徒然なるままに

2019 '19,1 '19,2 '19,3 '19,4 '19,5 '19,6 '19,7 '19,8 '19,9
2018 '18,1 '18,2 '18,3 '18,4 '18,5 '18,6 '18,7 '18,8 '18,9 '18,10 '18,11 '18,12
2017 '17,1 '17,2 '17,3 '17,4 '17,5 '17,6 '17,7 '17,8 '17,9 '17,10 '17,11 '17,12
            
'19/ 9/28  稲刈り終了、秋も深まり空には早くも渡りの矩形

 天気予報と、田んぼのコンディションと稲の状態を見ながら田んぼ作業のシーズン最後のイベント。
 週後半までは秋晴れに恵まれ週末には崩れる予報。もうちょっと待つか!と思いながらも台風も出来そうだし・・・と木/金曜で終わらせた。収穫量的には、平年作+α程度だったかな。

 ここ1、2年の作柄からすれば良かったと言えるでしょうね。早速味わった新米はシンプルなおかず一品で充分美味しく味わえるさすがのジャポニカ米。梅干し一個で成り立つ日の丸弁当も焼きのり一枚、漬物一片、シソ巻き一個で一膳飯が旨いと思える。てな事で、田んぼ作業の大きなイベントは終了。
 明日は雨が無ければシーズンラストTouringとしようか。3.11後、再Openしたという陸前高田の道の駅にでも・・・


 いやぁ、ラグビーWCアイルランド戦。やってくれましたねぇ。
ジャイアントキリングと称された前回のイングランド大会で南ア戦だけが驚きで報じられたものでしたが、実は大会一次リーグの戦績は三勝一敗負けたのはスコットランドだけで、勝敗数では決勝リーグベスト8に残れた、南ア/スコットランドと同率。
 いわば得失点・ボーナスポイント差だけだったわけで、紙一重とは言わないまでも、今大会開幕の世界ランキング9位はそれこそベスト8前の何ら恥じる事のないポジションだったわけです。

 にわかラグビーファンに近い爺ながら高校は工業高校でクラブにラグビー部もありましたし、入学時にはラグビージャージを買わせられたことにビックリしたものでした。
 ま実際のラグビー経験は体育教科時間だけでしたし、スクラムを組むフォワードなどとてもとても(´;ω;`)体格面から見ても想像もつかなくて、かといってポジションをあてがわれたバックスでも足は遅いし、幸いにして、バックス迄の華麗なパス展開などという事もなく殆どボ〜と見てるだけで終わった様なものでした( ´艸`)

 多分今の国内スポーツ全般で意外にもラグビーは歴史も長く、1900年代初頭でも国内チーム数は1000を超えていたとも聞きます。
 おそらくラグビーを言うなかでよく聞く「one for all all for one」「no side」と言う言葉が日本人的意識というか美学的なモノと親和性が高いというか、直接的ではないにしても富国強兵時代にも使い易いスローガンだったかも!?個は皆の為、皆は個の為。終われば敵味方なく潔く健闘を称える。とかはある面武士道的なモノと似通っていたかと。

 ただ如何せん体格的には平均身長、体重、筋力に於いてはサラブレッドVs木曽馬か道産子まっこ。純血志向で向かっても物理的いや生物学的に難しい。
 テクニカルな面では遜色ないにしてもチカラ技では中々(´;ω;`)
 歴史も長く、競技人口もそこそこの規模ながら国内リーグに閉じこもるというか言わばガラパゴス化したような日本ラグビーに至ったのは致しかたなかったんじゃないのかな。我が県土の釜石チームが日本選手権7連覇したという様相が懐かしい時代でありました。

 根っからのラグビーファンでもない爺でもせっかく日本で初めて開催されているWCなので日本チームの試合はもちろん観れる試合は極力観戦しているのだけれど、まだ一次リーグ途中ながら敗退が決まったアメリカチームのイングランド戦が中々面白かった。
 接戦の名試合というゲーム内容とは程遠い点数差だったしレッドカードも出た荒れる場面もあったゲームながら、特にラストプレーでアメリカが上げたトライはイングランドのアメリカチームに対する武士のイヤ騎士の情けと言うものではないだろうが、劇的な終わり方だった。
 こういう展開・閉めかたはラグビーでないと生まれないかも・・・

