徒然なるままに

2011

'11,1 '11,2 '11,3

2010

'10,1 '10,2 '10,3 '10,4 '10,5 '10,6 '10,7 '10,8 '10,9 '10,10 '10,11 '10,12

2009

'09,1 '09,2 '09,3 '09,4 '09,5 '09,6 '09,7 '09,8 '09,9 '09,10 '09,11 '09,12

2008

'08,1 '08,2 '08,3 '08,4  '08,5  '08,6  '08,7  '08,8  '08,9  '08,10  '08,11  '08,12 

'11/ 03/ 25 震災から2週間、気付いたらクロッカスが咲いていた。 

 衝撃の11日から2週間。経過した時間感覚が短かったのか長かったのか!?よくわからない。沿岸部での被災された人はひょっとしたら時間が止まっているかもしれない。はるかに時間が過ぎればそんな止まったような時間がスッポリ記憶から抜け落ちるという事もあるという。保存本能というのか心理的にとてつもない衝撃が起きた時に起きうることだという。
 山への通い道R457での落石通行止めと、燃料不足もありこの2週間の大方は自宅引きこもりモードだった。それでも晴れて気温が上がった日は燃料に負担の少ないバイクで庵周辺の片付けやら開墾畑への作付け準備などに行った。
 枯葉を集めた時に芽が出ていたのは見ていたが、まだまだ雪も何度か降るだろうし・・・と霜除けになるだろうと思い一旦取り除いた枯れ葉の内すこし被せておいた。
 1週間程間を空けて行った日、その枯れ葉の中から白いクロッカスの花が咲いていた。

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「2週間」
 我が家では5日目かな停電から復旧したのは!?幸いにも2日目にログサイトで電動工具用に設置してあるインバーターを運び込み、それまでの日常消費電力の1/3程の能力ではあるものの、茶の間、台所の照明とTV、洗濯機。それらを切れば炊飯器、電子レンジも賄えた。
 そんな環境でも、それまでの日常とは違う不便さを痛感し、大元のバッテリーを気遣い、照明は2箇所だけとし、風呂はロウソクの明かりで入り夜は早く寝る節電に務めた。とはいえ、5日間も停電下で懐中電灯、ロウソクなどのキャンプまがいの生活からみれば、贅沢なものだった。10日以上も停電が続いた津波被災地の被災者には、これで不便だったとはとてもいえない。
 それでも、それまでの日常から切り離されたような生活リズムは曜日感覚を狂わせるには充分だった様だ。

 避難所生活の中では、今も一日2食だったり或いは1食に落さざるを得ない状態にある所が現にあるという。被害の大きな隣県宮城の牡鹿半島の金華山の反対側に見える網地島では2週間経過してようやく支援物資が初めて届いたという報道。確かに離れ島だが突端の御番所公園からはすぐ目の前に見える島だ。被災から2週間も経過してそれは無いんじゃないか!
 震災当初、被災した人々の落ち着いた行動に驚嘆と賛美の報道があふれた海外メディアの目も、ここ数日、救援実態に懐疑的な報道が目立つ。もちろん救援の最前線に立っている、自衛隊・消防、そしてボランティアへの批難ではない。
 「発展途上国の災害でも4日もすれば国際支援の食糧が届く。」というような、何で先進国と言われる日本で2週間も経過して支援物資が行き届かないのか!?ということだろう。それに答える「・・・災害対策本部」とかの看板を掲げる組織には一杯理由を論うのだろうが、たまたま見たTV報道で、奇しくも同じ言葉を話している場面が目に付いた。

 1つはわが県土のそれ。もう一つは中央組織だったなぁ。共に支援物資の集積場所で取りまとめ役のそれこそ役人だねぇ「【要請】・・・があり次第。・・・に基づいて」発送してます。」というものだ。被災地では通信も途絶し、電気、水道もない。誰がどこに要請するんだ。映像では言っていないが、こんな役人は「物資が欲しけりゃ申請書を書け」とまで言いかねない。災害支援物資の供給マニュアル的なものもあると思うのだが、そうなっているのだろうか!?初動段階から週間単位、時間が経過すれば月単位で災害現場で必要になるものは変わってくる。未曾有といわれる事態には特に初動の対応こそ今だかつてない対応をとらねばならなかったはず。

 救援に当たっていた米軍のヘリは突然避難所に降り立ち、救援物資を手渡しで降ろしたそうだ、未曾有の出来事への対応というのはこういうことであろう。確かに燃料の供給も細ってしまい、今日自分は地震後初めてガソリン補給に2時間も並んで2000円分12L弱を入れた。
 2時間並ぼうが前の晩から並んで不満はありながら文句も言わず淡々と・・・というのは日本人の美徳でもあろうが、それらサポート役がそれこそお役所仕事で事を済ませている状態がこの2週間の実態なんじゃないだろうか?
 もちろん不眠不休に近い状態で頑張っているそういう役割の人たちが一杯いることも知っているが、その中で、保身なのか身に付いた習い性なのか、TVニュースに映る位なのだから、そんなケースは頑張る人たちと同じくらいの割合でいるのであろう。そうそう正規分布のカーブではそれら両端の数 は同じ位居る事になっている。

 現に家族に犠牲者が出たというような被災当事者になってみれば憤りを抑制するにも限度がある。被害の大きかった陸前高田を選挙地盤とする民主党黄川田徹衆院議員の弁が本音だろう。-時事ドットコム。
【 民主党の黄川田徹衆院議員(衆院岩手3区)は22日、東日本大震災の被災者支援に関し、国会内で記者団に「(既に)いろんな災害があって、マニュアルがあって、あとは決断と実行だ。何をいまさら議論しているんだ」と述べ、政府の対応を強く批判した。
 黄川田氏は、津波により甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市出身。同氏や事務所によると、市内にあった自宅は津波で流され、長男が遺体で発見された。また、両親と妻は依然行方が分からないという。
(2011/03/22-16:24)】


・・・と直近の憤懣を書いてしまったが、どうも変だなと思い憤りさえ感じるのは、今回の地震マグニチュードというやつだ 。公式最終値はM9.0!?とかになっているが発表当初のM7.9→M8.8という変化があって9.0になったという。最近は速報値で精査後数値は変わる場合がある。というのが常だけれど。確かにM8.8→M9.0は精査、というか再計算ともとれるが、それ以外にマグニチュード表現はMj*.*とMw*.*というのも織り交ぜているようだ。気象庁報道発表の値変更については・・・気象庁サイト
【○ 地震の規模について  今回の地震について、詳細に解析した結果、地震の規模(マグニチュード)を、8.8から、9.0とします。
 外国の地震観測データを用い、本震による震源域の破壊の進行の様子(破壊過程)を調べたところ、通常より複雑なかたちで3つの巨大な破壊が連続して発生していることが分かりました。このため再解析した結果、地震の規模は、マグニチュード9.0であることが分かりました。
 なお、今回のような複雑なかたちで破壊した地震は極めて希で、1つめの巨大な破壊に相当する波形とは異なる通常見られない特殊な地震波形が認められ、再調査したところ、これが2つめ、3つめの巨大な破壊に相当することが判明しました。
(この下は小文字で)
  (注)ここで示す地震の規模は、CMT解析によるモーメントマグニチュード(Mw)】


