徒然なるままに

2019 '19,1 '19,2 '19,3 '19,4 '19,5 '19,6 '19,7 '19,8 '19,9 '19,10 '19,11
2018 '18,1 '18,2 '18,3 '18,4 '18,5 '18,6 '18,7 '18,8 '18,9 '18,10 '18,11 '18,12
2017 '17,1 '17,2 '17,3 '17,4 '17,5 '17,6 '17,7 '17,8 '17,9 '17,10 '17,11 '17,12
            
'19/ 11/23  田んぼ秋耕・ネギ移植、いつもの冬支度

 去年から稲刈り後の、田んぼが乾いている時期に耕耘する秋耕をし始めた。
それまでは当地、春の田起こし作業までは田んぼはそのまま放置状態というか途中堆肥撒き程度はするが耕耘作業はしないのが言わば常識だった。
 おそらく稲は稲刈り後ハセ掛け天日干しそして脱穀。というパターンで、聞くところによると初雪に慌てて脱穀した時もあるとか。

 そんなタイミングならば秋に耕耘するなどという思考にはならなかったのかもしれない。ただ昨今、農業従事者の高齢化・減少もあり省力化のための機械化は必然。稲刈りも手刈りからバインダー刈りに切り替わったのは我が家では40年も前。そこ辺りから近所の農家周りで「結い」と呼ぶ作業応援風景も少なくなっていった。これはこれでワイのワイのと賑やかで休憩の小昼飯や終わってからの小宴会も楽しいモノではあった。

 いづれ全くの手刈り作業からは解放され、脱穀もハーベスタという移動式脱穀機でまかなって作業自体の省力化にはなったけれど、ハセ掛け天日干し期間と時期があるので一連の田んぼ作業の終了時期は多少早くなったものの秋耕耘出来る迄は早くならなかったんだろうなぁ。
 これが刈り取りから脱穀まで一気にこなすコンバインが普及してきてようやく秋の収穫作業が大きく変わった。
 まずは天日干しから機械乾燥へ!これでハセ掛けの必要性も無くなった。まぁ言う人によれば「天日干しは美味しいよね」とは聞くが爺の味覚センサーではよく分からない(´;ω;`)

 稲わらはコンバインの仕様によっては束ねて排出させるオプションもあるが短くカットされ圃場に撒布される状態が普通かな。
 これをうまく腐熟させれば堆肥散布も省ける。秋耕はこの稲わら腐熟効果もある様だ。腐熟促進として効果が大きいらしい石灰窒素は20kg/10a散布した。 田んぼによっては水はけが悪く、年々深田になって行くパターンもあるが、秋耕によって泥の下の耕盤が強化される!
 との説もあるけれどこれはアマチュア稲作者の爺には実感できていない。その前に排水溝とか暗渠見直しが先だろうなぁ・・・。

 さて明日は地元同級会の忘年会(でいいんだろうなぁ!?)。
この晩秋に行う事は年間スケジュール的に決まってはいたが、具体的な日程は流動的だった。葬儀の弔問を受けた数日後「少し遅らせたからどうか!?」てな話は聞いたが乗り気は湧かなかった。
 三・七日の焼香を終え、弔問御礼も兼ねて行ってみようか…と気持ちは固まった。49日法要も終わっていないのだが一足先の隠れ精進上げか( ´艸`)

'19/ 11/23  初七日は葬儀後の法要で終わり今週はニ七日

 葬儀は七日目。なので葬儀後の法要は初七日と35日。
七日毎の供養は今週の二七日から。葬儀後のお墓での焼香は七日日毎、勿論49日迄自宅に設置した仮祭壇は毎日線香を焚き手を合わせるが・・・
 当地初回の墓参りは近親者と近隣の近しいお付き合いの方々で墓参りをするのが習わし。以降はその家の遺族が49日まで続けるのが普通のようだ。
 葬祭場で用意されている喪主挨拶の後段では「・・・遺族は亡き**が頂いたご厚情に応え、仏の教えを守り・・・」てな下りもあり、仏事のを誠実に守って行く(!?)てな宣言めいた言葉も入る様だ。

 確かに他所の葬祭事に呼ばれたりする機会はそこそこあるけれど、体系立てて全てを知っているわけではない。この歳になって初めて喪主・施主を務める事になって身に付くものかもしれないなぁ・・・と実感します。
 世間では葬祭字引みたいな諸先輩もいるけれど知っていれば便利(!?)かもしれないが、別にそうなりたいとは思わない。意義を知って行えれば良いんじゃないかと・・・。

 入院から葬儀のあわただしさで足が遠のいていた山に向かうとリフレッシュ感に包まれる。降り積もった落ち葉、立ち枯れの木、来シーズンのホダ木伐り。畑の整理と、次の準備やる事は一杯なのだけれど、ここでは追い立てられる圧迫感は迫って来ない。
 秋は進み、木々の葉も大分落ちた。遠景の高い山は白くなり冬の野鳥が目立っている。ここにはここの安定した時間の流れがある。


