徒然なるままに


2008

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'08/ 10/ 26 山仕事:基礎用丸太の埋め込み開始/ログ加工もまずはハーフログ。
 
 竪穴式住居の縄文時代は基礎なんて無くて、円錐形のティピーに似た屋根を支える為の柱を数本埋め込み、直接地面へ掘り込んで建てていた。弥生時代から古墳時代にその柱を増やし外側の柱部分を垂直に囲い壁となり屋根は入母屋、切妻という形で壁/屋根兼用の円錐形状から、屋根と壁の役割を分けることで内容積も増え居住性が格段にあがった。
 ただこの時代でも基礎はなくて木柱を地面から立ち上げる掘建柱建物という事になる。古い時代から建物の構造を見てくると、基礎、礎石を使うのが普通になるにはそんなに古い歴史があるわけではないようだ。
 Wikipediaで拾い読みすると、【中国大陸、朝鮮半島で広く普及されていた基礎方式が移入されてた後も、限られた建物にしか用いられなかった。その理由は1、自然災害の多い気候/2、日本民族の保守性と木材資源の豊かさ。】とある。確かに伊勢神宮などはいまだ掘建ての社殿で20年サイクルで、同じ構造建物を隣地に建て替える方式をずっと繰り返している。

 メーカー、建築屋さんなどではログ加工と仮組みをするログヤードに土台位置に丸太を埋め込み、そこの上に組んで行くようだが、その埋め込み木柱も木材選択、防腐処理などを適切にすれば、そのまま恒久的な基礎にすることも可能なようだ。アラン・マッキーの参考書でも掘り込む穴の底部に沈下防止のフーチングを置く木柱基礎が紹介されている。

 菊爺の参考書はこのアラン・マッキー著「エコロジカル・ログビルディング」1冊だけで、これをバイブル的に参考にしながら分らないところはネット検索頼りなので、この基礎はバイブルにもある木柱とフーチングとした。防腐処理は埋め込み部分を焚き火で焼いて表面を炭化させ、地面から出る部分は防腐剤頼りという事になる。何気に大上段で縄文時代からの掘建てにこじつけて木柱基礎の妥当性を書いてきたのだけれど、もう一つ縄文時代は勿論、最近の茅葺き家までしばし続いてきた構造の土間も取り入れてみようと思っている。ログには似合わないかもしれないが作業小屋としての用途を考えているので土間は重宝しそうな気がするのだ。

 「いつかはハスクの346XP」と思いながら、安さで買ったリョービの37.2ccチェーンソーをメインに使い続けている。ログを組み合わせ積んで行くときの「ノッチ加工」には適度なサイズのようだが、長い材を半割りにするハーフログ加工は大きい機械に方がいい!とは実際のログ系サイトでも書かれているがマッキーの参考書では結構アックス(斧)とかノコギリを使った手加工の記述に多くを割いている。勿論チェンソー加工を現実的には主に取り上げているが、彼が今に至る過程では手作業を多く繰り返したのであろうし、そういった動力に頼らない手加工に対するこだわりが強そうだ。
 ハーフログもシルログさえ、とても手加工なんて気力はないので手持ちの37ccチェンソーで半割り加工を行った。元口30cmの9m材、途中燃料補給を2回。1時間足らずで割れた。ブラッシングで均しカンナで仕上げる。ま、ちゃんと(多分!?)切れるけれど、後半は歯がタレて来るのか、切れは明らかに落ち、バーサイズも16インチを使っているが、もう一回り大きくパワーがあって18インチバー位のチェンソーがいいようだ。やっぱり346XPを再度狙ってみるか・・・蛇足ながら文字通り46cc版のエンジンのこのモデルはこの夏以降モデルチェンジされ51ccにサイズアップしたようだ。メーカー毎に名機なのか人気機種はあるものだが、ハスクバーナでは好評らしいこのモデルも今回のモデルチェンジは良い方にいくのか悪い方に行くのか!?

