徒然なるままに |
2015 | '15,1 | '15,2 | '15,3 | '15,4 | '15,5 | '15,6 | '15,7 | '15,8 | '15,9 | '15,10 | ||
2014 | '14,1 | '14,2 | '14,3 | '14,4 | '14,5 | '14,6 | '14,7 | '14,8 | '14,9 | '14,10 | '14,11 | '14,12 |
2013 | '13,1 | '13,2 | '13,3 | '13,4 | '13,5 | '13,6 | '13,7 | '13,8 | '13,9 | '13,10 | '13,11 | '13,12 |
2012 | 12,1 | '12,2 | '12,3 | '12,4 | '12,5 | '12,6 | '12,7 | '12,8 | '12,9 | '12,10 | '12,11 | '12,12 |
2011 | '11,1 | '11,2 | '11,3 | '11,4 | '11,5 | '11,6 | '11,7 | '11,8 | '11,9 | '11,10 | '11,11 | '11,12 |
'15/ 10/ 31 | 芋の子会の翌日、須川岳には初冠雪。
つつがなく!というか、今回もラストメニューは見ずに終わった芋の子会※。 ※「芋の子会」・・・「芋煮会」どちらが正しい呼称かは分からないが 昔からから自分の頭では「芋の子会」で定着しているのでここでは「芋の子会」 数年前から、秋のイベントとして「・・・芋の会でも・・・」てな話の勢いで始めた単にこの季節の野菜で芋の子汁を 食べる、勿論ビール片手に!という集まり。 かつての同じ釜の飯を食んだ気心からか終始、笑い(爆笑!?)の絶えない時間を過ごす時間となった。そりゃそうだね「あれからン年」。 かつて怒られてムッと来たり、このヤローと思ったり「あれからン年」。 笑いの合間、確かKまチャンがボソッと言った言葉が耳に残った。 「良かったと思うよ。これで良かったんだよ・・・」と 普段、山中での生活では「笑い」は苦笑いとかほくそ笑む笑いにしかならず、大笑になる声を立てる事などない。もしそんな大笑いで山中にいたらそれこそ変なヤツ。と通報されるかもしれないし(苦笑。 さて今年の大笑いの元はなんだったんだろうと思い出し少し照れ笑いでもしながら、またこれからの一年の時間を過ごしてみるとしよう・・・。 ラストは定番の焼きそば!とも思っていたのだが、そこまでメニューは続かなかった。多分酩酊状態でホストの頭の中から飛んでしまった。というのもあるけれど皆さん持込み食材が多くて・・・シイタケ/芋の子/人参/ネギ/かぼちゃまで I東クンは毎度赤い飲み物まで!かろうじて夕食にリストアップしていたジャンバラヤは何とか作る事が出来たけれど、あとは今や希少品となったニッカ・フロム・ザ・バレル※に酔いしれて夜は更けて行きました。 ※今やまったく入手困難になってしまいました。 偶然通りがかりの小さな酒屋に手書き看板。「フロム・ザ・バレル入荷!」 翌日、入店したら残っていたのは飾りたてた大きな籠にチョコンと2本のみ。 「マッサンか品評会受賞の効果で売れてるんですかねぇ」と聞いたら。 ご店主曰く「中国人が買占めて、中々仕入れ出来ないんですよ〜・・」(驚!! 「爆買い」とか「観光」とか中華マネーの恩恵も良いのだが庶民のささやかな 楽しみまで強奪して欲しくないですねぇ。後は何時飲めるものか・・・ そんな中、和気藹々終わった芋の子会の翌朝、地元FM局では「真湯から上では雪が降っています。行かれる方はスタッドレスなど十分な装備を!」との放送。 土日設定の芋の子会が終わって明けた月曜日、須川岳の天辺は雲に覆われ中腹には雪の白さが見えた。去年よりは4,5日早いかな。 紅くなったモミジは甘いのだという。上方の方ではモミジのてんぷらもあるとか。里山周囲の木々も紅葉の時期となった。林の中には黄色く色づいたナラやクリの間に少し背の低いいろはモミジが点在している、葉っぱがあおい内には気づかないものだが、この季節になるととたんに自分はモミジだと主張し始める。あとでこの紅い葉っぱを食ってみる算段でもしてみようか。 |