つまり初めの7.9というマグニチュードはMjという気象庁オリジナルの計算値単位で、あとの8.8とか9.0の値は今は殆どスタンダードになっているMw(モーメント・マグニチュードという単位ということらしい。この単位の違いの詳しい事は Wikipediaでも見てもらえばいいが、気象庁が今まで使っていたオリジナルのMjなるマグニチュード表現では地震規模が大きくなってもマグニチュード数値的にはそれほど大きな数値にはならないらしい。
 ちなみに気象庁マグニチュードでは、阪神淡路地震がMj7.3、今回の東日本地震が当初の数値がそれだったとすると7.8.
これがモーメント・マグニチュードでは阪神淡路地震がMw6.9。東日本地震がMw9.0と大きく開く。比較すると今回の規模の大きさが際立つ。

 さぁ、こんな数値表現は結果数値というか記録上のことだけ。ともいえるが、それでも「数字が一人歩きする」という言葉があるように、現実に、今回の災害については、福島原発の東京電力が頻繁に言う「想定外の規模」とか官邸からの記者会見でもそういう言葉を聞いたような気がするが、「想定外」と言ってしまえば、要は「想定に基づいて建設した設備であって、それ以上人知の及ばない天災によるもの!」というような責任回避の言い逃れになってしまう。
 2週間も救援物資が届かないのも「想定外の規模の災害で。」これだけ燃料が窮乏状態でも「想定外の規模の災害で。」放射線批難域が2転3転し、被爆者が出たにしても「想定外の規模の災害で。」てな風に。

 今回の津波にしても、千年に一度の頻度ではないという。研究者によれば、今迄確認され知られている津波の最大波高さは1896年の明治三陸沖地震津波の際の38.2メートル!!。特に、福島原発の事故に関して言えば、この福島原発の耐津波想定での波高は5mだったという。波高30mとは言わなくても今回のような各地10mを越す波高の津波を考えれば、少なくても建設地はもっと高い位置にしていたはず。
 防災対策の想定としては確かに千年に1度あるかなしか、または100年に1度ではその対応コストは大きな差になるだろう。それを考えれば、本来は想定範囲の中で起きた災害であれば、もっと被害を最小化出来たはずであり「何らかのミス」「利権先行」或いは公の職務の人たちによくある「不作為」による人災とも言える災害だったのかもしれない。

  国策として推進してきた原子力発電でそれがしっかりしたコントロール下にあって、原発推進発端の脱石油依存、発電コスト低減、安全の進化を遂げられるのであればいいが事実はそうではないようだ。熱心に原発反対を言い続けている運動家もいるのだが、その主張内容は必ずしも全ての人に認知・理解されているわけではない様に思う。
 今回の事故により今までの原発推進の裏側が全て国民の知る事となり、それでも国情から原発をやるんだというなら何らかの画期的な安全対策が条件になるだろうし、かつて2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所の放射性物質漏洩事故があった時にその国策原発政策を見直す機会があったはす。だが根本的な見直しにはいたらなかった事も今回の大きな被害に至った人災と言われる所以。ここで立ち止まり見直すことが出来ない様な莫迦な体制なら、日本には国民を守る基本的な国家理念など無いという事になる。
 クニの体をなしていないという事だ。そこまで来たらいくらおとなしい国民性と言えど既存体制での統治を否定する行動に出る理由付けとしては充分過ぎる。

 本来、これら過去の負の政策を転換させうる機会を政権交代というものには期待したい気持ちが有権者には多くあったのだと思うけれど、「ただちに健康に影響を及ぼすようなレベルではない」とかさっぱり分らない政府見解も聞き飽きた。ウソではないが本当のことを言っていない。というのはこんな会見を何度も聞く国民の殆どは感じているはず。想定外の災害だったので・・・という事で東京電力は国の金、我々の税金を使い復旧資金とする為の布石も打っておく様な不定見で単に国民反応を覗う政治だった事が明らかになっただけ。

 週末の報道では枝野官房長会見で【「・・・原子力損害賠償法の例外規定を適用する可能性」について「社会状況からありえない」】と表明したようだ。又、記者の質問「枝野幸男官房長官は「大丈夫」「安心」と言い続けてきたが訂正したらどうか」という内容については  【「私のこの2週間の発言、記者会見の内容はすべてホームページで現時点でも公開している。私は今申し上げたようなことは、申し上げたことはないと思っている。その都度、あらゆる可能性や現状、その時点において『今、何をしなければならないか』ということについて、その時点における状況を踏まえながら、それぞれの時点における政府の判断を申し上げてきている。今、ご指摘いただいたような内容の発言はしていないと私は思っている」】
これが「ただちに健康に影響を及ぼすようなレベルではない」という表現の逃げの部分なわけだ。何時の機会かに書きたいと思っていたのだが民主党(に限らずか!?)の元弁護士と言う方々がいう言葉の巧みさというか、言葉尻を取られないような言い回しとか多弁ながら何を言っているのか分らんような、ディペードなり裁判事では有用かもしれないテクニカルな喋りは小手先の技術であり、本当の政治家に求められるそれとは似て非なるものだ。タイプは違うが仙石由人、枝野幸男、同じ様な手法路線の男を、そんな同じ職責に任用する男も又、国民との信頼関係などというものは理解できていないんだろうなぁ。

 ちなみに福島県浪江町R114とR459が交わる辺り、屋内避難勧告の半径30km境周辺では原発事故以来継続して100uSv/hを越す数値を記録していた場所。この週末25日に初めて24時間累積の放射線量を公表した。
関連記事(毎日新聞)
【文部科学省は25日、東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発から北西約30キロの地点で、24時間の累積放射線量が最大約1.4ミリシーベルトに上ったとする測定結果を発表した。防御なしで屋外にいた場合、一般の日本人の人工被ばく年間限度(1ミリシーベルト)を超える放射線を1日で受ける計算。【山田大輔、河内敏康】
 ◇異例の「自主避難」、安全委が国に要請
 内閣府原子力安全委員会は同日、放射性物質の拡散が収まる見通しが立たないことを受け、政府が「屋内退避」指示を出している同原発から半径20〜30キロ圏内の住民は「自主的に避難することが望ましい」との助言を、原子力災害対策本部(本部長=菅直人首相)に対して行った。安全委の防災対策指針には、累積放射線量に応じて屋内退避や避難を選択するための指標があるが、どちらでもない「自主避難」を国に要請するのは極めて異例だ。
 これを受け枝野幸男官房長官は同日、20〜30キロ圏内の市町村に対し「住民の自主避難を促進するとともに、政府の避難指示が出た場合には直ちに避難を実施するようお願いしたい」と、自主避難を促す考えを示した。対象地域は9市町村で、1万1000人程度がいるとみられる。
 文科省の調査は、震災以降定期的に実施しているモニタリング(監視)で、1時間当たりの放射線量が高めに出ている北西約30キロの5地点(福島県浪江町、飯舘村)と、南約25キロ(同広野町)の1地点を選び、簡易型線量計を設置して23日昼から24時間の累積放射線量を測定した。】

この地域の測定ポイントから5km離れているという民間オートキャンプ場に以前お世話になった事があり、そこで開設している掲示板を見ながらずっと気になっていた場所だった。
 ユニークなキャラクターのオーナーはそこで頑張ると言っているが、合わせて訴訟の意志もあるようだ。ホームページリンク「画像掲示板」の書き込みで切実さが伝わる。
⇒【ゆうの里&ファーム風の丘】


 このエリアは元々こういう時こそ使うべきな「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)とかいう防災技術のデータが公表されたのも事故から2週間近くも経ての23日。内閣府名での公表だった。
 公表データにはしっかりこの地域、しかも飛び地での危険性が示されている。またこの傾向は先立って実際にこの空域を飛んで測定したという米軍無人偵察機のデータとも重なる。
 23日の”SPEEDI”データの発表は米軍グローバルホークのデータ公開もされてしまい、公表せざるを得なくなった!ものでなければいいがそんな経緯で出てきた発表なら政府の発表することごとくに懐疑的な目で見られてしまう事になる。

