寒気団襲来。今週後半は日本海に広がるJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)では北海道西側から北陸、西日本、九州まで特に西側に大雪をもたらし、太平洋側迄流れた冷気は八丈島まで雪を降らしたとか。 今週前半には南岸低気圧が九州太平洋側から関東太平洋側沿いに北上してきたが、これが週末の寒気団に当たれば、当地でも大雪必至だったろう。 衛星画像でも、かのJPCZなる日本海上の筋雲は日本海全域に及び一旦日本本土山脈地帯で途切れたあと太平洋区域でも広がり伸びる様子が見られる。それだけ今来ている寒気団の強さが想像できる。 そもそもこの寒気団の出現は北極を中心点とした「寒気の吹き出し」とでも言うのか、周期も一定ではなくその規模、予報・予測は難しいモノらしい。 そんな今週前半かつてバイクツーリングで何度か一緒に走った方の訃報。 87歳だったという。一緒に走った時期は15年程前迄だったか、その時は古希云々という話を聞いたので、今自分がそういう年代に当たる。 上記リンクは2005年一泊Touring。多分年齢域の心配からだったかもしれない、2輪からPC800+側車に乗り換えながらも元気な走りを続けてた。通夜の晩お悔やみに伺ったが棺の中は安らかな表情に見えた。ご冥福を祈りたい。 年度末に向かって不慣れな書き物、届け出作業が入る。 まずは確定申告、去年初めてマイナカードを使ったe-TAXでやってみた。 「職業:農業」という事で巷間ネットで拾えるExelシートを使った「農業所得」を入力して、それを元に申告。年金やら健康保険、納税記録などは補足されているので、主に農業所得関連を入力することになる。 去年は日常ホムセンなどでの買い物レシートなどは取って置かなかったので、経費計上は実際の半分も計上できなかった。 それでも入力・送信から1週間か10日前後で還付金が入ってきたのには驚いた。昔で言う三反百姓規模ではコメとか自家用野菜だけでは利益など出るはずのない産業構造、余程付加価値の高いモノを栽培、販売しなければ・・・まぁ尋常では難しいですねぇ。なので少なくとも諸掛費用を支払える収支にやりくり出来れば御の字。 最近、特に欧州では農業従事者のデモが続いている様に、各国何らかの形で一次産業維持を図っているが簡単ではありませんねぇ結局一般的には聞こえの悪い補助金・予算立てとなるわけで、と言いながら人間、食わねば生きていけないワケでひょっとしたら少子高齢化で将来的に推計される人口半減程度になれば意外とバランスが取れるか!?熊と共生しながらね。 てなわけで日本型直接支払い制度てな事で始まった交付金関連の事務作業も又、この期末ギリギリの処理を求められる。ま、そんなこんなの昔で言う3ちゃん農業にも達しない一人二人の1ちゃん2ちゃん農業の、農閑期幸い片手間事務作業が集中する。いづれ、これも「職業:農業」と書いた以上付きまとうわけで、今週は雪で閉じこもりの中HPを早め更新する事にした。 |
'24/ 1/20 | 雪を呼び込む、"大雪"か。その前に温泉まったり。 "小雪"の雪は"大雪"で融かす、てな言葉を聞いたもんだが・・・ 事、今年は成り立たない。むしろ大雪になってようやく雪らしい積雪となるか!?南岸低気圧が北上中との天気予報だが南岸低気圧のドカ雪というよりは雨になるとの見方の方が当たりそうだ。 今週は「正月は休みが取れなかった」と言う末娘が帰省。「温泉まったり」したいねという提案に乗っかり週中は花巻温泉郷の大沢温泉で過ごした。ひたすら温泉と食事を楽しむ時間が心地よい。初めは湯治旅館でも良いねてな話もあったけれど、ン週間とかの長逗留ならそれでも良いかもしれないが1泊二日ではそんな過ごし方は出来ないし通常の温泉ホテル的な山水閣。 純粋に「温泉まったり」という事で特段カメラに収めることも無く、ひたすら温泉入浴&入館後リクエストした焼酎ボトルの消化に励んだ( ´艸`) 結局どちらも豊沢川に面した豊沢の湯と山水の湯を交互に入りながらの温泉行。