'15/ 10/ 23 | 行く秋に、道具を新調。
新調しようと思っていた道具はスキーブーツ。 思えば15年以上は履いたブーツだったんじゃないかな!? 9年前、その前年から「やけに底に雪がくっ付くなぁ・・・」と思いながらも段々足底で雪の塊でせり上がって来る感覚・・・高下駄状態。 おかしい!と付いた雪を削りブーツの底を見たら、踵のソールが剥がれていた。しょうがなく薪材に伐採したサクラの木を削って木製ソールを取り付けた。 これが意外と丈夫で先シーズンも支障がなく使えていた。ただ今度はつま先のビンディングに掛ける出っ張りが欠けてしまった。いよいよアウト!なのです。 熱心にスキーに打ちこむ方に言わせればスキーブーツは数年で劣化が始まる!と でも履けるうちは普通使い続けますよねぇ。先シーズンはつま先部分が欠けても、幸いかつて倅が使っていたのがあったので、それで滑ったのだけれど、シーズンオフになれば年オチ落ち品が出回ってくるかと春先に市内のスポーツ洋品店を回ったが・・・殆ど・・・無い。 それでも、何品か置いてあったブーツを履いてみて目星をつけておきました。 この時点ではまだ安くなってませんでしたから。・・・で夏が過ぎ・・・ 秋になってマークしておいたブーツが型落ち品特価!なんと51%Off(驚 まぁ安いものには目が無いですからねぇ「ポチッ」とクリック。 でもそれほど売れなかったモデルなのかな!?(苦笑 履いてからのフィット感は春先に確かめていたので問題ないが、取り説を見ると今時のブーツと言うのはソール部分が交換できるのだと!へぇ!! これで桜の木を削って自作ソール!は不要ですね。 なによりカタチは似たようなモンでも10数年間の差に興味津々。さて早く雪が降らないかな(笑 さ〜て明日は、年に一度の芋の子会。 酩酊しすぎず!旨い芋の子汁であればいいのですが・・・ |
'15/ 10/ 17 | 須川岳、紅葉。
12年ほど前、岐阜県在住の時期があって、かの地の紅葉に少し驚いたものでした。 紅葉という言葉でも「紅」の色であって、秋になると葉っぱは赤い色になる。 ま、言葉から見ればそうなのですが、当地の紅葉は特に山地に入ると黄色が多い。 植生がブナ系が多いかモミジ系が多いか!の違いなのだろうが、滞在先地の秋、周りの紅葉は見事にモミジの赤い色なのです。 走る先々で赤い色が印象深くてページの背景まで紅葉したモミジにした。 岐阜在住当時の木曽街道を走ったページはこちら。 勿論、当地でも公園や庭木のモミジ、里山に散在するモミジとかウルシ・ヤマザクラが赤く色づいて紅葉するけれど少し奥の山に入って行くとナラ・クリそして標高が上がれば圧倒的にブナ。いづれも黄色系の紅葉。 赤主体の紅葉も見事だけれど、見渡す限りゆったりと広がる山塊が全山黄色系の紅葉はそれはそれで圧倒されるような迫力がある。 この秋は、早く来て長引いた秋雨とその後も結構強い雨の日が周期的にやって来た。晴れ間を狙っての田んぼ作業も結構手間取りながら、ようやく終盤。今月初めから地元FM局では須川岳紅葉時期の交通渋滞情報などが流れている。多分頂上付近の紅葉ピークは過ぎたと思いながら、温泉を兼ねて須川岳の紅葉を見にバイクで出かけてきた。 |
'15/ 10/ 10 | 春は桜、秋は・・・。