 不安は政府発表内容の信頼感の乏しさからくる。「直ちに健康への影響は・・・」などという表現や2転3転する避難指示など最たるものだろう。さほど心配する事はないとかばっかり言い続けるその本人なり本部は現地から遠く離れた場所からいうだけで、現に地域自治体の市庁舎なども既にそっくり避難している状態をつぶさに見ている住民は何を信じてよいか分らなくなる。パニックを抑える、或いは治安というのが念頭にあるのだろうが、指示、公表する側がその対象の住民に真摯に正しいデータを示して協力を訴えれば受ける人々の殆どは冷静に受け止めるだろう。日本人はそういう国民性なはずだ。
 対象の国民に対し騙す意図は無いにしても、その国民を信ぜず真実を隠していると受け止められる事ばかり言えば当然ながら国民はその政府を信ずる事など出来なくなる。今はそんな状態になって来ているように見える。

 もう一つ関東で実施されている計画停電については節電で賄えるという説もあり、
「(節電を促がす為に)電気料金の体系を変えてはどうか・・・」端的には(電気料金の値上げ)と言っていた閣僚もいるようだがこれまた批難の反響の多さであろう翌日には
【与謝野氏は同日夕、記者団に「個人で非常に大きな電力を使っている方のところは料金体系を変えることも検討したらという話だ。説明不足だった」と述べ、一般家庭の料金引き上げ論を実質的に撤回した。】
 ※ここで注意すべきは「一般家庭の料金体系」と言うことだ。今、一般家庭電気料金の課金は逓増制という電気を使うほど高くなる体系になっており、これが事業用だと逓減制という使うほど単位金額が安くなる体系だという事。与謝野氏の料金体系変更は一般家庭に対して事業用体系の方向へという事らしい。どう云う試算を元に言ったのか分らないが使うほど安いならそれほど困窮状態にない家庭ではふんだんに使う方向にいくんじゃぁないの!?そしたら益々電力の需給ギャップは拡大するジャン!!待てよ、元々可処分所得も少なく電気代を節約し必死に節電している、慎ましい家庭ほど電気料金が上がってしまう!!とあくまで大企業優遇でシモジモを牧民化したい東大閥が支配する官僚の入れ知恵っぽい・・・こんなの素人憶測でも分りそうなバッカじゃなかろうかルンバというところだ。
与謝野発言が分りやすい⇒ロイター通信記事

 ここは政治家がいち早く逃げてしまった格好なのか逃げたことを知らなかったか東京電力は
【東京電力は25日、夏の電力需要のピーク時間帯に、電力料金を値上げする方向で検討を始めたことを明らかにした】
と報道され今まで政治家を抱き込みながら物事を進めてきた大企業のやり方が機能しなくなっているようだ。この辺りはジャイアンツ球団会長の渡辺恒雄が強弁したのセリーグ先行開幕撤回顛末を見ても政治家の逃げ足の早さというか、危機の時こそ人の真価が見えるもの。世情の様子を伺いなら処するばっかりに見える今の政治家の力の無さに落胆する。

 肝心の東京電力の責任者は社長も会長も事が起きて2週間しても姿も声もない。
こんな政官業癒着の仕組みならいっそ解体して外資に売ってしまったほうが余程いい。独占10社が永遠に電力を牛耳る構図より最大手の東京電力を売り払い、癒着隠蔽の建前自由化、実は既得権益の体制擁護に汲々する最大不幸の社会よりしっかりしたサービスを提供する事が生き残る仕組みにしないと不幸はなくならないだろう。
 菅総理は震災2週間が経ってから【25日、官邸に平成7年の阪神大震災当時、内閣官房副長官(事務)だった石原信雄氏を招いた。「阪神大震災での政府の復興支援態勢を聞きたい」】とレビューなのか既に今回の反省モードに入っているのかわけの分らない行動。どうせ本当に震災対策の政治に求められる意見を聞くなら、阪神淡路震災当時、急遽「震災対策担当大臣」を務めた小里貞一氏にも一緒に聞くべきだろう。こういう事態でも党派を超えて、とか派閥を越えてとかの度量は無いようだ。であるなら彼の力量範囲でしか今の国難に政治方針を求める事が出来ないという事。う〜ん。カイワレパフォーマンスをした大臣に相応しいアクションはせめて福島原発に入り最前線の作業員を励ますと共に福島産ほうれん草のおひたしをおかずに昼飯でも食べて見せる事かなぁ。

 復興資金が膨大なものになる事は誰でも予想する事だが、復興名目の消費税、子供手当て上乗せ凍結、高速道路料金見直し凍結、差し当たりの不要不急の支出を止める事は当然ながら、善意の募金、義援金も有力な資金となる。
 震災直後イチローがぽんと1億とかスポーツ選手始め有名人の義援金が相次ぐ。あまりTVには出なくなった久米宏の2億円というのも驚いたし、ユニクロの元社長、現ファーストリテイリング会長の柳井正氏が個人で10億円と言うのもビックリ!なんと金正日まで義援金を出しているというのだ。こういった支援者、団体の義援金をリストにまとめているサイトもあってこれも又々驚きだった。

 言わせて貰えばその中での最たる驚きは国内企業、時に政策まで動かす大企業の義援金というものが前の個人の善意額にも及ばない企業が多く10億円という額を出した企業などない。ということ。なんとAKB48所属プロダクション支援額よりも少ない!ヲイヲイ。
 復興事業が軌道に乗れば復興特需の恩恵を受ける企業は今のうちに先行投資という経営判断もあろうだろうに。まぁファウンダー不在となったサラリーマン社長企業ではそんな気概も示せまいが、せめて活きのいいバリバリ若手を抜擢した企業なら期待が持てるか・・・。
 丁度これを書いている時点で放送されているNHKクローズアップ現代。活きのいい社長のイメージそのままのコンビニ「ローソン新浪剛史社長」自衛隊輸送機まで動かして被災地に食糧支援として自社のおにぎりを供給したという。

 押し並べてそれぞれの業界談合かどうなのか分らないが、その産業ごとに申し合わせたような金額が並ぶ。
 金融危機以降の日本経済が沈みっぱなしのなかエコなんたれ減税の「実質大企業補助金政策」を受けて業績回復している大企業群、とりわけ自己資金の潤沢な○ヨタ自動車などこの際1兆円位、放出してもいいんじゃないのか?借金財政にあえいでいる中での国難時、総額300兆円もの内部留保を持つといわれる日本企業のいくつかがここで、そんなビックリするくらいのお金を出せば、自分だってプリウスを・・・なんて考えてみるだけはするかもしれない(苦笑。
 自分がかつて録を食んだ業界の大手は3億円という談合額を決めたものか横並びにそんな数値が並ぶ、それでも心ある支援か義援金プラス得意分野の現物支援もあった。ラジオ3万台という+支援内容を見たときには多少ホッとした部分もあったが、ある程度それぞれの企業体質を窺い知る目で見る「現物支援総額3億円相当」という企業名を見るになるほどなぁ・・・という溜息も出てくる。
 個人向け財政支出削減と税収面から、ようやく法人税減税の見送りにまで検討が入ったようだが、災害被害を理由に損金計上が見えている中、さほどの効果は無いような気がする。
 むしろこの機会に企業義援金も現状の損金限度額から外すとか貢献度減税とかの措置で、オールジャパンPower結集と云う施策もよさそうな・・・