チェックイン前に少し時間が有ったのでここの温泉郷一番奥にある鉛スキー場まで足を延ばした。かつて30年も前にファミリースキーとして行ったこともあったので、今はどうなっているかと・・・ちゃんと混み過ぎず、混み過ぎずOpenしてましたね。 豊沢川沿いに志戸平温泉〜一番奥の鉛温泉まで連続的に点在する泉源を囲むように温泉旅館も多く収容CAPAも有るからか、かつての鉛スキー場は関東方面の高校辺りでは修学旅行地というか、ここでスキー(体験!?)に来る学校が多かったようだ。その後のスキーブームで安比や夏油の様な規模の大きなスキー場とか近場ローカル系が栄枯盛衰、変化する中でもしぶとくスキー場を営んでくれることはありがたい事だ。 |
'24/ 1/13 | 晴れて冷え込んだ日、の野鳥。 今週は前半、穏やかな日が続いたものの、後半に向けて気温は冬らしい冷え込みに向かった。当地でもそろそろ真冬日が出て来る頃だろう。 今シーズンはいくら何でも今迄雪は少なすぎ。反動でシーズン後半の雪が凄い事にならなければ良いが・・・ 能登の地震は週が明ければ2週間になる。東日本大地震より13年になろうとする今、TV画面に映し出される能登各地の様子を日々見るにつけ当地当時の記憶が更に深く刻まれる実感。今、見直してみると当HPを更新できたのは地震後5日後の3/16付けになっている。「ネットが繋がった」と記しているので、内陸部の当地では停電が最大の障害で、建屋傾斜とかに至ったのは沿岸部から当地への距離の倍もある一関市内の方が多かった。 そもそもどれも震災被害とはいえ、東北では津波被害が衝撃的で、能登は津波もあったが直下型のMw9.0という震度のデカさ。不思議に思ったのはやはり東北時と同じように津波被害を思い浮かべた。地震当時は始め1.2m越えから5mという数値に跳ね上がったが、ニュース経過では1.2mで留まっていた!?。4,5日も経ちようやくその状況と原因が分かった。なんと肝心の津波測定ポイント自体が最大震度時、地盤そのものが4mも隆起したのだそうだ。5m越えという津波予測高さは正しかったわけだ。(@_@)。 近年の大地震を遡れば多くあるが中でも1995年1月17日には阪神淡路大震災、M7.3、震度は6。高度成長期時代に整備された高架式高速道路が広範囲に横倒しになった画像、多くの建物、ビルも含め在来工法住宅が座屈状に倒壊した事が印象深い。殊更当時政権を担っていた旧社会党首から総理大臣となった村山富市氏が震災対応の初動遅れに対して「何せ初めての事なので・・・」と言ったとか云う言葉が記憶に残っている。 たまたまYoutubeで観た対談動画、中国から帰化した石平と李相哲の対談の中で「・・・日本人は頭が無くても身体だけで生きて・動いていける・・・」という彼等なりのウィットのつもりか、それでも言い得ていると苦笑しかでない一言があった。リーダーシップの弱さを評したものだ。確かに政治体制が右から左へと動いても多少の変化はあったりしても根底からは変わらない、まぁそれが何かと甘さにもつながってるのだろうけれど。 |
'24/ 1/6 | 来た年、二日続けての。( ;∀;) かつての能登 Touring1 能登 Touring2 まさか年明け早々・・・「震度7」Σ(・□・;)。 能登半島、珠洲、輪島、穴水、七尾、氷見・・・かつて岐阜に赴任していた時からも何度か訪れ、聞き覚えのある地名。 確かにここ数年能登周辺では地震が頻発していた。それにしてもこれだけの震度の地震に、この1月1日に見舞われるとは思いもしなかった。 最大震度は午後4時10分M7.6、志賀町において震度7、輪島、穴水、七尾では震度6。震源は比較的浅かったと思うが日本海側道府県広域にわたって揺れた。地震速報以降、各市庁舎から市内方向に向けられているカメラからは特に珠洲市では揺れるにつれ、方々で砂煙が立ちのぼるのが見えた。 能登半島各地の地名が報じられる度に、この地をTouringした思い出が蘇る。’