 さて少しドライな視点で、追加記述。
今回の葬儀にあたっては、弔い意義とは別に結構自分にとってはシリアスな状況も感じていた。我が家、老父死去の前日に直線距離で200mチョイ離れた家でも近い年代の葬儀事が起きた事。
 前町長を務められ、この狭い地方小地域では○○家と云う親戚縁者系列では最大規模なんじゃないかな。そこと一日ずれの不祝儀事をなってしまった。

 定番で使われるE葬祭場ではホールが二つ。大きな方が早速○○家占有と言うと言葉は悪いが入る。小さな方は既に別の葬儀が入っている。
アララどうしよう!?幸か不幸か今や成長産業の葬祭事業、当然のごとく使われている、その葬祭場の他に最近はJA経営、別な民間経営の葬祭場何年か前から稼働している。そっちに頼もうかな・・・

 とも思ったが、なんという偶然。以前から勧められていたらしいEホールの会員というか、今やどこでも勧誘している葬祭場の会員に2カ月前に入っていたと云う事が自分は知らなかったが、そうだったらしい。
 会員優遇というわけでもないだろうが、そのEホール自体近年広まっている家族葬とか小規模お葬儀対応で、3番目のホールというか小規模スペースのエリアを設けたという事だった。

 まぁこう云う立て続く葬儀も珍しくはないだろうが、お寺さんも葬祭場もさすがにスケジュール立てが大変なようだ。元々葬儀は七日詰めと言われるような死去から七日目で葬儀。と言うのが一定パターンだったのかもしれないが、昨今そんな長丁場に思える期間を企業勤め人やら近隣住民が付き合える環境ではなくなった。
 という事だろうが3日間でとか4日間で葬儀まで終わられるパターンが一般化してきたように思う。

 幸いにして自分はリタイヤ年代で時間的には融通が利くし、先行する(!?)隣の大規模葬儀との兼ね合いも見つつ、お寺さんと葬祭場のスケジュール調整を経て、昔は普通だった七日祓いの葬儀と決めた。それと納棺までは小規模スペースの第3のホールで家族葬的に近親者で行う事とした。

 去年立て続けの他家の葬儀では家族葬という形態が2件続いていて、そういう葬儀も良いなぁ・・・とも思っていた。何が良いかと言えば送られる側と送る側の距離感が実に濃密に感じられる事だと自分には思える。
 今来日中のフランシスコ法王は、太平洋戦争終戦時に撮られた「焼き場の少年」という名をつけた一枚の写真にえらく感動したらしい。終戦直後亡くなった幼い兄妹を背中に背負って火葬を待つ少年を撮った一枚の写真だ。

 その幼子の葬儀・・・弔いはおそらくその少年一人だけかもしれない。おそらくそうだろう、戦争という出来事の中ではそれでもマシと言えばマシな方に属するのではないだろうか。まるで火垂るの墓の1シーンにでも描かれてもおかしくない様な1枚の写真。
 故人生前を偲ぶ思いは身近な周りの人間に勝るものはないだろう。規模の大小は関係ない。大きくなればなるほど規模周辺はそんな意識は希薄な関係性に過ぎない。

 と、葬儀のお報せも個人の従弟(従妹)迄、それに近隣で普段付き合いの濃い所までに限った。それでも20人は超す。なので納棺まではその中でも絞って10人程で納棺師さん主導ながらなるべく手を添えながらその小さなホールで行なえた事は幸いだった。と思う。

     
'19/ 11/16  老父逝く

 直接死因は:うっ血性心不全
 傷病経過に影響を及ぼした傷病名は:発作性心房細動、B型肝硬変
 と死亡診断書には記載されている。
 享年92歳。

 この夜の夕食は何時になくしっかり食べたように見えた。
誤嚥防止と幾らかでも口触りがよくなる配慮もあるのだろう既に全メニューはゼリー状となり、暖かいおかずはカレイとあったけれどすり身を柔らかくしたようなモノ。残りを食べてみると野菜の煮付けもフワッと柔らかい。
 殆どのメニューをスプーンで1,2杯食べ、おもゆに夕食後の薬を乗せて、これにもとろみが付いた番茶で飲み込んだ。

 普段の食事よりは倍ほども口にしたろうか!?「今晩は良く食ったね」とその後のTVを一緒に観て、暖かいタオルでの顔拭き。オムツ確認と体位の変更作業が入るタイミングで病室を後にした。

 急変の連絡は午後11時少し前。「急いでください間に合わないかも」とは言われたが着いた時には息絶えていた。ベット脇のモニターに表示される心拍基線は横一線。周期的に小さく振れるがそれはノイズだという。ナースに呼ばれて確認した当直医の記入時刻は23:15。と記された。

 顔や頭をなでると何時もより少し暖かさが足りないか!?てな程度で息絶えたようには思えない。表情は何時も時折咳き込む時の様な苦しさは見えない。そうだよねぇ息をしていないもの・・・。


 亡くなったのが土曜日の夜半だったので翌日曜日は従来親戚付きあいをしている先とかお寺との連携が思うように取れず結構パニックモード。それでも近親者で納棺までは家族葬的に出来、以降はコンパクト葬儀風な折衷会葬で昨日葬儀まで終えた。
 3週間チョイの入院はしていたものの途中家に帰れるかも!的な回復も感じられたので、廊下の改装はしたが、葬儀前提の片付けなどはしてなかったのがパニックモードだったか!?