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今週の・・・

「心・信・真」
 普通23時30分からのフジTV系列の「ニュースジャパン」がその日最後のキー局ニュースとなる。その時間帯まで各キー局それぞれのスタンスも加え事件報道が続く。
 今週22日晩、「岩手県一関市の・・・殺人で・・・逮捕・・・」
住む土地の市名が報じられれば「アレッ」と注目はするが、一関と言っても東西60km程あり平成の合併以来、旧町村まで分らないと本当に身近な出来事かどうかはピンと来ないところがある。22日の報道はそうだった。翌23日には詳細も加えられ夜のニュース番組では各局、この事件が全国版で流れた。自分はTVニュースを大概3,4局立て続けチャンネルを替えナガラの流し見聞きが多く、この事件報道を「この局も、ここも・・・」みたいな感じで見た。

 事件詳細が伝わるにつれ、結構身近な出来事だった事がわかると、あらためて報道行為のありかたも当事者寄りな見方で見てしまうようだ。「報道ステーション」では、最近のワイドショーとかニュースショーとでも命名したいような番組でよく見かけるのだが、当時42歳という被害者の高校時代かなんかの写真から始まり、近所、元同僚とかへの取材、聞き取りボカシを入れたものから「アレっ見たことがあるなぁ」という人も画面で話している。レポーターが、今は廃屋然とした加害者の営んでいた工場の映像やら、被害者の務めていたという会社はボカシをいれて報じてた。「2億円・宝くじ・金銭トラブル・殺人・オトコ・オンナ」と言うスキャンダラスで週刊誌的な採り上げ方、見ていて気分が悪くなる思いをしながら見ていた。

 「ニュースジャパン」ではキー局最後の時間帯という事もあるのだろう、視点を変える場合が多い。冒頭の「心・信・真」とはキャスターの松本方哉がこの報道に加えたタイトルだった。その意味する所は逮捕に至る捜査過程で、被害者との関係から容疑者の特定として既に昨年2月辺りから絞込み捜査を続け証拠固めをしていた。けれど最終的には容疑者への聞き取り、確認をしなければならない。今回、東京に住む容疑者の元へ行き事件への関与を突き止めその場で逮捕に至ったのは、「心と心、人と人との信頼、そして真実というところで向き合えたからであろう」(正確ではないかも知れないが、大体こんな内容だったか!?)と報じている。

 さらに翌24日地元誌の朝刊では被害者の母親が警察を通してコメントを出している。
「・・・お心あれば、皆様には、どうか私達の悲しみをご理解いただき、遺族、縁者、ご近所様への取材は、自粛していただきますようお願い申し上げます。」
 精神的に深い奈落に居る当事者に、今後もしばらくはレポーターとカメラの過熱したような容赦のない取材が入るだろう。知る権利、言論の自由を振りかざす様な自己チュウ取材とセンセーショナルに煽り立てる番組構成はもはや受け入れられにくくなっていると思うのだが・・・。
 
'08/ 10/ 18 山仕事:太陽光発電、増設。
 
 今回の設置
 太陽光発電パネル(PV):ND153AU x2 
 チャージコントローラー :SB3024i x1
 バッテリー         :HGU130F51x2
パネルは現有のものと同じ、チャージコントローラーは今までの12V系から24V系に変えて行こうという思惑もあり・・・バッテリーは安さで選択、まぁ当座電動工具専用という事で、能力は現有システムと同じ、次回はこれらを統合化の予定。
 設置はパネルを東屋の屋根に固定。東屋は5分勾配で真南方向に建てているので簡単な木製キャリアを作って載せた。元は廃棄木製パレットだ。太陽方向追跡は行っていない。当面ログ加工用の電動工具駆動用ということだ。ログ積みまで済めば既存パネルと合わせて設置、バッテリーとインバーターは見直しを行わないといけないだろう。一旦はインバーターも現行の1500W/12Vから3000W/24Vへの容量アップを考えていたが、突然の・・・というか来るべくして来た運搬車のクローラがとうとう音を上げた。でもって当面はパネルも統合して容量を増やすのではなくて、作業場が分かれるのでインバーターを持ち運びながら凌ぐ事にした。インバーターはクローラーに化けたようなもの

 2年ほど同じ規模で使ってきた中ではホームユースレベルの電動工具には不足ない。ただ梅雨時などの長雨時は充電量が不足してくる。当初想定した風力とのコンビネーションが良いのかはイマイチ分らない、出来れば水力の方が安定度は高いとは思うのだが恒久的な設置をする時に再検討という事だね。特にエネルギーの蓄積にバッテリーというのはランニングコストが辛そう、もう少しいい手はないものか!?

