徒然なるままに


2016 '15,1
2015 '15,1 '15,2 '15,3 '15,4 '15,5 '15,6 '15,7 '15,8 '15,9 '15,10 '15,11 '15,12
2014 '14,1 '14,2 '14,3 '14,4 '14,5 '14,6 '14,7 '14,8 '14,9 '14,10 '14,11 '14,12
            
'16/ 1/ 23   車検を控えて、雪の日はフォークオイル交換

 2003年式YAMAHA FJR1300AP
この春で車齢13年、車検は6回目か!?年毎の走行距離はだんだん少なくなってきているが距離計は49,000kmを超えている。初回はショップで、次は知り合いの整備工場に依頼していたが暫く前からはユーザー車検で通している。

 ある程度の整備を自分で行えば後は税金・自賠責、手続きの諸掛経費で済むので費用は安く済むだろう。カネはないけれど時間はある生活には丁度いいが、もう一つ自分で行うメリットはバイクの健康状態を実際に把握できる事。
 マシン内部のオーバーホールなどのヘビーな整備が出来るわけではないが点検表に沿って一通り確認やら消耗品などの交換を定期的にすることによって自車の寿命も延びるかもしれない。ま下手にいじりすぎて壊してしまう事も無きにあらずだがサービスマニュアルに倣って作業する分には大過なくバイクライフを過ごせる。

 今月の半ばから3週続けて週末の雪。朝の雪掻きの後、時間が空いたところでフロントフォークのオイル交換を済ませた。自分などサスペンションの作動状態に敏感なわけでもないが、むしろ徐々にへたって来る状態に慣らされているかもしれない、車齢と走行距離からしてもやっておいた方がいいだろう!的なメンテナンス。
 タイヤ残り溝もブレーキパットも今回はこのままいけそうだ、まだまだ雪が降る日は続く。手をかけた後の試走は出来ないが、雪が降る都度一つづつ手をかけて春の車検に臨むこととしよう。
 次はプラグとエンジンオイル・フィルター/バッテリーの交換か・・・


'16/ 1/ 23   雪が降って、熊そば

河北新報 1月19日ネット版

 <山田NPO横領>元代表に懲役6年判決
 岩手県山田町から東日本大震災の緊急雇用創出事業費を横領したとして、業務上横領罪などに問われたNPO法人「大雪りばぁねっと。」(北海道旭川市、破産手続き中)の元代表理事岡田栄悟被告(37)と妻の光世被告(34)=いずれも旭川市=の判決で、盛岡地裁は19日、岡田被告に懲役6年(求刑懲役8年)、光世被告に懲役2年6月(求刑懲役3年6月)を言い渡した。
 岡田健彦裁判長は「被告人らは復興事業関係者としての立場を悪用し、委託料を目的外の用途に充てた。被災地の人々と復興を援助しようとする国民全体の思いを踏みにじる実に身勝手で悪質な犯行」と述べた。
 判決によると、岡田被告は2011年11月〜12年11月、勤務実態のない従業員への給与や事業に関連しない不動産や土地、スーツなどの購入費として事業費計約5300万円を横領した。13年5月ごろには法人の財産である水上バイクなど19点(購入価格計1520万円)を十和田市に持ち去った。
 経理担当だった光世被告は、このうち約1300万円の横領に関与した。


 3.11東日本大震災、大津波災害の翌年発覚した腹の立つ事件。3年半ほど経って判決となった。
記事ではNPO代表とその妻それぞれ5300万円と1300万円の横領。で懲役刑となっているが、この記事だけみれば日常生活の金銭感覚から見れば大金だが「業務上横領」事件としてはそれほど大きな事件には見えないんじゃないのかな!?

 実際にこのNPOが扱った金は12億2千万円という額にのぼる事件だった。確かにこの二人は刑事罰を受けなければならないが、本来ならそのカネの出元の管理責任も問われるはず。(Wikipediaでは行政に「すざん」と書かれてしまってますが!)
 時期は未曾有の大災害の最中「とりあえずなんとか」というパニックに近い心理が広まっていた中。そこに付け込まれたと言えばそうかもしれないが、先の記事で収束を図るとしたら釈然としない思いが残るのは爺だけではないんじゃないのかな・・・

 年が明けてからは、この大雪NPO事件など小さな記事扱いにしかならないような、産廃食品の横流し事件、その前はまともな運行そうではないスキーバスの事故。そのずっと前、去年には大手建設関連企業の杭打ちデータ偽装。
 隣国/隣々国ではよく聞きそうな情けないようなニュースが流れる。
年明け早々なんだかなぁ・・・の世情ではあります。


'16/ 1/ 16   初、滑り

 年が明けて三週目に入り、さすがにこれだけ雪が積もらない年は生まれてこのかた初めて。
 といっても記憶に残る年月は高々5,60年の時間なので多分ン千年か記録のある人類史では、もっと雪の少ない年もあったかもしれない。
 今年の様に雪掻きの負担が殆どないのは楽で良いけれど、このシーズンの楽しみのスキーが出来ないでいたのはもどかしい。