'11/ 03/ 19 加油. 
 「ジャ〜ヨ〜(加油)」「頑張れ」という意味だけれど今のこの地のクルマに
油(ガソリン)を加えて欲しい(苦笑

 仕事で最初の渡航が台湾だった。
初めは身構えながら接してしまうその国のスタッフから受ける印象は意外なほどの親近感を感じさせられた。それはいい意味での驚きだった。
 その後5,6回は行っただろうか、徐々にその親近感は歴史的、地政的背景を関わりとして理解をするようになった。
 他の国へ行く機会も増えるにつれ、この日本という国と他の国との対日感情というのか、それぞれの付き合いの歴史、特に戦前、戦後の互いの国情の変化がもたらす建前の部分。人と人の付き合いから解る本音の部分。勿論その逆もあるし、共感をする部分もあるが同調できない部分もある。
 下の映像は台湾の小学校の先生が撮ったものだろうし、今回の震災を説明した後であろう。教えられ「日本加油(zi ben jia yo)」と声を上げる子供たちには変な作為はないはず。 
中国の子供たちもそうなってくれんかなぁ。



【日本加油(zi ben jia yo)
日本 がんばれ!
1999.9.21の時、台湾で酷い地震があった
その時、日本は一番早い、そして、一番人数多いの救援隊が送りま-した
日本からの寄付金は総額の六割ぐらい、本当に感謝する
今こそ、私たちの恩返しの時だ
921地震的時候,日本派遣了人數最多的救援隊來到台灣
當時日本國民捐贈的金額,大約是總數的六成
我們一樣經?過同樣的天災,而現在是我們回報上次救援之恩的時候-了
日本? 加油!!
fish240160 19 時間前 43 】



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 一昨日の訃報情報。今日が火葬。沿岸部からはずっと離れた水沢が告別の地だった。
打ちひしがれた遺族の姿を見るのが辛くなる。彼が生まれ育ち、冗談に「日本のビバリーヒルズ」と言って愛した故郷、今は野辺の送りも出来ない。
 慟哭の時を過ごしたはずの喪主が気丈にお骨を抱え外に出た時、彼の愛した長く美しい砂浜が続く故郷の方角から大きく紅い月が昇っていた。
'11/ 03/ 17 Pray for JAPAN. 

 地震発生後7日目、ネットが回復し2日目。様々な情報が飛び交う中、憶測、流言蜚語まがいのものもある。そんな中、不安、悲しみを安らげてくれる情報が心強い。
 見ていて目頭が熱くなる。







 今夜遅く訃報連絡。明るくハキハキした好青年という印象が残っている。
「どこの出だ?」と聞くと「ビバリーヒルズだ」と応えたものだった。今は津波による壊滅的被害を受けた瓦礫の街となってしまった。
 震災・津波の後、行方不明から死亡が確認されたという。無念。
'11/ 03/ 16 M8.8⇒9.0。周囲の灯が消えた日。 

3/11日(金)14:46この日の地震体験記(1)
 ついこの週9日、M7.3という牡鹿半島沖合い160km深さ10kmが震源という地震が起きた。
 この辺りで三陸沖を震源とする地震が起きると、直感的に連想するのは1978年の宮城県沖地震。けれど気象庁では震源の位置が太平洋プレートの沈み込み領域なんだそうだ。 宮城県沖地震の潜り込まれる側の位置とは違うという事で、予想されている宮城県沖地震の再来とは直接的な因果関係はない。と言う報道だった。
 自分などはどっちみち、その周辺で蓄積されたエネルギーが放出されれば、多少はガス抜き的に、先30年で発生する確率が90数%といわれている宮城県沖地震の再来は遠ざかるんじゃないのかなぁ・・・などと呑気に思えていた。

 ログサイトで杉材の皮むきをしていた午後2時46分。今回の地震は来た。様々言われる自然界からのアラーム、雉が鳴くとか地震雲とか、「なまず」・・・は飼っていないのでわからないが、海洋地殻を震源とする故なのか、普段山の中に居て、鳥類、獣はチョクチョク見るのだが今回そんなアラームは全く感じられなかった。
1週間前のM7.3のヤツは初めグラグラっときて、次第に横方向のゆっくりしたような気持ちの悪い横揺れがしばし続いた、比べて今回は気持ちの悪さを感じる間もなく、さすがに直立自立し続けられる状態ではなく、地に足が付かないとは正にこの事。傍の運搬車を掴み身体を支えた。気になるログウォールの倒壊はないものの、ログウォール全体が揺れているサマははっきりわかる。林の立木はざわめき、杉の木もワサワサと揺れ続いた。
 数百メートル離れたR457方向からは「バキッ・ガララ・・・」というような音が聞こえた。

 P波とか云う初期微動とかを検出して地震が来るぞ信号!を流すというシステムは9日の地震は発せられなかったらしいし今回はラジオの傍にいなかったので聞こえなかった。
 ただこの金曜日この時間の番組を担当していた高橋ちえアナウンサーが
「津波警報、しかも大津波警報!予想される波の高さは10m!!すぐに逃げて、逃げて・・・」と連呼し始めたので、ただならぬ緊迫感が感じ取れた。
 丁度、傍では剥いた杉皮の処理と、伐採後の枝処理もあり2箇所で焚き火を起こしており、休憩小屋ではストーブを焚いていた。揺れが収まった時に真っ先に焚き火に土を被せ、休憩小屋に走った。小屋を開けると棚のものが床一面に散乱。ストーブは30cm程ずれて動き、30cm角のレンガ状に焼いた敷石端までズレ動いていた。煙突もはずれ慌てたが、幸い薪は完全燃焼状態の終盤だったようで、炎も煙も出ずに、おき火としてストーブ内に納まっていた。火の始末に一安心し、携帯メールを打ち、床に散乱した、諸々をまずはひとまとめにして片付けた。

 次にログサイトに戻り、道具類を片付け、まずは帰路についたのが16時頃。休憩小屋には飲料、調理水として4Lペットボトル4,5本は常備しており後から思えばその飲料水数本を持ち帰ればよかったものの、その時点では、東北圏ほぼ全域が停電状態になっていたことなど思いもよらなかった。カーラジオからは刻々と地震の大きさと広範囲な停電の状況、到達した津波は潮位計のレンジを上回って数値不明!とも流れる。帰りの時間は普段より2時間近く早く、通常の通勤ラッシュ帯からはずれているはずなのにやたら自家用車の多さに、工場とか企業の多くは従業員を早めに返したものだろうと思われた。道すがらの店舗には蛍光灯などの光が見えなく、大型スーパーでは買い物客は店外へ誘導したのであろう、大きなガラス戸の前には何か大きなモノを置いて駐車場も閑散としはじめていた。途中のコンビ二も薄暗い。レジのシステムがどうなっているのか詳細は分らないが、いづれ電気がなければ通常処理は出来ないのであろう事は分る。途中1軒のコンビニに寄ったら、店内の棚から落ちた商品で通路は足元が塞がり、暗くなった店内の商品棚の間に、長く続くレジ待ちの列、20人は並んでいたと思う。ドリンク類の水探をしたが、エビアンが2,3本残っているだけ。何時もは1,2人で処理しているレジも5,6人が手作業で対応している。

