徒然なるままに |
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'16/ 3/ 26 | 期末恒例
の風景。 通い道で一関市内を通る時、工業高校生と高専生の多くが通る道を通過する。 どちらも自転車でその道を通る生徒が多いようだ。小中学生ではヘルメット着用を義務付けられている様だし、自転車走行はかなり教え込まれている様なので、その自転車とすれ違ったり追い越したりするのは、あまり危険を感じる事はない。 ただ高校生以上となると、むしろ自転車走行マナーは結構ラフな生徒が多い。さすがに都会の様にスマホとかをいじりながら!とかヘッドフォンを耳にして!というのは殆ど見かけないが、話をしながら併走する姿はよく見る。なので横断歩道や狭い道で彼らに近づくのはかなり気を使う。 これも3月に入ってからは大分少なくなり月半ばを過ぎてからは殆ど自転車通学生は見かけない。春休みに入ったのだなぁと実感する。来月初旬には危なげな自転車走行をする新しい学校への通学にも不慣れな新入生が増えるんだろうなぁ。 いまだに年度変わりの3月迄と4月から!という区切りは学校ならず官公庁でも運用されている。この期末3月後半は道路工事が特に多い。秋口から始まってはいるけれど3月はよく目立つ。以前は冬季の雇用対策もあるとか、期末に完工する受注形態が多いからとかとよく聞く。 R457から木楽庵エリアに入るアクセス道は市野々川に掛かる橋を渡るのだが、先月に入ってから工事の看板が立った。「河川災害復旧工事」と言う事で期間はH28、2月1日〜3月31日と看板には書かれている。この看板のほかに「この先工事中につき通りぬけ出来ません+駐車禁止マーク」 去年の9月台風18号だったか、この山通いし始めて以来木楽庵麓の市野々川は最大の増水に見舞われた。いつも渡る橋の橋桁まで増水した。台風が治まった後には橋桁に流木が引っかかっていた。橋を渡った先の土手に生えていた根元直径25cm程の桑の木は流されて、その下の石垣も崩れかかりそうになっていた。 要はその復旧工事がこの期末になったと言う事のようだ。 看板が掲げられて既に1ヶ月以上たっても工事は始まる様子がない。さて!? 工期は2月頭から3月末となっている。看板をよく見ると、工区は5箇所位あるようだ。そういえば時折雨でもないのに川の水がにごる時があった。上流側でこの関連の工事をしている様子。考えてみると請負金額3,200万円素人目にも、ここの石垣補修だけでそれはないでしょうね。 気がかりは工事期間中ここをクルマで通れなくなるとかなり不便。気になりながら今週になって週中、帰りに山から降りてきたら大型のユンボが1台停まっていた。オペレーターは既に帰ったようだったが、工事箇所周辺は川の流れを石垣から離れさせる作業をしていた様だった。 それにしても、3月31日まではあと1週間もない。期末の駆け込み突貫工事となるものか、さてはて工事は完工するものでしょうか!? |
'16/ 3/ 19 | Dejavu!?