冬が終わり暖かくなれば福寿草からクロッカス、次は桜。どれも春のイメージそのものながら、代表格はサクラでしょう。となると、秋は!自分としては秋はなでしこ! といきたい所だが、なでしこは晩夏の方が似合うような気がする。 ただ幼児体験ならぬ青春体験としてはマリーゴールとサルビアが秋を感じさせる。 でもこれは作られたイメージかもしれない。 高校生の時に第25回大会、岩手国体が開催され道という道の脇に黄色いマリーゴールドと赤いサルビアが植えられた。 持ち回り開催される県毎に多分、そういう「おもてなし」として統一した花々で飾り立てるのは普通にあると思うのだけれど、とにかく我が県の開催の時は そのオレンジ色と赤い花だった。 春はサクラで秋ならコスモス・COSMOS・やっぱり風に揺れる秋桜ですねぇ。 |
'15/ 10/ 3 | 開通した新道そしてスーパームーン。
先週末、一関から須川岳を通り秋田十文字につながる国道342と陸前高田住田町から奥州市水沢を抜けて東成瀬で先のR342と交わる国道397を奥羽山脈の東側で橋渡しするような一関市−奥州市の各市道がつながった。 元々、細いダート道で、道沿いには民家も無く(多分)季節の山菜・キノコ採りとか林業の木出し道だったであろう林道はあった。一関祭畤地区と水沢石渕ダム間をつなぐ市道。40年ほど前には手に入れたばかりのクルマで何度か通った事はあった。 その時分はいろんな道でダート路など普通にあったもんだが、県道から昇格したような国道の300番台も舗装整備がなされ、クルマの行き来も快適になってくると、ダートが続く山道などはその地域の知る人が通るだけとなり、やがて荒れ放題になって交通量も殆ど無くなっていったようだ。 それでも東京から東北東側の各県を縦断する幹線の国道4号から25,6kmも山沿いに入れば、幹線のR4号からそれぞれ小骨の様に東西に伸びるそういう300番台国道の間をショートカットするようなルートは便利。 ちょうどそういう機能にもなるこの市道ダート路も舗装化計画はあったようだ。一関から須川岳に行く途中の祭畤地区から北側へ新しい道が作られ、やがて舗装も為されたが、2008年宮城・岩手内陸地震の震源地が丁度この一関市道鬼首明通線の近傍だった。祭畤大橋が折れ曲がり今は震災遺構となっているが、そこからつながる道鬼首明通線は警戒区域で立ち入り制限がかかった。 一関〜須川岳へつながるR342は祭畤地域から須川方面は山岳道路でもあり復旧は4年を要し2002年に開通した。 さらに拡幅、舗装しルート整備もした祭畤〜今は胆沢ダムにつながる道はようやく先週、宮城・岩手内陸地震から7年を経て開通となったようだ。 地元ラジオでその開通イベントを聞き、週明けの晴れた日にバイクで通ってみた。 正式名称は一関市道鬼首明通線と奥州市道谷子沢南前川山線と長い名前。 一関側R342から胆沢側R397までは16kmだと言う。それぞれ駐車スペースのある「祭畤大橋のパーキング」から胆沢ダム上流の「おろせ広場」間は12km。 開通したばかりで路面のいい片側1車線に路肩も広い。緩やかな起伏とコーナー、そこをつなぐ軽い傾斜がついた直線のセットが続く快走路だ。 朝方は雲ひとつ無い快晴だったが祭畤大橋からその新道に入り、奥州市との境の峠を越えたら路面はウエット。開通三日目の平日ながら結構車も通る。 というか自分もその一人なわけだが、山菜・キノコ採り或いは須川岳・焼石岳の山歩きなど観光道路的な性格になるんじゃないでしょうかね。 自分としてはかの内陸地震震源点これもグラウンド・ゼロとでもいうのかその場所を見たかったのだが、特段表示するものは見えなかった。時折旧道につながるような枝道はあったが、勿論信号も無くバイクで走るには速度超過要注意でしょうね。 |
Past.Memo. |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
HTML版Homeに戻る |