 この長坂のコンビニに着くまでに数軒のコンビニ前を通過したが、入り口前にはゴミ箱を並べ店を閉めているのが殆どだった。なので駐車場に車が並ぶここのコンビニに寄ったのだがここで休憩小屋に残してきた4Lペットボトルの水を置いてきたことを悔やんだ。このコンビニの向かい側にはチェーン展開するドラッグストア、食料品も多く扱っている。
 駐車場にはクルマも多く、店内は当然暗いが営業はしているようだ。コンビニプライスよりずっと安いし、ここで水を探して行こうと店に入った。確かにフロアー面積はコンビニの10倍もありそうで商品もそれなりの量があるんじゃ・・・との思いで店に入った。店内ではレジ待ちの列も前のコンビニの10倍とは言わないが、4,50人は並んでいた。まぁスーパー的なレイアウトのレジなので結構処理は早いだろうと、まずは水探し!・・・ない(泣・・・少し離れた床に誰か商品をとったあと買うことを止めたか、5本並んだミネラルウォーター。すかさずこれを腕に抱え、レジに向かう間に、お買い得の2Lウーロン茶を手に取りレジに向かう。
 やはり手処理の清算で時間がかかる・・・良く見ると「水、茶」だけを持っているのは自分だけのようで周りを見ると、普段はそんなに買わないだろう〜みたいな量の商品を買い物籠に満載しているのが多い。どう見ても相当の長期戦を構えている様子。クルマのラジオでは得ていない、もっと詳細情報を聞いているのかもしれない。そんな買い物客の列を見ていると更に今回の地震の影響の大きさを感じた。

 この日の地震体験記(2)
 停電初日、いつになく星空がキレイ!
我が家ではオール電化でもなくソーラー発電でもない。まぁソーラーパネルを上げても、独立系でもない限り日の当たらない夜は同じなわけだが、商用電源のない夜は灯りはロウソクor懐中電灯orランプ!?・・・電気が供給されない殆どの家ではそんなものだろう。エンジン発電機とかを持っていれば容量によって照明やら消費電力の少ないTVもカバーできるだろうがそんな備えのある家庭は多くはない。
 まぁ1夜程度なら、ロウソクの灯りでそれまでには乏しくなった家族の会話を交わすのもいいかもしれない(苦笑
 夕飯の後、外に出たら満天の星空だった。辺りに目に付くような灯りがなく、それは遠く離れた待ち灯りが地平近くの星を見づらくさせるようなこともなく、昔教科書で見たような星座がはっきり見えていた。そんなことだけ思って眺めたために、この季節でも星空の晩の冷え込みを気にすることもなかった。それが後々後悔する事になるのだが・・・
 電気毛布も使えないながら、幸いにも我が家では薪/石油兼用風呂なので、ボイラーのバーナーが無くても風呂は沸かせる。な、もので、何年か振りの団欒後はギッチリ充分な晩酌を満たし、風呂で暖まり普段より3時間も早く寝た。
 焼酎水割りを飲みすぎて1度トイレに起きた後は通常の起床時間までグッスリ寝込んでしまった。聞けば寝てる間にも余震がひっきりなしに続いていたようだが、ギッチリの晩酌効果か自分は朝まで目を覚ます事はなかった。


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 さて地震後2日目。3/12(土)

 異様な揺れ方とM8.8とかいう規模、各地の詳しい震度はわからないが、震源から200kmは離れている山の中で体感した地震のただならぬ状態、震源が三陸沖という事で昨日のラジオでの津波情報を考えると沿岸部の安否状況が気になるし、まずは水の確保をするために自宅の井戸から汲み出すポンプを動かす電力を何とかしないと給水に頼るか、近所で井戸を持つ家から貰い水をしないと・・・
 ログサイトでは独立型の太陽光発電設備を2系統備えている。その内の1機を移設すれば何とかなりそうで、軽トラで運び出しに向かった。緊急対応なのでパネルとチャージコントローラは設置と配線も手間取るので軽トラのエンジンで何とか充電も補えるであろうとバッテリーとインバー、飲料水ポリタンクだけ持って来る事にした。

クリックで画像を別ウインドウで表示します。 ・・・なんといつもの通い道、あと1kmチョイで着くと云う所で旗を振られ通行止め!!!。確かに昨日帰ってくるときに路面に入った亀裂を見ていた。特に橋の前後には数cm程度の段差もあった。3,4年も通えば迂回路・裏道はソコソコ頭に入っている。行く手を遮られ旗を振られた交差点から90度折れ、裏道に入り気になっていた段差の生じた橋を迂回した。ところがそこから200m程で又々旗でストップ。なんと庵に入る所まで2,300m前で進めなくなった。聞けば「いつものところで崩れたんだよね」と言われ、なるほど!と。確かに2年間にも2,3ヶ月掛けて崩れた道路わきの崖を補修した場所らしい。
 あと200mチョイでUターン。厳美町までグルリと大きく迂回。結局普段と反対方向からログサイトに入った。ログ内においてある道具類は振動で動いたものもあるが、致命的な損傷などはない。ただ敷地内では盛り土した所もあって、縁の方で亀裂が入っていた。降水量の多い雨が続いたりすると不安だが、すぐにどうのこうのというレベルではないと思い、補修は後日!と、軽トラにバッテリーとインバーターを積み込んだ。ここで地震当日は安否確認が出来なかったところも何とか無事を確認出来てホッとしながら電源を持ち帰ったが、制限されたトラフィックの中で何とか携帯が使えたのもここまで。

 家に帰って見ると携帯よりは丈夫なはずの通常電話が「つながらない・つながらない」と家ではコードレス電話の子機をもって騒いでいる。そりゃそうだ親機の電源が切れていれば回線は生きていても、親子の電波はつながらない。古い電源要らずの素電話に交換して、親戚周りへの連絡は終えたようだった。けれど、一般回線電話の通信手段はここまでだった。・・・う〜んせめて電線でつながっている回線電話は交換局の電源を強化してそんな連絡手段は保てるようにして欲しい、2日目でそれが途絶えるのは問題だろう、これじゃ衛星電話を使えるゴク限られた人しか通信手段は無くなってしまうということだ。考えろNTTと公務職に就く人たちは!
 なんとここあたりから、携帯の通話制限はそんなもんだろうと思っていたものの電波のバーも出ず「圏外」に落ちた。ラジオもいつも聞く周波数では入らなくなり、家の外に出てうろつけば遠く離れた県庁市局がかすかに聞こえ放送はしている様だが、中継局が動いていないものか、全く聞こえなくなった。それでもようやく、電源を確保出来てTVは衛星放送を見ることが出来た。
 お袋は「TVでニュースが見れるよ。来て見て。」とさっそく茶飲み近所に知らせに行ったようだ。映し出される画面を見てしばし声が出ない。

 確かにヘリを飛ばし、空撮で沿岸地方市町村の凄惨な津波被害を報じていて、今回の地震・津波被害の甚大さを実感した。けれど空撮映像とスタジオでのキャスターの切り替え映像を見ているうちに、どこかそぞららしい印象を感じてしまう。つまりローカルなリアリティがない。まるで自然災害のパニック映画のようなのだ。地震直後のラジオ放送で流れた、ローカルパーソナリティが発した震えるような「逃げて・逃げて」という切迫感が皆無なのだ。東京のキー局から流す報道はまるでゲーム画像でも解説しているかのような感じを受けてしまった。菅首相、枝野官房長の会見もスピーチライターがボンクラなのか官邸メンバーのタレントの乏しさか保身を感じさせる言葉の選び方からか「頑張って行こう!」と奮い立つようなメッセージは感じられなかった。そのことはその後続く東京電力の福島原発炉心溶融事故説明の度に益々強くなってしまった。それでもそんな会見放送の前後に流れる映像は災害そのものを写し出し現実に起きている事柄を把握するには充分すぎる衝撃だった。
 この晩も空は晴れて、大熊座、オリオンがくっきり瞬いた。運んで来た電源はご飯も炊けて夕食も明るく照らし、井戸の水を汲み出して、新しい水で風呂を沸かすことが出来て一息ついたもののTVでは見ているのが辛くなる映像を映し出した。
そういえば、隣で購読している一関の新聞は配達されたというが我が家の自称県紙は配達されない。やっぱりだめだなこの新聞。