   
'19/ 9/21  気付いた時には虫の鳴き声

 タオルケットに、毛布を一枚。朝方少し寒さを感じてもう一枚。
ログ周りで外仕事をしながら虫の鳴き声が聴こえてきた。頭を回して周囲に聞き耳を立てたが少し前迄まで聞こえていたセミの鳴き声がない。
 多分、先週辺りまではミンミンゼミの鳴き声が聴こえていたはずなのに・・・盆過ぎ迄の残暑は年々きつくなるような気がするのだが単に加齢のせいでしょうかね!?それでも北東北、秋彼岸前には既に秋に入っている。

 当初はこのお彼岸辺りで稲刈りを!と目論んでいた。連休の方が子供達の帰省と手伝いも期待できるし(*´∀`*)
 まぁ百姓は天気次第。台風17号発生、コイツは気象庁も米軍JTWCの進路予報も殆ど同じ。日本海を北上!当地は進路の東側となる。
 進路との距離次第なれど風は強くなるのでしょうね。既に田んぼは落水。一部なびき始めた稲株もある。
 当地に影響が出始める前に出来る事はしておくことだ。なびいた稲株は刈ってしまう。コンバイン作業に手間取る、田んぼの際も刈ってしまう。勿論スズメ対策のキラキラテープは撤去、スズメ対策は米子さんと守子さんシスターにお任せ願って・・・。

 
'19/ 9/14  稲刈り近し!田んぼ落水

 5月20日に田植えをして、来週には120日経過。
この時期の稲穂は「黄金色」とか表される事も有るが別に誇張した表現でもないようだ。まぁ収穫の嬉しさで「黄金」に例えるのかな程度に思っていたが「プラント・オパール」で検索するとWikiでは【非結晶含水珪酸体(SiO2.nH2O)】と出てくる。イネ科は蓄積量が多いと。輝き感の素かな!?

 確かに稲刈り時期の稲穂が広がる田んぼはキレイに見える。
少し前の緑混じりの葉と枯れる葉の色合いの中間辺りでそんな黄金色の実りの色となるのでしょう。 まだまだアマチュアレベルの稲作百姓にはその見極めは出来ないけれど、そんな適期を見定めて稲を刈るのがプロ百姓の腕!と言うものかもしれない。 爺などはひたすら参考書頼りの稲の生長経過日数などを参考にアテに日程設定するものだし、決定条件は田んぼと天気コンディションでしかない(´;ω;`)

 てなわけで、田植えからの標準経過日数120日をアテにした稲刈りを前提に、今週から田んぼの水を抜いて乾田仕様を目指す。
 夏場なら気温のせいもあるだろうし、何より稲がまだ盛んに水を吸い上げるので田んぼの乾きも早いが、お盆過ぎの残暑も収まり秋雨シーズンが過ぎて、稲も登熟ピークを越して稲自体の水の吸い上げも弱くなると、意外と田んぼはジクジクと湿りっ気が残って中々乾かない。
 今シーズンはチト落水タイミングが遅かったか・・・(;´Д`)

 こうなると、首を下げ稲穂の重みが増えた稲の倒伏が気になる。
台風15号被害が集中した千葉周辺は災難だったが、当地北東北では風雨は軽く過ぎ去った。それでも不規則な風のせいか、倒伏までは至らないものの稲がなびいてる所は目につく。ここで強い風雨に晒されるとひとたまりもない。
 あとは天気と田んぼのコンディションを見ながら刈り上げるタイミングを狙う。無事刈り終えたら久々バイクを走らせてみるか!!来月になれば芋の子会の季節にもなるし・・・

'19/ 9/7  御クニはどちら!?。

 「Youは何しに日本へ」の話ではない。
そういう話しかけから会話に至るのは昭和も所謂、戦中世代までかもしれない。ま、爺は戦中世代ではないけれど(苦笑 そういう会話は老父母辺りの人たちが口にした記憶に残っている。
 耳にした時代、当地では外国人などまず、見た事も無かったので当然日本人同士の会話で、返ってくるのは「**県です」「関東・・とか九州とか」ま、いづれもこの辺の方言からすれば、アタリは付きそうなイントネーション混じりだった気がする。