デジャヴ。少し前に見たような恒例作業・・・ 毎年の様に季節の始まりは同じような事をしている。 今年も春先の作業に向けて、エンジン機器の試運転をしようとしたら、掛からない。 リコイルスターターの紐が切れたとか、操作系のワイヤーが固着しそうとかがなければ、チョークを引いて紐を引けば一発始動が 普通だった。装備品のなかでは始動性だけは優秀なヤツだったが今年は機嫌が悪い。 結局は、キャブレターのクリーニングで復帰したのだけれど、フロートチャンバー内にこびり付き、メインジェットを塞いだスラッジを見てるとこの管理機のキャブ掃除は2,3年前にやった記憶が・・・。年に数回しか動かさない農機などにはよくある事だけれど2,3年で!?は腑に落ちない。 使用頻度の少ないエンジン機器は冬になる前に、燃料を抜いて置くのがベストなんだが、面倒くさがって燃料コックを閉めただけに しておくパターンもある。せいぜいチャンバー内の燃料を抜く程度。この管理機はそのパターン。 どうにも2,3年で!?が気に掛かりキャブから燃料コック・燃料タンクへと遡って見てみると・・・ 「燃料コックが締め切れないーーー閉にしてもキャブまで流れている」 「燃料タンク内にドロッとしたスラッジ沈殿あり」。 以前のキャブクリーニング時に見落としたんですね。 川上のタンク内スラッジがそのままなので川下のキャブを掃除してもすぐに詰まる!てな感じ。今回は燃料タンクを空にしてキャブクリーナーを盛大に注ぎこんで半日放置。緩んだスラッジを流しだしてウエスをタンク内に突っ込んで拭き上げた。 やっぱりシーズン終了時には燃料は抜いていたほうが良さそうですね。 そう言えば除雪機もそろそろ燃料も抜いてバッテリーも外して置くか! |
'16/ 3/ 12 | 辺りは冬鳥から春鳥に。 2011、3.11から5年。 「一昔」は10年。と言われたのは爺達世代の時間感覚か、今時は「5年一昔」と言う人もいるとか。 2011年から5年を経過した今週は、ここ2,3年徐々に減ってきたような3.11東北大震災関連の特集番組が例年にない位多いような気がする。 やはり5年という今時の一昔感覚での特集なのか・・・ただ当事者感覚とは開きがありそう。 その中で「鹿島の一本松」という中継しながらの番組があった。「福島、奇跡の一本松という松の木がある・・・」という始まり。 う〜ん考えてみれば沿岸の防風林として植えられている松の木林で直接津波を受け止めた木々の中で1本だけ残った木というものは結構あるのかもしれない。 この「奇跡の」松の木という名前で多分一番広く知られているのは岩手県高田市の松の木(レプリカ?)じゃないだろうか。 南北1km位に広がる砂浜の後ろ側に植えた7万本の松林を称した高田松原の砂浜。松林をなぎ倒しながら、更に市街地へ押し寄せた津波を俯瞰したヘリからの映像・画像は何度も報道された。確かにいとも簡単になぎ倒されていく松林の中で1本だけ残ったのは象徴的だし 何とかしたい!と思う気持ちは分からないでもないが、主に費用面などで様々な論議を呼び起こした対象だった。 先の「鹿島の1本松」は約2万本の松林の中で5,6本が残ったが津波から5年経ち今残っている1本以外は塩害で徐々に枯れて生き残ったこの1本をシンボルとして「1本松を守る会」が保存に努めている。と言う事らしい。TV番組では聞き流し的に断片しか覚えていないので、あらためて検索してみるとYoutubeにもこの「鹿島の1本松」を取り上げた映像が数多くUPされている。 その中の一つを観てみた。大手メディア版ではないので、あまり意図的な編集はないと思うのだが「Tか田さんのは偽物でしょ・・・」てな言葉が耳に痛い。 (残った松の木は動画4分目辺りから。) どうもYoutubeを観始めると芋づる式に次から次へと観てしまう。聞き伝てに知ってはいた内容ではあったが2011年から5年の今年社会に出る被災地の青年が当時、丁度中学校を卒業した時、多くの感動を呼んだニュース動画を観た。 2011年3月22日に卒業式を迎えた被災地の中学校。 各メディアでも取り上げられた感動の卒業生答辞の言葉。 いくつも動画サイトにUPされながら「著作権」を理由に降ろされるケースが続いているようだが、これはまだ載っている。やがて消されるかもしれないがこういう感動ものは落とされても又誰かがUPする事でしょうね。 全文は様々なサイトで取り上げられていますがその中の一つはこちらから。 読んでいて又々涙が落ちて来ました。 未曾有の災害の中で図らずも世界の多くから賞賛された日本人の行動。 暴動が起きない、支援品を奪い合わない、流されて持ち主も分からなくなった金庫の多くが戻ってくる、などなど。数の中には犯罪や便乗商売もなかったわけではないが、海外から見れば総じて冷静に見える姿は不思議にも見えたようだ。 「苦境にあっても 天を恨まず 運命に耐え 助け合って・・・」 被災した15歳の彼が簡潔に言い表してくれた事は多くの人が、こうありたいと思う姿であり日本人の精神性というものなのかもしれない。 生き残った一本松にしてもレプリカ一本松にしても形あるものはいつか朽ちたり崩れたりしていく。けれど心に刻まれた思いは目には見えなくともずっと残り続ける。 |
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