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 地震後3日目。3/13(日)

被災感が薄れかけ、日常生活に比べる不自由さが恨めしくなる。
 洗濯機は動くの?と、確かに停電、市水道は止まっている状態で普通には、着の身着のまま、髪も洗えない、風呂にも入れない、状態となる。充分な容量ではなくとも蛍光灯は点き、TVも映せ、湯沸かし器からお湯も出て、炊飯器で暖かいご飯も食べられる。
300Wと記銘板に書かれた消費電力は楽勝で動かせる。さてさて・・・と洗物をいれスイッチを入れた洗濯機。・・・動かない。水が出ない。エッ!?洗面所には出ている!・・・どうやらキレイな星空の下で、この朝−5℃迄下がった冷気が風呂場脱衣所の隅においた洗濯機へ供給する水道のラインを凍らせたようだ。

 通常はコンセントにさしっ放しのヒーターは停電下では当然暖まらない。う〜ん、春の暖かさも感じてきた最近、そこは気付かなかった。1時間ほどインバーター電源で暖め、洗濯開始。騒ぎが収まる。そこからマタマタあれれ!!発生。インバータ容量からは炊飯器も動かせるので洗濯機もOK。ところがその間に髪を洗いドライヤーを使い始めた。たちまちダウン。この辺りから結構イラついて来る。
「TVを見るときは他の電気機器は切れ!」「炊飯器とか大容量機器を使うときは、軽トラのエンジンをかけて、クルマから電気を供給しながら使え!」
 と注意点を言って、乏しくなるはずの燃料セーブの為、少し寒いがバイクで山に向かった。

クリックで画像を別ウインドウで表示します。
 落石での通行止めはそのままで、迂回しながら辿り着く。あらためて通行止めの所を見ると、昨日までは軽自動車サイズの岩が2個並んでいた落石に更に1個転がっていた。落ちてきた崖の方にはその落石した時に当たった杉が折れ、倒れかかっていた。
 休憩小屋内の散乱ぶりは当日、ざっとまとめておいたので、普段の位置に戻し周辺を見て回った。積上げておいたホダ木は一部崩れていたが、全体的には大したことはない。盛り土の亀裂も、去年、道普請をした際に残土を置いた部分との境に沿って走っている。運搬車で運んで置いただけなので地震で揺すられたその境目に亀裂が走ったようだ。雨が多量に降れば厄介かもしれないが、ちゃんと転圧し水路を施しておけば大丈夫だろう。粘土質の土を運んで、もう一つ備えている飲料タンクと、山仕事での昼食用のストック、袋ラーメン、切り餅を持ってこの日は早めに帰った。


   なんども言ったのになぁ・・・自分が不在だった日中、我が家の老両親はTVをかけながら昼寝をするのが日課な様でこの日も・・・たちまちバッテリー電圧低下インバーターは低電圧ダウン。まぁそんなモンだろうなぁ。・・・それでもバッテリー容量が少なくなり、昨日はロウソク暮らしから開放され、TVも見られるようになった多少の快適さも、ちょっとした不注意で又、不自由な生活に戻る事に懲りたせいか、電気の節約意識は高まったらしい。この日はTVも時間帯で見ることにし、意識向上には良かった事かもしれない。
  段々報じられる沿岸部の被害が甚大。気仙沼に住んでいるバイク仲間の状況が気になる。TV映像の津波の規模と火災も発生している状況では一関〜気仙沼へのR284も現地まで通れるどうかはわからない。バイクならなんとかなるだろうし、山道を辿る事も出来るだろうと、積める量は限られるけれど、山から持ち帰った飲料水タンクに水を入れ、持ち帰った袋ラーメンと一緒に積み差し入れに向かった。

クリックで画像を別ウインドウで表示します。  ショートカットしながら通った大曲峠の湧き水の所では宮城ナンバーのクルマが長く並び、それぞれの容器に水を確保している。この峠を下ると気仙沼、そこの惨状が頭によぎる・・・はたして海岸線R45に入れるかどうか!?と思いながらも意外とR284〜R45へ移る脇道まではそんな津波の状況は見えなかった。R45を南進しトンネルを抜け渡った小川を見たら、残骸が川辺の堤防縁まで散乱していた。連絡もつかずに行ったタイミングでは本人には会えなかったが、家も本人も無事という。ひとまずホッとして、少々ながら水と食糧を置いて、R45から見える光景を画像に残し戻った。

 家に帰った夕方、郵便受けを見たら新聞が入っていた、日付は昨日と今日の2部。紙面は号外らしき4面構成「三陸沖M8.8大津波」(3/12)「県内死者258人に」(3/13)4面に「国内初の炉心溶融」この時点では既に古新聞。ま、リアルタイムで情報を得られない環境下では災害の大きさを認知させられる画像のインパクトはでかい。だがやはり紙メディアの形態はこれでいいのだろうかと思う。
 商用電源はまだ止まっている、電話も、携帯も、いつも聞くラジオ民放局もまだ中継局に電力が届いてないのか雑音だけで聞こえない、辛うじてNHKと民放の盛岡局が雑音の中から聞こえてくる。見てきた津波被害とかを考えれば停電の不自由さなどはまだ軽微なものと思えてくる。


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 地震後4日目。3/14(月)

普段は休刊日の今日、新聞は普通に届いた。昨日ラジオTVで報じていたマグニチュード修正値が1面下段に記載「・・・気象庁M9.0に修正」
自宅から山に向かうR457は落石で一部通行止め箇所があるが、前日見てきた盛り土した部分に入った亀裂の補修もあるので雨が降らないうちに多少でも補修をしたいと思った。
 一関市街地に入ると信号機が点灯している。道端では携帯を耳に当てている姿も見える。どうやらここでは電力が復旧したようだ。山の休憩小屋に入ると電話着信とメール着信。電話は以前の仕事関係、メールは2通ともバイク仲間。安否情報等、無事を喜ぶ。停電から復旧した携帯基地局が機能し始めたらしい。
 亀裂部分の補修にユンボを始動させ土を運び、コンパクターで転圧し始めたが、まだ凍っている部分、融けかけている部分もあり転圧をし始めると、小さな液状化とでもいうのか泥が上がり、充分ではないだろうが固められるところだけ処理して帰宅した。
 帰ると、「電気もそろそろ使えなくなるかもなぁ・・・」とオヤジ。どうやら補充電している、残り少なかった軽トラの燃料がつきかけている。電力を食う炊飯器の使用とか洗濯機、TVも使用制限をもっと厳しくしないと・・・と思っていた矢先、道を挟んだ向かいの縫製工場の自販機が明るく見えた。
 どうやら、電力が復旧したようだ。電話は復旧していない。当然インターネットも。
ガソリンスタンドにはクルマが並んでいる。中には7時間も並んだという報道もあった。1に情報、通信。2に輸送手段。もちろん緊急、災害支援車両の移動を妨げるような自家用車の道路占有状態になれば救援障害にもなるが正しい情報把握と軽微な被災者の自立には燃料補給も欠かせない。リスクマネージメントによるプロシージャーもそれぞれの公務組織にあるのだろうが、せめて今回の大規模災害を糧に、やがて見舞われるだろう東海地震。事欠かない地震、台風、洪水、噴火など災害への対応手順がもっと整備される事を望む。
 報道の中で救われる気分になるのは被災した中でも生徒、子供たちの声。そして被災者の声でも「助かった自分たちも頑張るので、まだ見つからない人たちを探してあげて・・・」
計画停電の地域でも災害者の気持ちを思いやり「(停電などの不自由など)被災した人たちの大変さを考えれば、少しでも手伝いが出来ればと思った」
 この思いこそ日本人の国民性最大の美点だとおもう。ただこんな子供の声を紹介するキャスターの「(計画停電で)首都圏の住民にも生活に支障が出始めています」という説明は耳に引っかかった。映像場面は授業風景、蛍光灯が点かないために机を窓際に寄せて教科書を見ているシーンだったが・・・ニュース9もダメだなぁ。伝えるべきはそこじゃないだろうに。子供たちの方がよほどしっかりしている。