秋、九月早々「くに」「国」「国家」とか硬めな事を書く気になったのは先月一カ月見るとは無しにTV画面に映る終戦関連番組が何時になく多かったような気がしたからかもしれない。
 全編観た番組は無くてそれより、気になる本を見かけて読んだその本の中身の方が気になった。
 ヘレン・ミアーズ著作「アメリカの鏡・日本 完全版」
【完全版刊行にあたって】と記された序文にはこうある。
「占領が終わらなければ日本人は、この本を日本語で読むことは出来ない」
ダグラス・マッカーサー(ラベル・トンプソン宛、1949年8月6日付書簡)】

 ご存知ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立った写真は日本人に強烈な印象を残した。
 コーンパイプにレイバンのサングラスですわ。天皇陛下との2ショットシーンも当時の日本人には強烈なイメージを残したのでしょうね。どちらもイメージ効果を狙っての写真だったと言われるが、そのマッカーサーをして退任後は太平洋戦争は侵略戦争ではなく自衛の戦争であったと言わしめている。

 で、件のヘレン・ミアーズは太平洋戦争終戦後、敗戦国となった日本の占領統治を担ったGHQで「労働政策11人委員会」メンバーの一人だった。
戦前より日本研究者として一定の識者としての任用だったようだ。
 著作にも古代からの日本史から特にペリー来航から太平洋戦争に至った背景など、爺世代でも断片的に授業の記憶に残っている歴史用語の意味を補完してくれるような欧米サイドの思惑を示してくれる。

 日本人識者の中でも極東軍事裁判、所謂東京裁判は当時の主に欧米国家によるリンチ裁判だったと主張する武田邦彦氏の様にダイレクトな表現をする人も居るが、ヘレン・ミアーズも奇しくも「リンチ裁判」だったと同じ単語を書いている。Σ(・□・;)。
 もう一つこの時代、今のG7、当時はG5に名を連ねた日本が忠実に追って頼った国際法はチカラのあるクニの論理で定めた「法的擬制」であった!と言い切っている。眼に留まる記述は数多いが、そこはそれこそネタバレと言うものでしょう。興味が湧けば読むのも秋の夜長に。ということで・・・

 別な点で面白いと思ったのは、既に故人となったヘレン・ミアーズ女史の実名は
出生証明書によれば、ミアーズは、(中略)との間の長女としてイザベラ・メアリーという名前で一八九八年にニューヨークで生まれた。」(pp.14-15)「一九八九年三月十三日、老衰のためミアーズは静かに息をひきとった。」(p.192)という記述があります。
【米国議会図書館典拠データベース( http://authorities.loc.gov/ )】
 日本奥地紀行や朝鮮紀行の旅行記著作で知られるイザベラ・バードの「イザベラ」。単なる偶然だろうがイザベラ名の女性名が頭に残ってしまった

 地球上何処かに生きて住んでいる人は自らの好き嫌いに関わらず、どこかの「国民」となっている(殆どは)
ずいぶん昔に「人類皆兄弟♪」てなCMもTVから流れていた時も有ったけれど「クニ」という線引きで目にする人類は結構違って見える。

 生物学的には色合いは違ったりしても大差ないんだろうが、最近はミックスと言う言葉もあるけれど掛け合わせてな言葉もあり意図した特性の作り込みもある。犬猫なら、従順とか険しい性格とか、見た目とか人間よりはハッキリ目立つ。人だって色目も見かけもハッキリした識別が出来るものから、分からないものまで。

 それでもなぁ人の場合は、見た目もだけどもそれよりも性格気質分野は犬猫よりも根深い違いがあるかもしれない。先々月来の隣国関係を見ているとね。歴史は繰り返すとは言うけれど、今現在進行中の彼の国の国情に李朝末期の彼らの行動とを重ね合わせる人は多いんじゃないだろうか。

 古来、関りの深い隣国だけに取った取られた(1個の岩礁だけながら)喧嘩&α・・・歴史の積み重ねのようなモノ。
 今度ばかりは距離を置いて、見るのがヨロシ。この情報社会「息をするように嘘を吐く」とまで言われ、詐欺・誣告罪犯罪の発生率など今時のネット検索ではすぐに知られるデータ。
 身の回り、世間、本邦常識とは違うぞ!てな認識を努々忘れるべからず。  

 

Past.Memo


HTML版Homeに戻る