 丸二日ほど東屋の屋根に上り下りして何とかパネルを設置し終えた。
一区切り、ほっとし昼休みにホダ木を見回ったら「クリタケ」が生えていた。先に「ヒラタケ」が出て味噌汁とシチューに入れて味わったがその後が無かった。ここ数日、朝方冷え込みが強い日が続いたせいか「クリタケ」(クリの木モダツ)が一斉に生えてきた。2回収穫したがチョッとすると又生えてくる。ホダ木を栄養にするわけだけれど、この調子ではホダ木は1,2年で終わるのではないか!?と思うほど・・・

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今週の・・・
 八幡平から須川岳にかけて紅葉が南下し頂上付近は既に冬の準備をし始めている。毎年、数回通う須川岳は6月の地震で岩手県側からのルートは全て途絶。それでも圧倒されるようなブナ原生林の紅葉を見たくて鳴子〜鬼首〜泥湯のルートを縫って須川岳西側から回ってみた。

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冷凍インゲン+ジクロルボス
 「またか!!」という事だけれど「たか」の頭のアクセントとは違い「またかぁ」の様に後ろにアクセントがあってしかも小さな「・・・ぁ」が付いたりすると、もはや諦めの境地を漂わす。
 13億人も人がいて、いわゆる先進国の標準的な暮らし方をしている人より贅沢な暮らし方が出来る裕福層が増えてきた。といわれるけれど、日本でも死語にではないだろうが「ヒルズ族」と云う様なそんな人は1千万人もいるのだろうか?日本の公務員みたいな特権的な共産党員すら公称7000万人強とか、但し「大紀元」の報道では既に4000万人以上が離党している事になっているけれど、正確には分らない。
 まぁどう考えても、日本人が感じる「普通の暮らし」を営む事が出来る人たちは一握りで、10億人以上の人たちは本人がそう感じるかどうかは分らないけれど、生活は苦しい状態にあると言えるはず。信じられるのは自分自身とその血のつながりの家族だけ!。という思考かも。
 メラミンを入れてたんぱく質の含有量測定をごまかすなんて誰が考えたのだろうか?日本でもカビ毒事故米とか産地偽装やら賞味期限偽装、原材料偽装などインチキ食品事故は後を絶たない。それでも、カビ毒は別にして、まったく食えない、食っちゃヤバイ!というのは少ないだけましか!?
 やっぱりこういった事件が起きるのは「信じられるのは自分自身とその血のつながりの家族だけ!」という元の意識から来るんじゃないのかなぁ。少なくても日本人感覚では「人を見たら泥棒と思え」的格言もあるけれど、どこか性善説は信じている。というか頼っている部分がある。現代ではそれも良し悪しかもしれないけれど、全て疑いながら暮らすのは気が休まるところがない。