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 地震後5日目。3/15(火)

 確定申告最終日。日割りで各地域の申告スケジュールがあるのだが、去年に続き今年も最終日の申告になってしまっていた。さてどうなんだろうと確認してみると、やはりこの災害でネット環境がつながらず中止になっているようだ。電気も我が家辺りでは昨日ようやく復旧しただけだし、クルマの燃料もない。申告日が延期になるのは致し方ないがアナウンスがないのがちょっと気にかかる、せめて早ければこの日にする!とかのお知らせでもあればいいのだが、その情報伝達もしっかりしてないんだろうなぁ・・・
 災害発生が週末で間の土日を挟んで3営業日だけで1800円という日経平均の株価暴落。経済の反応は素直といえば素直。
それにしても、被災地域での物資不足は深刻。3日間でおにぎり1個という被害地レポートもあった。被害の少ない近隣地域とか親戚縁者主体の支援、援助をするにも車の燃料がない。出て行っても途中で補給出来る見通しもなく帰って来れるかが不安になり同県域、隣県域でのやりくりもしにくいんじゃないだろうか!?そんな想いを感じてた所に、この日の朝日新聞の記事。

【 被災地以外の地域で、消費者が水や食料、ガソリンなどを必要以上に買う動きが出ているとして、政府は14日、各省庁の担当者を集めて物価担当官会議を開いた。便乗値上げは確認されなかったが、首都圏を中心に消費者の極端な「買いだめ」が起きていることが報告され、蓮舫消費者担当相は、冷静な対応をとるよう呼びかけた。
 会議では、経済産業省の担当者がスーパー大手から聞き取ったデータを紹介。13〜14日にかけて首都圏の店舗からの発注量は、水が通常の10倍、納豆が2〜3倍、豆腐が1.7倍、牛乳が1.5倍にはね上がった。売上額だと、鶏肉が9倍、缶詰が3倍、大型ペットボトル飲料が1.8倍、コメ1.6倍に。食料品以外でもガスコンロの売り上げは6倍、自転車が3倍、マスクが2.5倍に上ったという。他の大手スーパーもおおむね同じ傾向だという。担当者は「一部の商品が品切れにならなければ、もっとふくらんだ可能性が高い」と指摘した。
 東京都内のガソリンスタンドに客が殺到し、混乱した例も報告された。経産省の説明では、原油は国や民間企業の備蓄などで約200日分の在庫がある。6製油所が震災で稼働停止となり、国内の精製能力はいつもの70%に落ちたが、うち3製油所は今週から来週にかけて復旧できる見通しで、十分な供給量を確保できるとしている。
 農林水産省の担当者は、生鮮食料品の市場での入荷状況や、加工食品工場の被害などを調べ、食料の供給に影響が出るようなら、被災地以外からの出荷を促す考えを説明した。
 実際、大手スーパーでは東京都内の一部の店で、食パンやペットボトルの飲料水、缶詰など多くの商品が棚から消えた。雑貨販売大手では、懐中電灯やヘルメットなどが多くの店で売り切れ状態。メーカーが被災地に優先的に送っているので、商品が補充される見通しは立っていないという。鉄道がとまって帰宅困難者が多数出たことから、自転車の利便性が注目され、自転車販売大手によると、都内の多くの店で一時的に在庫が少なくなっている。
 日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会の宮本一子常任顧問は「消費者は、自分だけ良ければという意識を自粛してほしい。買い占めをしないといった、身の回りでできることをすることから、復興は始まる」と指摘する。
 物価対策を担う蓮舫消費者担当相は物価担当官会議後、被災地以外の消費者に向けて「生活物資は安定供給できる数量を確保している。買い占めによって被災地に物資が回らなくなる可能性があるので、本当に必要なものだけをお買い求め頂きたい」と呼びかけた。(河村克兵、春山陽一)】

まだ電話、インターネットはつながらない


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 地震後5日目。3/16(水)

 雪模様の天気という事もあるが、クルマの燃料を確保出来る見通しもなく、引きこもりパターンを続ける。何もしなくても時間は過ぎるのでログ小屋組みの図面引き。繰り返し書いてみると途中で間違いも見つけたりできるので、何パターンか書いてみる。  午後、何気なくモデムを見るとリンク確立の表示が点いている。イソイソとPCをつないで見るとようやくネットがつながった。これでようやくホッとした。
 さっそく、いつも見ているブログと、TVのニュースで時折報じられている海外メディアから見た今回の災害報道を見て回る。
 どうやら海外からの目からみれば災害時の日本人がとる行動とか感情表現は奇異に見えるらしい。冷静沈着・秩序が行き渡っている。或いは抑制的。とか、ひどい所では混乱に乗じた暴動・略奪が常という。一通り見てみると確かにそういう評し方が多い。ただその中でひねているわけじゃないのだが、むしろ理解した中で、もっと要求を表に出すべきではないかと言っている様だ。先の前日朝日新聞記事も引用している。
書いているのは朝鮮日報、日本特派員経験5年の記者。