03年から’04年岐阜の工場に赴任した際、DUCATI ST2を持って行った。目的は任地岐阜周辺を観て周りたくて、定番は長野周辺と勿論、能登半島。千枚田〜輪島〜珠洲の禄剛崎、千里浜〜・・・今回の震災でそれぞれ景色が思いだされる。その10年後も懐かしく当地より500マイル離れた能登にバイクで向かったものだった。 震度7という多分最大震度の揺れの後津波警報が出た。始めは3mだったか!?その後大津波警報に切り替わり5m以上となった時点で読み上げているNHKのアナウンサーのトーンが上がった。思わず2011年の東日本大震災時に聞いていたFM岩手の高橋ちえアナウンサーを思いだした。今回は山内泉アナウンサーだとか、どちらもリアルタイムで聞いいて感心したものだ。 東日本大震災時には停電1週間がきつかった。携帯等もつながらずバッテリーも切れたりし、状況把握に手間取った。今回当地は揺れもほとんど感じずリアルタイムで状況が見て取れた。 3.11の時も東北以外では、今回の爺の様にTVなどで被害状況はつぶさに見てたんだろうな・・・変に醒めた目で見てしまった。 それにしても日本の国土は地震雷火事親父の国、沿岸部では津波もそれに入るんだろうが、常に自然の驚異が身につまされるだけの環境にあり、一神教よりも八百万の神々が身近に感じられる環境なのかも。原始信仰が元かもしれないが、それでも何とか真理教とかが跋扈する世情はなんとも平和なのかもしれないし、性善説が元になり易いながら警戒心も根にはあるのかも。 元日から能登地震一色だったニュース映像に突然の羽田空港炎上画面。 なんだなんだ!と燃える炎、エンジン付近やら機体窓の中に広がる炎! 一見航空事故パニック映画(@_@)。 徐々に情報が入り始め千歳から羽田へのJAL516便乗客乗員379人全員脱出と\(^o^)/どうも滑走路内に居た海保MA722機との接触事故!?海保機は能登災害地への支援物資輸送中だったとか・・・(´;ω;`)。 TV画面を観ていて、正直なところ「ダメだろう(´;ω;`)」と思ったし、少なくとも全員脱出できるとは思えなかった。それが結果全員無事!!!!喝采を上げる気持ちで見てしまった。勿論、こんな事故の経験蓄積で安全が確保されていくのだろうし、近年目にしたHONDAJetの成功や三菱Jetの失敗も有るのかもしれない、ダイハツもかな(´;ω;`) 旅客機の方は、的確な乗務員のコントロールで全員無事脱出。これだけの事故と乗員による救出はかつてのハドソン川の奇跡に匹敵かとΣ(・□・;)。 半面、事故の原因の一つにもなった様な海保機。原因詳細は分からないが、Go・Stopが管制とのやり取りだけで成り立っているのか!?せめて赤黄青の信号は無いのかな!?有るとは聞かないので無いのだろう。一般道にも有る信号灯やら停止線(は有るんだろうな!?)が無さそうなのにあらためて驚いた。 55年前、爺の通学列車はSLだった。単線ローカル線は各駅すれ違いホームを持ちポイント切り替えと列車に対する信号は背丈近くあるレバー式。そして必ず示唆称呼で確認行為をしていた。当時人力で動かしていたリンクは電動化されたろうが示唆称呼は残っている。交通運航システムでは鉄道よりはるかにハイテク感のある航空機業界。ローテクに見えながら廃れないルール・システムの価値は引き継ぐべきなんだろうな。この辺は最近よく感じる違和感として特に海外のクルマの拙速なEVムーブメントも似ているかも。 正月早々、悼たましい出来事が二日連続(´;ω;`)。こうなると日本人の多くは「今年は・・・」と云う思いに至るのが普通だろう。 まぁ極めてポジティブな人なら、2回もこんな悲惨な目に合ったのなら次はきっとホッとする事が有る!。と思うか波乱の年の始まりと思うかどうか。いづれ人生はそれぞれの人にとって波乱万丈かと! |
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