 
'08/ 10/ 11 山仕事:「クワックワッ・・・クワッ」と空から聞こえてくる。
 
 聴き覚えのある鳴き声に空を見あげると鉤形の編隊を組み「白鳥」がやって来ていた。 もうそんな季節になった事を実感する。確かに川には鮭が上って来ているし周辺の田んぼは9割がた稲刈りは終わったようだ。天日干しの「はせ(稲架)ハザ」かけはもう既に終わっていて今はコンバイン作業の田んぼも大方おわり残っているのは天候のタイミングを逸した田んぼか?  ここ一関市は東西に長く西は奥羽山脈の栗駒山から東は気仙沼に接する東西60Kmを超える。面白いもので稲の天日干し稲架かけも東は「ハセがけ」と西は「ホンニョウ」が見られるが、次第に稲架干し自体が少なくなっている。 ホンニョウ:【TVでは「ホニホ」とか表示しているのを見たが正確な名称はわからない「丹穂(ニホ)」の名称が使われているのかとも思うが、或いは「穂荷棒」・・・これは当て字だなぁ】  「天日干しは旨い」とか言う話も聞くが、天日干し米とコンバイン米を二つ出してブラインドテストなどをしても自分には分らないだろう。我が家ではずっと今もハセ架けで稲刈りををしているが中山間地の大きくない田んぼでもコンバインが増えている。なんと言っても手間を省ける。稲刈り、ハセ架け、脱穀が一緒に出来るわけだから!高齢者が百姓を支え、担い手が少なくなる時代では乗用車1台分で買える機械は採算性など無視して購入数は増えるだろう。むなしい日本の農業事情。反面、農機代、肥料代、加えて人件費もまともにハジけば作るより買って食ったほうが安い!と冷静に米作りから離れる人も多い。こう云う状況を招いた国策を是認しこれからもその流れに乗っかるなら現実的判断としてそれが正しいのだろう。反逆の零細百姓のせめてもの慰めはトレーサビリティが保証されている事か。自分で育て収穫しそれを食べれば当然だけれど・・・ま、カネは無いが時間はある菊爺タイプは必然的にバインダー+ハセ架けだね。  今週NHKで面白い番組を流していて(ま、自分が面白いと思っただけだろうが)「腰痛」がテーマだった。今までは腰痛は人間が直立2足歩行を始めたからだ・・・というのが定説だったらしいが、実は直立2足との関係ではなくて狩猟生活から農耕生活に転じた事が腰痛の起源だというのだ。ただ実際は百姓だけが腰痛になるわけではなくて現代では2次産業の各種製造業、現場でもデスクワークでも、或いは3次産業、販売業又は、物流、分りやすいのは宅配の運チャンなどもそうだろう。長い時間、単一的な作業+ストレスに起因するようなのだ。  今も槍を担いで「ヤッホヤッホ」と駆け回り獲物を獲って暮らす人たちはいるが、その人たちに腰痛はないらしい。(腰痛になる前に死んでしまうのかナ)いづれ人間史の時間軸で学者が研究し、見つけたことなのだからマッタク嘘という事はないだろう。   要は今の社会構造を続ける限り腰痛は適度に覚悟して付き合っていかざるを得ない。ということかな、逃れる為にはストレスと感じる生活パターンを止めるしかない!う〜ん、稲刈り、ハセがけ、稲扱きを止めるか。もっと進んだテクノロジーで安価な無人コンバイン、しかも苗作りから田植えまで出来るやつが開発される事を期待するか(ナイナイ)・・・とすると借金払いでストレス腰痛に苛まされるだろうし・・・やっぱり槍と弓をもって「ヤッホヤッホ」の世界に戻るか・・・

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今週の・・・
 ノーベル賞受賞4人。国籍、居住地は別にして日本人が!という部分で暗い世情にホッとする話題だった。それにしても多弁な益川教授、偉そうでもセンセっぽくもなく、ムカシオタッキーそうな普通の口うるさいオンちゃんらしさがいいねぇ。
 島津製作所の田中耕一さんが受賞したときも普通のカイシャインっぽいなぁと思ったけれど、隣のオジサンがノーベル賞!!みたいな感じってのは、「日本人はみんな深いものを持ってんだぞぉ!!」ってな感じを持たしてくれて爺的には拍手だね。

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 効かなかった「金融安定化法案可決」。
 75兆円とはいえ債務買取、法案可決、だけではダメだったんだねぇ。日経平均▲10%を超える暴落も米国▲777ドル暴落以降、地球を回る何順目かの伝言ゲームみたいなもの。「信用」というのは人間特有のメカニズムで理科、算数、の世界ではわからないなぁ。疑心暗鬼が手に手をとって奈落に引き込むようスパイラル。「公的資金注入」、「あらゆる手段を用いて」「クニの経済はこれからも発展するのだ・・・」「パニック・狼狽売りに走らないで・・・」などと言うエコノミストがそそくさと保有株を処分してるかもナドナド、「個人はクニを」、「クニは元々個人を信用していない」そんなこんなの不信がスパイラルを加速させているようだ。「信じられない!」というのはどの世界でも不幸の始まりかも。
 これまでは社員報酬に数千万円も与えられた投資銀行がもてあそんだカネモウケシステムが続かなくなったという現象も意外と「経済」というものの自立的な収束現象なのかもしれない。昨今の経済学者は後講釈で食っている方が多そうなので、少し経ったらそれらしい分析がいっぱい出てくるんだろうが・・・