  【コラム】被災者よ、もっと声を上げよ
津波被災地にて
【 東日本巨大地震の発生翌日、東京に到着し、最初に取材したのは津波被害を受けた千葉県内の被災地だった。一部土留めが崩れ、建物が傾いているところもあったが、翌日訪れた東北地方沿岸に比べれば、被害ははるかに小さかった。千葉の被災地で目にしたのは、断水で炊事できない住民の「秩序ある買い占め」だった。午後3時ごろには食品はほとんど売り切れた。即席めん、インスタント食品、冷凍食品の売り場は空っぽだった。飲料水は買い占めを防ぐため、数量を限定し、売り場の入り口付近で配給方式で販売されていた。
 翌日、寸断された道路を避けながら、大きな被害を受けた宮城県に到着した。午後5時に千葉を出発し、仙台市の沿岸部に到着したのは翌日午後9時だった。夜が明けて、目の前に迫る光景は悲惨だった。海岸にある木造住宅は軒並み跡形もなく倒れ、仙台港の貨物船は埠頭(ふとう)に乗り上げていた。日本三景の一つ、松島に向かう道路は泥に埋もれていた。
 被災者は本当の沈着だった。家族を失った人々は静かに涙を流し、生きていた家族と劇的に再会した人も、悲しみにくれる人たちを配慮し、静かに喜んだ。空腹でも食べ物をもっとくれと騒ぐ人はなく、切羽詰まって立ち小便する人もいなかった。ペットを連れて避難所に入ることを禁じられると、子犬を抱き、避難所の外で布団をかぶって寝る人の姿も見られた。危機に直面した彼らは、普段よりもさらに声を押し殺し、ぐっとこらえていた。
 ここに来るまでに感じたことがある。28時間かけて運転する道中、救援物資を積んだトラックの列を見かけなかった。裕福な日本はなぜ自国内で十分な物資を送るのにこんなに時間がかかるのか。被災地の人々はおにぎり1個で1日を耐え忍んでいるというのに、首都圏の人々の買い占めによって、被災地に送る物資が足りなくなる(15日付朝日新聞)という矛盾した現実がなぜ報じられるのか。「恥ずべき姿だ」と互いを非難し、自衛隊でも動員して、システムを整える方がましではないか。
 日本人は自分よりも他人に配慮する民族だと言われる。5年半の特派員生活で接した普段の日本人はそうだった。地下鉄でも、争って座ろうとする行動を恥じる国民だ。そんな日本人をわたしは今も尊敬している。被災地の住民も涙が出るほど互いに配慮し合う姿をみせている。彼らは政府を恨んだりしない。しかし、首都圏の人々の行動は、そういう評判とはかけ離れている。静かに列をつくり、もっとくれと騒いだりはしないが、買い占めには違いない。むしろ売り場に殺到して騒いだ方が、深刻な状況が際立ち、状況を改善する上では有効だ。むしろ醜い本質はそのままさらけ出すべきだ。
 被災者の人々には「早く食べ物をくれ、早くトイレをつくれと、もっと声を上げてはどうか」と言いたい。「耐えることだけが良いわけではない」と叫びたい。声を荒げて、こぶしを振り上げなくても救援物資が迅速に届く状況であれば構わない。しかし、現実はそうではない。今の日本は「耐える民族」「礼儀正しい民族」という自己催眠に陥り、自ら苦痛を生み出している。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)産業部次長待遇  】


 さてようやくネットがつながったのでHPにUPする事にしよう。

ネットがつながった日、そのA
5日ぶりでインターネットがつながり、その間TVを通じた報道情報しかなかったので目に訴える映像のインパクトに惑わされがち。個人が書くブログの文字情報よりはTV映像の方が容易く人の頭には侵入しやすい。反面文字情報が感覚的な知覚というよりは一旦、自分の頭の中でその情報を再構成して理解する為なのか、想像する領域も必要になってくる。注意すべきはややもすると、そんな想像領域が妄想やら流言蜚語的に極端な偏りを生む場合もある。ということだろう。既存メディア・ネット情報それぞれの特異部分を意識して受け止めないと・・・。
 地震が起きた翌日には衛星放送で流れる被災地の凄惨な映像にビックリしながらも、どこか空々しさを感じたのは、その映像を提供する相手はその被災者ではないんだろうなぁ・・・というところだったのかもしれない。
 ネットがつながりTVメディアとは違う方向から見る今回の災害で起きている事柄で違和感を感じるのは、被災地域での物不足、救援行動の遅さ。福島原発事故の実態。というところか。
 明日も雪が降り気温が下がる、ガソリンが入手できなければ又もや引きこもり中高年になりそうだ、もうすこしネット情報を見る日になるかもしれない。     


'11/ 03/ 6 山仕事:春近し!三寒四温のサイクルに入ってきた。

 急に季節が2,3週間後戻りしたような、雪と低温が続いた。
それでも数日するとまた10℃近くも気温も上がり陽射しの暖かさが心地いい。冬から春への三寒四温のサイクルに入ったようだ。
 厳冬期に続けたホダ木伐りもひとまず終わり、自家用の分は最後に伐ったのであとひと月程乾燥させ植菌に備える。
 ようやくログワークの戻り始めた。まずは1年ほど転がしておいて邪魔にもなった中途半端な長さの杉材を縦割りにし、テーブルの天板用に確保。更に乾燥が進めばフラットに挽いた面も表皮に近いほう程収縮するのか相対的に中央部が膨らんだ状態になるため、割った後、又しばらく陰干しにしておく。まぁこれはログワークの手が空いた時なり、雨のシーズンにでもテーブルに仕立て上げよう・・・かと。

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 先週とはうって変わって、荒れ模様天気の週、さすがに山仕事は・・・てな日に3シーズン専用通勤快速号のタイヤ交換。
愛車記録なるものなんてつけていないので、このホームページの以前の掲載記事を探してみたら08年の7月に交換して以来なので2年半走った感じだねぇ。走行距離にして15000Km程か!?クルマにすれば早い消耗という所だが、2輪ならまぁソコソコもった方。それなりの交換時期ではある。

 なにせ時折40km/Lを越し、多少アクセルワークを荒くしても38km/Lは走る貴重な省GAS通勤車のAX−1。このガソリン高のご時世、啓蟄も過ぎ朝夕の気温が10℃を維持する季節になったらコイツが山行きの足となる。
 世の中の人気車はエコなんたれともてはやされるハイブリッド車が大人気らしいが、自分はこの胡散臭いクルマは好きじゃない。まビンボウ人のひがみ・やっかみも多分にありますがね。
 減税・エコなんたれの詐欺まがいなキャンペーンも気に障るし、クルマ自体の存在価値はあるんだと思うが、誇大広告の燃費値はどうかと思うんだなぁこれが。カタログ値と実燃費の平均の乖離の大きさは異常でしょう。(苦笑

 約50万人ユーザーの実燃費を集計しているというe燃費という「Response」のデータではこの集計された実燃費をカタログ値で割った「カタログ燃費達成率」なる数値がが表されているが、ハイブリット車はこれが50%台から60%台となっている。いくら30km/Lというカタログ値でも、実際は20km/L程度しか走らないという事なのだ。悪ければ15km/Lソコソコという事もあり得る。測定条件とユーザーの走り方の違い。あるいはユーザーがハイブリット車特有の走り方のコツを心得ていない。という事も言えるのかもしれないが、ガソリン車では70〜80%が普通のようだ。ガソリン車でも省燃費を謳う車種ほどこの達成率が悪い。

   昔の60km定地走行とかよりはましになっても現在のモード燃費計測方法がこんなクルマの実燃費をカバーしていない。という事もあろうが、法の網の目をくぐらせるみたいなメーカーの良心の無さが問題なのかもしれない。ま、4輪と2輪を比べてもしょうがないが、我が3シーズン限定通勤快速車ではカタログ定値走行燃費50.2m/Lが実燃費38km/Lだとするとこの達成率計算では75%程は走っている。天候の悪い時に乗るクルマ、初期型のエクストレイルでは10・15モード12km/Lのカタログ値に対して実燃費は平均10.5km/L程達成率87.5%という所か。

 ハイブリット車の悪口をいうつもりもないのだが、燃費、省エネだけで選択すると、車両価格差を燃料代で浮かせる為には15年かかるという試算をはじいている記事もある。15年乗るためにはハイブリット車専用の大きなバッテリー交換も必要になるだろう、それも加味すれば20年も乗り続けないと・・・とか。
 CO2低排出でエコロジーと言うのも疑問。確かに走って燃費の良い部分だけ見ればそうかもしれないが、そのクルマを作る過程での排出CO2はどんなもんだろう!?少なくてもガソリン車+ハイブリット車専用パーツ生産にかかる排出CO2はいかなるものか?バッテリー・モーター・制御機器・・・
 う〜ん省エネルギー、低コストにこだわるなら自転車かなぁ!でもチェーンソー担いで30kmの自転車通勤はそれだけで疲れ果ててしまいそうだし、やはり当分AX−1号には頑張ってもらわないと・・・    



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