 喪主経験がなかった事の方が助長したかな!?お寺と葬儀場の都合もあり結局7日祓いと言う一昔前のスケジュールで昨日葬儀までたどり着いた。
 かつての「お葬式」という伊丹十三氏の映画を思い出すような悲喜こもごも(!?)グダグダありの葬儀を終えホッとはしたが、まだまだ後処理はこれから!明日は別件一周忌も入っており、しばし線香臭さが続く。(´;ω;`)

'19/ 11/9  転んでしまった後に泥縄でスロープを設置。

 段差は18cm。クランク状の廊下の継ぎ目。
老父母とも、足取りが怪しくなってからその段差部分で転んでしまった。元々が継ぎ足しみたいな増築個所なので1階2階ともこのような個所が出来てしまった。明らかに継ぎ足し増築だろうという様な古い温泉宿はまま見かけるが、同じようなもの。

 今日びは新築なら高齢化世帯を意識したバリアフリー住宅が謳い文句になるのだろうが増築40年ではそんな意識はなかったろうし、まだ若かった頃には足取りも軽かったはず。
 段の付いたクランクコーナーはフラットにしてそこから1間半のスロープにした。単純にまぁこんな感じだろうと施工したものです。

 ただ40年の慣れは侮れない。夜電気をつけずに廊下を歩いたりすると空踏みとでも言うのか「アレレ」となったりしてハタと気づいた。
 当然父母よりは若い自分でさえそうなのだから、後期高齢90歳代であれば順応時間はもっとかかるはず。

 出来て歩かせた時ウケの悪さに意外だったのはそう言う事かと・・・
で、コーナーには張り紙。廊下の照明はしばし点けっ放しにして様子見。3,4日したら文句は出なくなったようだ。でもまぁ環境変化に意識しなくなるのは月単位で掛かるかもしれない。少し盲点でもありました。それにしても転ばぬ先の杖ならぬ転んだ後のスロープとな(´;ω;`)

'19/ 11/2  今年はキノコが不調な様だ。

 ホダギに植菌した原木キノコの調子が今年は悪いという話はよく聞く。
木楽庵ホダ場でも、何時もは芋の子汁季節にはまずはヒラタケが!次に秋の椎茸が収穫できるのだが今年はさっぱり(´;ω;`)
 台風の雨の後に出始めたと思ったらその後が続かない。不思議にナメコだけは少し早いか!?山通いの間が空いた時に既に開いた状態で生えていた。

 とうとう我が家でも高齢者の入院事出来てしまい、病院へ向かう事が増えた。在宅要支援もあり、やりくりが結構大変。慣れればそれなりにこなせるのだろうがペース配分が身につかない。92歳に91歳であれば予測できた事。
 備えが甘かったという事でしょうね。今は泥縄対応ながら幸いだったのは稲刈作業が終わっていた事かな(苦笑。
 ひょっとしたら当の入院当事者はその時期は、苦しさを我慢していたのかもしれない・・・と思ってしまうとやるせない。

 今日はラグビーWC日本大会最終戦。イングランド対南アフリカ戦。
どういうわけか入院加療中の親父はラグビーが分かるらしい。自分には親父が観てたスポーツ放送は野球と相撲だけだった記憶しかなかったが・・・一緒に病室のTVを観ながら補聴器を外している耳元に、この南アフリカに日本は負けたんだ。というとウンウンと言うように頷いた。
 後半中盤辺りから、彼は目を瞑る事が多くなり南アチームが勝ち、表彰式の経過が放送されている時には定時の体位変更の看護作業も入り、眠りについたようだった。

 今回のラグビーワールドは内外共に評価が高いようだ。ルールが分からないとか・・・高校の体育で少しやってみたレベルの爺も多分ルールの半分も分かっていないだろう。それでも日本には三つ子の魂的な潜在的なラグビー認識は結構あるのかもしれない。
 ある面、異様とも思われる今回のラグビーWC人気には驚かされるし、勿論準備スタッフの苦労もあるだろう。体格的なハンディは別にして琴線に響く所がそうさせるのかもしれない、内外から報じられる記事を目にする度に涙腺が緩んだりするスポーツ大会は初めて経験した。 

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