 中学校辺りの歴史にも出てくる?「1929年の世界大恐慌」。自分は名前とセピア色の映画に現れるチャップリンか菊爺みたいなトボトボ歩きの失業者を連想するくらいで、経済意識を持ってこの世界大恐慌をリアルタイムで体験した人はどの位いるのだろう?かつての大恐慌はファシズムの台頭、全体主義を招き第2次世界大戦を引き起こした。ニューディール政策とかの公共投資が行われた。と学校では教えられた記憶があるが現実は戦争軍需による米国の景気回復による収束まで事態は収まらなかった。
 中国がはじけるのは何時か?などと言った話はもはや過去となりつつあり、民主化方向に近づいたような気がしていたらいつの間にか元に帰って行っているロシアとか、全体主義国家だけが相対的に安定を示すのか?オッお隣の拉致国家も今となっては安定国家に入るのか・・・おかげで金融の「流動性」とか「実体経済」とか毎日流れる用語も耳につき、経済の挙動とはなんて人間的なものだろう。とあらためて感心する。今回の現象はつぶさに観察、記憶し、孫、曾孫に語って聞かせば・・・なんてね。
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地元刑事事件で死刑判決
去年東山町で起きた住職とその母親を殺害した事件の地裁判決が下された。「死刑」

 何日か前、雨模様で山仕事も休み自宅に居ると駐在所の若い警察官が「こんにちわ」と訪ねて来た。なんだろうと玄関先に立つと厚いメモ帳みたいなものを持ち「ご家族は何人ですか・・・」と始めた。
 新任駐在警察官が行う区域内の住人の確認・・・業務的には正式名があるのだろうがそれは分らない。この調査に自分が受け答えするのは初めての体験だった。その若いお巡りさんの自己紹介は「○藤です、□波町出身、25歳です・・・」今の駐在さんは若手登竜門なのかなぁ。
 一通りの応対をしながら段々イライラ感が湧き上がってきた。「今日のこの調査の前に(駐在警察官が)我が家に来たのは何時か?」---と聞くと我が家の分のメモに記録されている内容には5年ほど前に死んだ祖母がまだ生きていた時分彼女が応対した内容の記録だった。「この時の調査から貴官が今日調査に来るまでの前任警官は何人いたのか?」---3,4人いたらしい。こっちが詰問調の口調になるにつれ若い○藤警官は「やはり突然警察官が来て家族の内容なんかを聞くと違和感がありますか?」とか少しくだけ口調になり、さらに会話が続き、「なぜこの調査に何年も期間があいたのか?」---「去年は隣の東山町であの事件が起きて、所轄署としてみんなそれにかかりきりで・・・」との話。

 確かに去年、犯人が逮捕されるまでは相当の人員が動員されたと同組織の知人から聞いていた。けれど今年は暇になったから来たの?今までの何年かはずっと忙しかったのか?かの事件で凶器が見つからずに、取調べで凶器は捨てたと供述した北上川を何日かかけて浚っっているシーンがTVニュースで流れたけれど、そこは誰でも知っているように事件後2回も台風で洪水になって泥が堆積した所。多少の濁流でも小判など比重の大きいものは流れないそうだが、泥の中に埋没したものはなぁ・・・結局「凶器を発見。」となったのだったろうか?そんな断片的な経過を見聞きするにつけ、今回の調査も気が向いたからしてる。とか川浚いも「した!」という既定事実作りだけの様な何かとオ役所、マイペースな業務方法に感じたイラつき感だった。
(社保庁的なテキトウ業務とは次元が違うが割れ窓理論の展開なら安易かも)