 ちょっと足を伸ばして夏油に行けば、滑れるのだけれど、なんと夏油スキー場ではここ何年もないほどの盛況だと!(驚。
 なにせ本州圏域のスキー場でまともに滑れているスキー場は少なくて、スキーヤーやらボーダーやらいつに無いほど全国的に集まっているのだとか。

 えぇえぇ確かにねぇ、爺も行きましたよ、もう少し若い時分には。
けれどここ何年かはもっぱら近場1時間見当で行けるローカルスキー場がメインゲレンデであります。時間だけ考えれば最短は自宅から45分、奥州市越路スキー場なのですが県南北上山系なので、一時間見当の祭畤/国見平/ひめかゆの様に西側奥羽山脈に近いスキー場より雪が少ない。今年はメインのペアリフトはまだ動かせないらしい。

 もう一つの必須条件は・・・やっぱり温泉が近くにある事ですねぇ。
午前券で滑り終えた後は温泉によって昼食!風呂に入った後はお昼寝をして帰る!と、まぁ最近はこれが最適パターン。先の3スキー場はこの条件がピッタシ♪
 それにようやく全コース滑走可能となったばかり。
で、今週半ば新しいブーツの具合も確認したくて向かったのは国見平スキー場、9時チョイ過ぎ到着。全コース滑走可能だとは言うけれど、まだ積雪が足りなくてピステンは動かせないらしい。
 前夜から10cm位降った様で圧雪はしていないものの、なだらかに見える・・・


 今、スポーツ洋品店で買えるゲレンデスキー板はいわゆる「カービングスキー」という先端とテールが広がりビンディング部分が狭まった板だけ(多分)。この板がこれだけ広まったのは1992年〜3年以降だという。それまでは殆ど先端と乗る位置、後端までストレートっぽい板が使われていた。
 ターンするためにはそのストレートな板をスライドさせるとか(大方は・・・)上手になってくると、たわませてターン出来るようになるしコブ斜面を上手く滑り降りる事もできる。わざわざカービングターンと言う言葉もあった。
 ただ、乗っている板をたわませてターンするウデが身につくまではおそらく4,5年或いはそれ以上のスキー歴を必要としたと思う。

 このスキー板をたわませて回るのとスキー板自体をストレート型から前後を太く真ん中を細くしてエッジを鼓型にする事は同じような効果を得られる。カービングスキー板がスノーボートからのフィードバックなのかどうかは定かではないけれど、ストレート板で数年かかったパラレルターンの習得がこのカービングスキー板では早ければ1シーズンで滑れるようになったと言われる。なにせ身体を傾けるか、感覚的には行きたい方に顔を向けるだけでターンして行けるわけだから。

 道具の進化が、それまで数年かかって身につく難しかった滑り方を簡単に滑れる様になると云うわけで、カービングスキー板の進化は劇的だったけれど、ブーツにしても20年の時間があればそれなりに進化はあったのかもしれない。今回、初滑りで新しいブーツを10cmほどの未圧雪バーンで試した。
 調子良かったですねぇ。今までなら新雪のバーンを3本も滑れば結構足に来たものの今回はそれがない。

 壊れてしまった古いブーツで初滑りのときは内クルブシの下側にマメが出来る事が多かった。 今までは足の裏とブーツと板と雪面がちょっとづつ離れている感覚がしてたんじゃなかったか!?・・・とあらためて思った。ま、初回それほど長くない初滑りでは未圧雪の新雪バーンが楽しく思えた。足の疲労感も殆どなかった。やはり道具の一つスキーブーツも進化しているのだと思う
 今シーズンは雪が遅れていたけれど、これからもスキー場に通う事になりそう。




'16/ 1/ 9   帯状疱疹、その後

 年末の帯状疱疹との診断を受けてから10日程。
途中、三が日明けの初診後1週間での通院で、メインの処方薬抗ウイルス剤アシクロビル錠400mgの服用は終わった。普段あまり薬を飲む事はないので、薬剤の効果は大きいんじゃないかな!?などと勝手に思っているのだけれど、今だ脇腹後ろ側の発疹は消えていない。初診時よりは一回り小さくなって。痛みはなくなりちょっと痒みに代わっている。

 当初、処方してもらった薬は錠剤3種、顆粒薬一つ。塗り薬一つ。痛みがひどかったら飲んで!と「とんぷく薬」1種。
先の「アシクロ・・・錠」は日に5回の服用。20年ほど前に罹った帯状疱疹の時は「4時間おきに飲んでください」という薬剤があったけれど、それに該当するクスリなのだろう。4時間おきの服用薬にはちょっと大変だった。夜中目覚ましをかけて飲んだ記憶がある。一日6回飲んだ勘定か。
 それに比べれば、三食後と16時頃、就寝時に!となっているので随分楽な服用なのだが、2度ほど忘れたし、(え、そんなアバウトな服用の仕方でいいのかな!?)みたいな思いもあるためか、前回より直りが遅いような気もする(苦笑。