 田舎の事件を担当する地方県警は捜査経験として凶悪事件捜査の場数は都市部に比べ少ないはずなのでTVドラマの様に2時間で解決とはいかないだろうが「経験はないけど時間はある。」的な長い総がかりの捜査の功なのか捜査時間に対して「死刑」という判決に至るまでの過程は随分短かった気がする。中国の裁判よりはずっとマジメに裁判してるだろうし、量刑そのものの判断はどうのこうのは言えないが、判決までの時間の短さに意外感を感じたのだった。確かに一罰百誡にして犯罪を防ぐ事が出来れば治安行為の効率はいいだろう。けれど現代の犯罪自体、類型犯からは想定出来なくなって来ている事、倫理観の低下とかモラルハザードの蔓延とかが未解決事件の増加、検挙率低下の一因になっている事は否めないだろう。数年前から赤灯を回しながら走り回るパトカーの姿がやたら目に付くような気がしていた、何かと存在を誇示するような警邏、姿見せが唯一の犯罪未然防止ではないと思うのだけれど・・・それが過剰になると信頼感とは別な威嚇、圧力だけを感じさせるものだ。

 これまで死刑基準としてしばらく「永山基準」と言われる判例が死刑判決の参考にされてきた。「無知の涙」など数多くの本を獄中出版し、あげく「日本文学賞」に選出にされる、までした永山則夫事件だ。犯行年齢が19歳だった事、数多くの出版物の印税を遺族へ支払うなど多くの注目を集めた事件だった。自分は当時、中学生だったが未成年の4人連続拳銃射殺事件の印象は強く、逮捕から10年後に判決が出る迄、時折報じられる関連報道は耳目を集め続けた。
  中でも判決の死刑という量刑の条件とされた「結果の重大性、特に殺害された被害者の数」というものがある。永山事件では4人の殺害だった。必ずしもデジタルに数値基準で量刑判断をするべきでは無い。特に遺族感情として数値は問題ではない。自分の家族なら被害が一人だからと言って感情的に押さえつけられるものではない。逆にだからこそその客観的な数値が必要だったのだと思う。
 信賞必罰は必要なのだが最近の「死刑判決」は安易過ぎないだろうか?犯行に当たって「3人までは死刑にならないよね」と思いながらする犯罪はないだろう。「4人以上に及ぶ犯罪ではないから極刑にしない」という事にこだわるべきではないが、今回の裁判を通じて死刑を言い渡すその犯人の人間を見切ったという事なのか或いは人間の更正という事自体をクニが導く事を諦めたのか?

 もうすぐシロウト裁判官も裁判に参加する。現場での捜査を行う警察の枠内で行われている業務/心情も知らず。指揮する検察、判決する裁判官。その日常も映画、TVドラマ以上のことは普通分らない。というよりある面、これらは閉鎖社会として維持されてきた。
 いままでそんなギョウカイで行われてきた判決判断の一部を一般国民が担う事になっている。医療でも最近は「インフォームド・コンセント」なる医師と患者が治療方針の説明を受け納得して治療を受けるスタイルが定着してきた。この医療における治療として「医師が病を治すのではなく、身体が病を治す」ヒポクラテスと言うそうだが、患者の意識が健康への重要要素であることは社会構造でも言える事だとは思う。要は社会病巣的な犯罪の発生に国民もちゃんと関心と責任を持て!みたいな風に。
 ただ、特に凶悪犯罪の判決に対してだけ行われる裁判員制度の、半分責任放棄的なイメージの法曹界自体が暗にシロウト感情を厳罰方向に焚き付け弁護業務の雇用促進を促すような誘導をしているような気がしてくる。  


'08/ 10/ 5 山仕事:秋はキノコの季節だねぇ。
 
  一昨年の秋、木楽庵周辺には「シメジ」が大量に生えていた。その時はそのキノコが「シメジ」とは分らなくて、そもそもキノコ採りなんてキノコを知っている人に 教えられながら採った「ハツタケ」位しかわからない。なものでその時は得体の知れない大量発生のキノコは1週間程そのままにしておいたら、ことごとく誰かが採って行ったようだった。後日須川岳方面の産直で見かけた庵周辺で見た容姿そっくりのキノコは「ホンシメジ」と知ってトホホな思いをしたことがある。
 結局はシロウトの不安なキノコ採りは徐々に・・・という事でホダ木に植菌しておいたものがようやくこの秋、生えてきた。これであと何年かは安心して原木キノコを食べられそうだ!!

鳶口2種。 丸太運びをしていて、やっぱり道具は必要だよなぁ・・・と「鳶口」の古いのと古そうだけれど未使用の刃(!?)の部分だけをオークションで入手した。小ぶりな古い鳶口は杉材の柄が付いていて軽いが梃子にするような使い方は避けたほうがよさそうだ。反面、刃(!?)だけの方はしっかりした柄を付ければ相応の負荷もかけられそうだ。
 今回は去年伐り置いたサクラの木を削り出した柄を取付けた。具合はソコソコよさそう、ただ正しい使い方が良く分らないという点が最大のネック!?

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今週の・・・
 「兆」という単位の数値は前職柄からは周波数とかメモリーの単位くらいでしか思い当たらない。1兆、周波数では1Ghzという事で携帯電話の電波に近い、メモリーでの1GBとなるとPCやらデジカメ、デジカムとかの記録容量としても最近では普通に使われる単位なんだけれど、これがお金の話になるととんと実感が湧かない。宝くじでよく聞く「ん億円」すら当然見たこともない。
 普通のヒトならクルマの購入金額数十万〜ん百万単位までとか家を建てる、買う人も、ん百万とか、ん千万とか・・・億円邸宅など庶民に程遠い。いやいや億円単位を扱うよとは言ってもそれは普通オシゴトレベルでの話が大体なんだと思う。
 こんど米国では最大75兆円ものお金をいわゆる金融危機に投入する事に決めたようだ。去年末からのサブプライムローンの破綻が引き金とは言われるけれど、かつての日本の「バブル経済」状態が引き合いに出される。あの時は北海道拓殖銀行(拓銀)、日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)、山一證券、住宅金融専門会社などが破綻。それなりの組織が消滅したわけだからそれなりのドラマがあるのだけれど、カネ、セイジ的にも目立つのは長銀、現新生銀行だろう。結局8兆円近い公的資金(税金)が使われ、'98年10月に国有化。2年も経たずに2000年3月、結局は外資投資組合に10億円で売っ払われた。

 その間、債権回収などの充当相殺でも約4〜5兆円が国民負担となったとの事だ。思うのは個人が直感的にも切実に感じられるのは先の日常的な金銭感覚単位まででしかないと思う。長銀処理で総額的に話してもピンと来ないが結局国民一人当たりいくらの金額を新生銀行に取られたかと考えるとざっと4000円位づつ徴収されたわけだ。なにも新生銀行に義理もないのに、いくつもの適当な法律を仕立て上げ・・・要は国民が選んだ国会議員ドノ達がその法律を成立させ、みんなから4千いくらづつふんだくり、銀行の衣替えをしたようなものだ。

 一旦は否決した米下院も修正条項との引き換えに75兆円もの金を使うことを決めた。米国民一人当たり2万5千円程、当初下院が否決したのは今度の大統領選挙と同じく行われる選挙対策とも見えるが、減税とか地域誘導的な優遇策やいくつかの条項が追加されその中でも、これまで日本とほぼ同じ規模の預金保護枠を2.5倍まで膨らます条件が効いたらしい、元々貯蓄意識は日本ほど高くないクニのはずなんだが、こういった条件付けなどが立法の場面にすぐ展開されるところなどは政策自体が身近に感じられる。ガタイがデカイだけではなくて「法の下に・・・」という意識もこういった世界を巻き込む判断に国民の声として表現する事が出来る。そういう風なクニに日本はなれるのだろうか?
 偉そうに!独善的な事を!と云う様なエゴさを見せる面も多いのだけれどね・・・

 ま、政治体制とは別に日本でも金融危機に公金投入が即効性はなかったが今回の米国での75兆円のカネのうち使途不明になる事はないのだろうか?総額が大きいだけにロスも大きくなりそう。現にニューヨーク証券市場は今回の「金融危機対策のための緊急経済安定化法」が成立した後一時上昇した株価ダウ平均も前回の下院否決ショックでの777ドル下げ水準を更に下回るレベルまで下げた!!この辺りも情緒に流れる日本とは違う現実重視なのか逆にもっとふらつき易いのか!?やはり 物理的ではない経済動向など菊爺には分らない分野だ。  


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