 抗ウイルス剤の他は「末梢性神経障害を改善するクスリです」「痛みや炎症を抑え熱を下げるクスリです」「消化器官を保護し・・(所謂胃薬みたい)」を三食後。これが2回目の診察後も継続して服用している。
 前回の帯状疱疹を患った時にはクスリの種類など正確には覚えていないし、処方された詳細も残っていない。その後「お薬手帳」なるものが作られたらしく、今手元にあるこの「お薬手帳」をみると平成19年にわけのわからない発熱症状で、隣町の県立病院で診察してもらって処方された薬剤と1ヶ月以上も続いたその不調時の体温記録が残っている。

 あらためて「お薬手帳」なるものをWikipediaで見てみると 、導入の経緯やら効果・電子化の計画まで記載されているが、確かにこれはいろんな面で効果的なツールだと思いますねぇ。
 最近では介護施設でも、それ以前に介護・要支援認定とか、救急時の際にも活用されているようだし、医療関係者であれば記載内容から対患者の疾患とか状態を推測できるものでしょう。3.11の被災者、避難所でも大いに活用されたようだ。

 バリバリ働け世代では健康にも幸いにも無頓着で過ごしてきた身だったが今やアラ還世代。こういうものへ目が向くと言う事もあるかもしれないが、医療に携わる側だけではなく、受ける側での理解へもつながるもので有りましょう。

 薬局でも薬剤の説明も丁寧だし処方薬と一緒に渡されるクスリの説明書きへも薬効も副作用の可能性なども記載されている。クスリ九層倍などという仕組みも今だあるのかもしれないが少なくとも、情報がオープンに記録として残される事には信頼感も上がる事になる。まぁこういった事は高齢者のほうがよく知っている事かもしれないけれど・・・ますます長寿社会となって行きそうな気もしますが・・・  




'16/ 1/ 2   年が明けた

 帯状疱疹

 始まりは腰の鈍痛。(軽いぎっくり腰か!?やってしまったかな・・・)
腰に負担の掛かる作業は控えめにして2,3日経っても大して回復する様子もなく鈍痛は腰というより左わき腹方向に移ってきた。
 今までも這って起きる様なぎっくり腰は2度程。軽く済んだものも2,3度。一概に「ぎっくり腰」と言っても原因は何種類かあるようで、自分の場合はぎっくり腰になると通う町内の整骨院では「腰部筋筋膜炎」と言われた。マッサージと電気刺激と湿布の処置で1週間から10日でほぼ回復するパターンだった。

 ま、この回数の経験から見た今回の腰痛は初めこそ似た症状ながら、2,3日すると「どうも違う!」夜中に痛みで目が覚める様にもなってきた。激痛ではないのだが、目が覚めたのはやはり痛みによるもののようだった。
 これまでのぎっくり腰では寝付いてから目が覚める事はなかったなぁ・・・その内に鈍痛は腰から脇腹の辺りに移ってきた(・・・ひょっとすると内臓疾患でも!?) てな事がよぎる辺りから鈍痛からピリピリ感じる痛みに変ってき始めた。

 風呂上りに鏡に映った腰の辺りに赤っぽい湿疹らしきモノが見えた。
この症状に思いついた。「こりゃ帯状疱疹か!」
 わき腹から背中にかけて腹周りに感じる「痛み具合とかその変化も、こうだったかも!」20年ほど前に罹った帯状疱疹を思い出した。
 それにしても、帯状疱疹は一度罹ると再度発症することはない!?(少ない!?)とも聞いたような記憶があるのだが、確かではない。

 七分三分位の想定ながら、年末年始を迎え医療機関もそろそろ・・・とにかく診断してもらったほうが何より!と木楽庵に向かう途中に診察してもらおうと近所の内科医院に寄ろうと思ったら、既に年末休診に入ったようで医院は閉じていた。通い道で開いている所があればとそのまま通過して、入った先はN里クリニック。

 混んではいたが問診表に書き入れて待つ事1時間くらい。
「そうですね帯状疱疹です!」とが診断出た。処方箋を出してもらい隣接する薬局で1週間分の薬を出してもらって服用する事に!。
 小ぶりのレジ袋一杯にに4種類の服用薬と軟膏。袋を持って歩いていると正に高齢者の仲間に入った気分。ま、近い事に間違いはないのだが・・・
 痛みがひどかったら!と「とんぷく」薬。幸い「とんぷく」薬は飲まずにこの晩から夜中に目が覚める事はなくなった。

 一般に、1度帯状疱疹に罹れば、再発する事はまれ!とクリニックでもらった帯状疱疹の冊子にも書かれていたが薬局では「そうでもないですよ!」とも言われ、まぁそんなもんか。と4日間、薬を飲み続けた今日、鏡でみてみると背中の発疹は心持ち小さくなったように見えた。
 いやはや年末年始から不調はあまり良い気分ではないが、世の中正月休みで静かになる今だからかえってよかったかもしれない。
 今年こそ木楽庵風呂の完成に向けて着実なプランを練り上げないと。    




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